さよならを得る朝(KAC7 お題「最高の目覚め」応募作)
現実は苦しく、夢は甘い。何にもなれない僕にだって、夢の中でなら全てのものになれる。だから夢が好きだった。自分に都合のいい妄想を思い起こしては、枯れた瞳に焼き付けた。
夢を視続けるうち、いつしか僕の夢は大変指向的になっていた。冷静に物語を覗く観測主は、三人称視点の明晰夢を、けれど自由に想像のままに視るようになっていた。望むがままの物語を、映画館に来たかのような感覚で僕は毎夜楽しんだ。その気になれば、テレビのチャンネルを変えるように、物語をぷつんと別のものに変えてしまうことすらできた。夢は唯一僕が好きに出来るものだった。
何もないと思っていた僕にも、夢を視る才能だけはあったのかもしれない。
ともかく、そんな僕は今日もまた夢を視る。
僕は僕と可憐な美少女の恋を眺めている。楽しい学校生活は華やかに彩られ、時に甘く時に切なく、激動する二つの感情と数多のモブキャラによって、物語はつつがなく進んでいく。喧嘩から仲直りした僕たちは涙ながらにキスをした。
もうそろそろ、夢の醒める時間だろう。いつもなら大人しく目覚めに身を任せるところだが、今日はなんだかそうしたくなかった。進路を巡っての親との攻防が思い出されて、目を開くのが憂鬱だった。
思い通りにならない現実に帰るより、このまま別の物語を鑑賞していたほうが、よっぽど楽しいのではないか。
一度考えてしまうと心はすっかりそのことに染まってしまう。起きたくない。もうずっとこの席に座っていたいとそう願った。
そして僕はハッピーエンドを迎えた僕らにささやかな拍手を送りながら、新たな物語に
いくつもの物語を視た。前に視たものもあったし、新しいものもあった。どれも皆僕は波乱万丈あれど最後には無事ハッピーエンドにたどり着き、誰かと笑顔で笑っていた。僕はとっくに満足していたが、この夢の舞台を退出したあとのことを思っては、まだここに居座ろうとしていた。
「……空虚だね」
すぐ近くからそう声がした。隣の座席を見れば、青白いスクリーンを眺めながら片手にポップコーンをかじる美少女がいた。どこか冷酷な印象を受ける、氷のつららのような美しさを持った女の子だった。
僕には見覚えがあった。
「黒羽。ええと、こんにちは」
「ん、こんにちは。優」
「怒ってる?」
彼女の表情の変動は分かりづらくはあるが、長らく彼女と過ごした僕を眺めていた僕には、彼女が怒っていることが分かっていた。
「そりゃね。優は、私のいない物語をいくつも視てた」
「……ごめん?」
「いいよ、別に。怒っては、いるけど。私の気持ちは変わらないから。変われないから。優にはいっぱい大切な人がいて。私の大切な人は優ひとり、ただそれだけのことだから。でも、ほら、向こう側のひとも、構ってあげなよ」
指差されるままに黒羽ではない隣の席を見れば、どこかふわふわとした羊みたいな少女が座席の上で体育座りをして、こちらを睨み付けていた。
「優はさ、ずるいよ」
「……みなほ」
「私、優を嫌いになれないんだ。だって私、優を大好きな彼女、なんだもん。幸せだけど、少し、寂しいよ」
「そうだ。皆、お前を愛してる。そこに疑いなんてない。俺たちは幸せなんだ」
はらりとボクの肩に髪が流れ落ちる。ボクは、ずれかけていた眼鏡を直しながら、後ろの席を振り向いた。
「慎二君……」
「俺の中の優は、何があっても、俺の彼女だ」
「だけど」
慎二の隣にまた人影がある。緑色のマントで覆い隠した民族衣装が、周りの三人からは目に新しい。
「私たちには、これでいいけどさ。ユウはそれでいいの?」
フィリカの長い耳がぴくりと揺れるのは、本当に悲しい時だけだ。
「そうだよ。僕はこれでいいのか?」
ぱっ、と暗転していたステージに突如ライトが当てられる。そこには他でもない僕が立っていた。
