世界にひとつだけの無駄話

「ふとした時に思うけど、君はどうしてまた私なんかを放課後を過ごす輩に選んだのだろうね」


 冬休みも明けて、一の月。昨年から行ってきた二月の進路講演会の調整が一旦の終わりを見せた間もなく、我らが生徒会は三月の卒業式に向けて動き出している。しかしながら、ずいぶん雑然としてきた生徒会室の成分は紙束ばかりで、その内に人間は私を含め二人しかいなかった。

 当然ながら、生徒会メンバーそれ自体が二人ぼっちのわけではない。名簿上はしっかりと七人存在している。その上で、五人が役目を放棄しているという話。とはいっても、これはいまに始まったことではなく、十一月の頭あたりからずっとのことだ。十月中旬の生徒大会によって生徒会メンバーが更新されてから、わずかに二週間足らずのことである。

 その理由が何かといえば、それはもちろん、新任された生徒会長の人望があまりにも薄かったためだ。

 冷血無慈悲の鬼女、二年、丹内にない鮮香あざか。すなわち、私である。


「ほんと唐突ですね」


 そして、私の机上に湯気立つ緑茶を置いた格好のままきょとんと首をかしげる女子、生徒会書記、一年、梶原かじわら浦波うらはこそ、そんな私に唯一付き従う異常者に他ならない。

 そう、重ねて記すが、この場合彼女が異常なのだ。決して他のメンバーが怠惰とか薄情とかではなく、彼らの反応はいたって正常。彼らには申し訳ないことをしたとすら思っている。思っていても改められないからこその冷血非人間なわけだが。

 彼らからすれば、無理なことを無理な日程で無理やり進めさせる、現場を分かっていない上司のテンプレみたいな指示しか出せない人間が私だ。根本的に協調性が欠如している。私が七人いればできるはずだ、という目線でしか予定を立てられないし、実際なぜできなかったのか本当に意味がわからない。とまあ。ああ冷血鬼会長ウザ香。

 どうでもいいが、彼らの残していったこのあだ名は結構気に入っている。積極的に名乗りたい。もう名乗る相手もいないのだが。

 ともあれ二人きりとなった生徒会は、皮肉なことにそこでうまく回り始めた。

 私が二人いればできるはずだということは、浦波と二人でならこなすことができたのだ。必然、七人の予定と比べればスケジュールは四倍弱に膨れたが、必要最低限のイベントをこなすだけならそれでも問題はなかった。

 ああ、別に、学校をより良くしようなんて余計な予定を入れずに回していれば、もう少し余裕もあったのだろうか。しかし、それ、意味あるのか? ああウザ香。ふふ。

 でも、まあ、なんだ。本当に、おかしいのは私と、それに合わせてしまえる浦波なんだ。それは重々承知している。そして、一口におかしいと言ってもその内実はまったく異なるということも。

 私は人格破綻者に間違いないが、浦波は私に限らず誰にでも合わせられるという超社会的存在。上位者がどちらかは言うまでもない。

 そして、なればこそ思うことがある。

 私だって、他人の幸せを願っていないわけじゃないのだ。


「それで、どうしたんですか? 丹内センパイ」


 私の右手の席に腰を下ろした彼女は、自分の分の湯呑に茶を注いでいる。


「だからさ。花の放課後、世に瑞々しく咲く高校生諸君はもっぱら、部活やら恋愛やらに興ずる時間じゃないか。それを私と二人きり、こんなくそくだらない生徒会室に終始してしまっていいのかな、と。私ひとりと付き合うより、みんなと仲良くしていたほうが、ほとんどすべての点で幸せだろうに」


 浦波は完璧だ。

 課せられたタスクは何でもこなせるし、私と違って「ここはできないことにしておく」みたいな配慮も、細やかな気配りもできる。容姿も素晴らしい。私は美人を自負しているが、彼女は美人というよりは美少女だ。美しいとカワイイではどちらが親しみやすいかといえば後者だろう。そんな彼女が、私と共に過ごすことで、「誰とでも仲良くできる」という最優の特性を打ち捨ててしまっている。結果、私と同程度の存在に成り下がっているのだから、冷血無慈悲のウザ香も、いや、冷血だからこそ、罪悪感を抱きもする。

 私の言葉はいささか足りないだろうが、彼女はおそらく完璧に理解してから、湯呑を傾けて「あち」と呟いた。それからゴム製のコースターの上に湯呑を戻してから、熱まった息をほうと吐く。


「うーん。これもまたひとつ、青春だと思いますけどねぇ」

「ないだろ。少し省みて見たまえよ、友情も恋愛も、絆というやつ何もかも遮二無二かなぐり捨てている。いずれ菖蒲か杜若、友と愛の狭間に迷うことこそあれ、どちらも不要と道端の雑草を愛でるのは、生き狂った詩人くらいのものだろう」

「えー。友情、ないんですか? 愛情も?」

「ないだろう。君が明日からここに来なくてもきっと何も感じない。私はそういう人間だから」


 むしろ、喜ぶかもしれない。こんな私が君の足を引っ張ることがなくなるから。


「それじゃあ、私の片思いですね」

「そうなるね。気持ちの無駄だ」

「無駄花ですね」

「実を結ばない花に意義はあるのかい」


 浦波は再び湯呑を手に、目の前に立ち昇る湯気を見上げた。

 彼女にしてはあまり見ない反応だった。だから、ああ、たぶん私はまたおかしなことを言ったのだろうな、と理解する。どこがおかしかったのかはわからないけれど。

 実のつかない徒花あだばなに意味なんてない。

 それは花とは何なのかを考えれば至極当然の結論のはずだ。

 花は生殖器だ。生殖のためにある。なのに生殖ができない。

 意味のない。

 舌と思考を黙らせるように茶を口に含む。まだ当たり前に熱かった。

 そして、浦波がゆっくりと温かい言葉を紡ぐ。


「ありますよ。そもそも人間なんて徒花でしょう?」

「その心は?」

「必ずしも種の保存のために個を使わない時点で、生命の主流からは外れています。その性質は人間の社会が高度発達していくたび、個の存在が強大になるたび、どんどんと増しているように思えます。……それはある種自然なことでもあるやもしれませんね。単純な取捨選択です。種の存続と個の存在で後者に天秤が傾くのであれば、是非もなく。実をつけ種を落とすよりも、花が美しいことが尊いのだと、胸を張って言えるのならば、きっと徒花は美しいのでしょう。かくいう私も、徒花でありたいと思っています。実をつけるよりも価値あるものを知っています」

「……それは、何だろう。私でも理解できるものだろうか。だとしたら……」


 理解したいと、切に思う。

 徒花は無駄花だ。実をつけない花に意味なんてない。

 それは確かに正しいはずなのに、けれど私は間違え続けている。

 ならば、ああ、まず前提が違ったのだろう。

 人間は花ではないということ。そも生物ではないということ。人間というくくりで語ってしまうことそれ自体が、どうしようもなく不理解だということ。

 ひとはきっと個でしかないのだ。そこに種など存在しない。

 世界でひとつだけのハナ。

 それはどんな色をしているのか。


「できませんよ、たぶん。センパイには」

「……そうか。残念だ」

「だって、片思いですからね」

「そうか」


 理解は、うん、できない。片思いって何だろう?

 ああ、冷血無慈悲の鬼女。錆びた身体に凍てつく心。

 胃に落とした緑茶だけが確かに熱を持っている。

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