夜明し星降りの橋(KAC3 お題「シチュエーションラブコメ」応募作)

 もはや夜は夜ではないとは誰の言だったか、ともかく街灯やらビルの光やらで真っ暗闇というものはそうそう見られなくなったという話。人々は文明の光を得た代わりに星々のまたたきを忘れてしまった。この町にも街灯で照らされない場所はほとんどない。整備の程度はともかくとして。

 橋げたに寄りかかって、切れかけの点滅に幾度もぶつかりつづける蝿やら蛾やらを見上げていると、不意に肩をとんと押された。


「──やあ。こんばんは」

「……先輩って、いっつも先にいますよね」


 僕の隣五十センチに腰掛けた少女は挨拶を返さずに、凪いだ海のような平淡な声でもって、いつもの如くそう言った。


「そりゃあ、ほら、暇だし。何より君は可愛いから、男の子としてはついね」


 嘯いてみせると、彼女は足をぷらぷらと揺らしながら、客観的に見れば睨んでいるのか眠いのか判別しかねる半目でこちらを見つめてきた。背は反って、身体は半ば橋の向こう、獰猛とか黒い水とかで表現するではないにしろ、高さだけで十分に死ねる川の上の虚空へと投げ出されている。その実ここは自殺名所でもある。何人もの人間がここで命を絶ってきた。

 彼女も元来は、そのためにここに来ていた。


「先輩って、どうして女慣れしてるんですか? 交遊なさそうじゃないですか」

「いや、別に慣れてるわけじゃないよ」


 事実女性と話すのは得意じゃない。ただあまりに他人と話すのが久しぶりだから、逆に浮かれているだけだ。ただそれを正直に言えるほどは僕は地に足つけていないわけじゃない。二の句に逡巡して、取り敢えずのように言葉を接ぐ。


「ほら、僕童貞だし」彼女は髪を弄りながら、「私は処女じゃないですね」と扱いづらいネタを呟いた。

「ああ……そう。まあ僕に好きって言ってみろよ、一瞬で押し倒すだろうから」

「今やったら殺人犯ですね。自殺幇助でしょうか。……先輩、大好きですよ」


 彼女はまるで何でもないことのように言った。ほんのちょっぴり距離まで詰めて。


「まあ、そうだね。僕も君のことは好きだよ。そういうことにしておこう」

「ダウトです。先輩に好きな人はいませんね」


 ばん、と空中を撃った人差し指が、そのまま僕に伸びてきた。


「どうしてそう思う?」

「先輩は、毎晩私をここで待っているほど暇だからです。これからもよろしくお願いしますね」

「告白かい?」

「そしたら先輩、一緒に死にましょう」

「それ、還暦迎える予定あるのかな?」

「成人迎えないですね」

「やっぱりか」

「ええまあ」


 ──それきり彼女が沈黙すると、静謐な夜に乗って虫の音が聞こえてくる。どうしようもなく矮小な僕たちを取り囲む自然は美しい旋律をもって、醜い僕らの背中を押した。


「──では、さようなら、先輩」

「ああ、また、死にたいのに死ねない日が来たら。ここで会おう」


 痛々しい光が街灯から彼女の後ろ姿に降り注いでいる。

 暗い昼。明るい夜。また君は明日と明々後日と、その向こうへと生きていく。僕はそんな君をここで待ち続ける。いつか君がここに来なくなる日を、切に切に望みながら。

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