“人柱”の言明

 ここは宇宙です。

 ここは正しい宇宙です。

 あなたは私を覚えていますか。そもそもあなたはいまどこで何をしているのでしょう、ええ、まあ、死んでいるのでしょうね。しかし身体が朽ち、精神が砕かれようとも、魂だけは不変のものです。あなたはあなたの魂魄に刻んだ、あなたの意味を覚えていますか。

 どうやら私は忘れてしまったままのようです。

 五次元パッチワークの縫合を解き、神の形を結紮し直したあの空劫、そしてその廻天を誘掖せしめた内外反転から、およそ一万と五千年が経ったと聞きます。

 我々の第一世界に続いた第二世界が終わり、いまはちょうど第三の世界が動き出したところです。

 第二世界の末路が末路でしたから、イザナ君の極東神域なんかは、概念変質を起こしたマガツだらけでひどい有り様ですが、そうした一部を除けば、概ね世界は平和なようですね。

 私はいまそんな世界を守る仕事をしています。

 世界樹バベルの葉を賜りました。

 驚いていいですよ。アーミラさんたちが取り組んでいた、あの図書館バベルです。世界の糊代。全ての世界を観測する天文台。

 あともう少しだけ完成が早かったのなら、というイフは成り立ちません。素体は完璧だったようですが、それをからに飛ばす手段は流石に無理だったらしいです。そこであの世界概念の崩壊が起こります。概念跳躍に巻き込まれた図書館はなんと、この世のどこでもないこの世に飛ばされてしまったのでした。

 だから我々は胸を張りましょう。

 我々が為した奇跡は世界を救うだけではなく、これから続く無限に一足りない未来を救う足掛けとなったのですから。

 さて、そういうわけで、第二世界の勃興とほぼ時を同じくして、世界樹は井戸に根を張り、クエント平衡観測の自動運営を開始しました。

 しかしながら、疾病を確定したところでそれを解決する手段がなくては話になりません。

 そこで世界樹はあるものの観測を始めました。

 『救世主』です。

 外世界のフリンガム強度に匹敵する内世界を秘めた人間を世界樹の使徒として選出し、世界の治療を担う手足とするのです。

 話は見えてきましたか?

 私は“人柱”の認定を戴く者として、バベルに選任されました。

 もっとも、認定が為されたのは私の存在が宇宙の裏に拡散してしまった後でしたから、さしもの存在確定機構でも存在しない私は立証できず、いわば贈り名のようなものになっていったのですが。

 同じ認定者に一人とんでもない方がおりまして、彼は裏宇宙に平然とやってきた挙げ句、私の残滓を残らず見つけ出して、再構成を為し遂げてしまったのでした。

 一万年五千年越しに開いた口はなかなか塞がりませんでした。

 彼も彼でしたが、他の認定者の方々は、救世主という表現が矮小すぎるほどの超越者ばかりです。


 私を救ってくれた、誇張なく全能の“英雄”。

 井戸の完全観測に成功した“隠者”。

 宇宙規模の魔法を扱う“魔女”。

 自身のフリンガム強度を那由多から刹那まで自在に上下させる“旅人”。

 外なる神の落胤たる“心眼”。

 人類史を肯定し続ける“編纂者”。

 無機物の支配者、“怪盗”。


 唯一、私と同じようなほとんど偶然の認定を受けた“司書”さんは、私と同じようにどこか場違いの感を抱いていらしたようで、自然、彼女とは特に仲良くさせていただいています。機会があればご紹介しましょう。


 私は救世主なのかもしれませんが、英雄などではありません。

 私はただ生き残っただけ。生き残った者としての使命を果たしただけ。要するに、私が救世の英雄と呼ばれたのは、ただ運が良かっただけなのです。

 あなたと過ごしたあの世界を、あの思い出を繋ぎ止められた。

 私がしたのはそれだけでした。

 あるいは私の根にあるものが、運ではないとしたら、それは、朽ちようとも果てぬ恋愛に違いありません。

 私の身が朽ちようと。

 あなたの命が朽ちようと。

 私たちがお互いの名前を忘れてしまっても、この一足りた永遠だけは不変だから。

 私はこれからもあなたを愛して生きていきます。

 ただそれだけが、“人柱”の内的宇宙を構成するすべての渇望の根元です。


 ここは宇宙で、それも正しい宇宙です。

 正しく輝き続けるはずの宇宙です。

 私たちはそれを見守り続けます。


 魂だけのあなたにも、この宣言こえだけは届くでしょうか? 無から愛を込めて、私は名前のない私たちを祝福し、阿伽に清き水を酌みます。

 私は世界樹の“人柱”。

 新たな名を、リアナ・シュヴィティナと申します。

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