「なあ。そろそろ現実を視ようよ。ここにいちゃあ、僕は真に幸せにはなれないだろ」
「……幸せ?」
僕が手を震わせているのが見える。本当は僕も分かっているのだ。ここにいては駄目なことなど。僕はまくし立てるように続けた。
「僕は幸せを願ってるんだろ。こんなに色んなカタチの幸せを夢見て、願ってないなんて言わせないぞ。夢を描くのは大事だよ、だけど実現できなきゃ、それは空虚な幻想だろ」
「だったらどうすればいいって言うんだ! 僕には夢の僕みたいなコミュニケーション能力なんてないし、誰かを気遣う優しさもないし、世界を救う力だってない!」
「バカだな」
黒羽が笑った。半月が弧を描くように。彼女は振り返った僕に待ち構えていたデコピンを食らわせると、ゆっくりと僕の唇に自らのそれを重ねる。
それを強引に奪い取るように、慎二がひと回り小さな少女に変化した僕を背後から抱き締めた。
「俺たちはお前の笑顔も、優しさも、強さも、みんな知ってる。思い描けるのなら、実現できないわけじゃないだろ」
「でも……黒羽も、みなほも、慎二も、フィリカも……居ないんだ……」
「あっはは、そりゃあね」
フィリカは可笑しくてたまらないという風に喉を鳴らした。
「他はまだしも、エルフが居たら困るでしょ」
「私たちと出会うことは、ないかもしれないけど。素敵な出会いが、きっと、いつか……出来るよ。だって優だもん。でも、ここにいたら、その機会は永遠に訪れない。優が、本当に人を愛して、本当に幸せになる機会は、ずっと」
「……さよならだって、言うのか。夢を視過ぎた罰だって言うのか」
僕はもう肩まで震わせて、涙ながらに僕に向かってそう呟いた。
「そうだ。これはさよならだ。でも罰じゃない。これは僕らの祝福なんだ。いま君は僕たちとのさよならを得る。理解出来るだろ。僕の考えていることなんだから」
「……ああ。っ、うん。もちろん……だって、君らは、僕の夢なんだものな」
僕が涙と鼻水の向こうに無理矢理な笑顔を形作ったのを最後に確認して、僕は舞台袖に戻った。
ライトがふっと消える。真っ暗だ。誰ももうここにはいない。僕を除いては。
でも僕が居れば皆は作り直せる。僕が目を開けようとしなければそこはまだ僕の世界だ。ここの全ては僕なのだから。
僕はひとつ大きく息を吸って、吐いた。
ここの全ては僕なのだから、だから本心などとっくに決まっているのだ。
「さよなら」
僕は目を開くと決めた。ガラスが砕け散るように暗闇は晴れ、視界は暴虐の白い光に占有される。
「優。……さよなら」
黒羽の声が僕を包みこんで、苛烈な朝の光から、僕を優しく守ってくれた気がした。
……目を開けば、そこはもう見慣れた現実だ。今日は何かいつもとは違う夢を視た気がする。いつもならある程度覚えているし、それに、ハッピーエンドに涙など不要だろう。
「ああ、そうだ……僕はもう、夢に囚われないんだった」
夢は、追いかけるものではなく。
夢は、背を押してくれるものだ。
枕に乱暴に涙を押し付けて、僕はスマートフォンで時間を確認する。時刻は七時。……遅刻ギリギリだ!
僕は急いで身支度を整えると、テーブルの上の冷えたトーストを咥えて玄関を飛び出した。全然降りてこないエレベーターに舌打ちして、階段を数段降りたところで閉め忘れた鍵を取りに戻って、しっかり閉めて、また駆け出して、「ああ、もう、ヤバいマジで遅れるっ」。
相変わらず職務怠慢なエレベーターにまた舌打ちして階段を一階まで駆け下りる。マンションの入り口に出ようとして、「きゃっ」と背後で悲鳴を聞く。ぶつかってはいなかったものの、人を驚かすには十分だったろう。
「ああ、すみません──」
振り向いた先に、夢のカタチを見た。
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