等速度運動する人間Θ
地球温暖化に対するスローガンはいくつか種類があるが、地球を守ろう、私たちの生活を守ろう、動物を守ろう。概ねこの三枠に当て嵌められるだろう。
だがどれも、私たち人間は、その知的活動の発展故に環境に介入し過ぎ、地球やら生き物やらを害してしまっていると謳っているのは同じだ。自分たちは自然の上位に立っていると誰もが思っている。そうでなければ、私たちやり過ぎちゃった、治してあげよう、なんて発想は出てこない。なぜなら同情は自分より下を見るときに使われる言葉だからだ。
いやいや人間は心優しいから、地球生物として立場は同位の動物たちの安寧を心から危惧しているのだ、と言うのも理解しがたい。
感情という機能を実装された、多様性を産み出し続けるための種族にとって、競争観念は不可欠だ。こういうのはダメだ、あそこを目指そう。これはいいからこのまま続けよう。
人間とは弱い道を切り捨て、より生存が容易い種を目指して、進化をし続ける生き物だ。そういう風にデザインされている。
ゆえに同位などあり得ない。同位ということは存在し続ける価値がないということだ。なぜなら最も生存が容易い存在とは必ずひとつと決まっているから。
断じてもいいが、人間は皆すべからく、人間よりも優れた種はないと心の底では思っているし、もっと言えば自分よりも優れた人間はいないと思っている。それを否定するということは自らの存在理由を否定することである。
だが──人間は、残念ながら未だ自然に、世界に生きる生物だ。最優の種は遠く彼方久遠の果てに、訪れるとも分からない。
数ある中から最優秀を決める競争の判定を、候補者が行ったのでは皆自分に投票するに決まっている。本当は優れていたはずの進化先がこの観念によって消滅した例は少なくない。そもそも、人間という生物は破綻しているのである。
神は誤ったのだ。人間のデザインを。
戦争という、過ぎた優劣競争が、優劣もなく死が訪れさせるイベントを回避するため編み出された平和。だがそれにより競争が緩やかになったせいで──自己が破綻していることに気づいてしまう者もまた多くなった。
なればこそ、競争をしよう。
今度こそ、スターターガンとゴールテープを第三者に握らせて、平等にラインを引かれた、各位に特異な障害のないコースで再びレースをしよう。誰が最優かを決めるために。
等速度運動をする物質のレースに重要なのは、
「……ええと、ひとついいですかね」
彼女は時間に対する煎餅の消費量で加速度曲線を描きながら言った。
たぶん退屈だったのだろう。僕の話はつまらない上に反応しにくいことで有名だが、彼女は優しいので──同情してくれるので、反応はしてくれる。
「なんだろう? まあ多分競争の仕様についてだろうけど」
「そっすね。生物の競争は100m走じゃなくて、障害物競争だと思うんですけど」
「……そだね。いつも人間だけの観点で考えてたから、上手く思い付かなかった。僕も人間として、人間本位だからさ。でも人間を学ぶと物理が分かるよ、ホントに」
「まあ、こじつけに近いですけど、言われれば分かりはしますね」
ふつう地球上の物体は等速度運動はしない。なぜなら何か他の力によって邪魔されるからだ。人間もふつう自分の能力を出しきれることはない。なぜなら何か他の力によって邪魔されるからだ。
地球上の等加速度運動はたいてい初速の方向と違う巨大な力が絡んでくるし、人間の活動もだいたい上司という巨大な力が絡んできて、初速とは別の方向に帰着するのが常だ。
落下するときはしっかり速度の方向を揃えてくれるあたりがまた面白い。要するに人間の競争活動とは世界法則の中でしか行われないのである。然るに人間は世界に内包されており、世界を超越し最優の種になることは決してあり得ない。破綻の所以だ。
「次のネタは何ですか?」
「……うーん、ネタ切れかなあ。僕って一本調子だから」
「……先輩は、人間の活動は心理的な面まで物理法則に縛られているとお考えですよね。私、ひとつ反例を知っているのです」
「ほう? そりゃまたどんな?」
まあ何となく、分かっている。
常々考えているから。
「愛です」
「……ふむ。そうだね。人間には早くからそのバグが起きてたからねえ。紀元前には既に、子孫を残せない代わりに一代の確かな幸せを取る同性愛があったし。愛は生物としての欲求じゃなく、個人としての欲求なのだろうね。感情を装備した人間の、感情による自己破綻の最たるものだ。明らかに、他の行動とは気色が違い過ぎる」
彼女の煎餅の音がやんだ。リソースが尽きたらしい。
「競争を捨てて愛を取るというのは、人間の営みを見れば見るほどわからなくなる。まあ、金持ちに惚れるみたいな、人間らしい人間もいるにはいるけど。たいてい生物としての欲求よりも優先度が高いから困りもの──あるいは尊いものだ」
「……長ったらしいので、一行で纏めてくれませんか? 愛とは何ぞや?」
「感情を以て創造主のデザインを否定し、従って感情によって否定される自分という存在を、感情をして肯定してくれる人を見つけることだ」
「……珍しく、素敵ですね。良いと思います」
「そりゃ、良かった。本当に」
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