第77話 バラボー平原の戦い

 カークス城にいるエレオノールのもとに、手紙が届いた。

差出人は弟であるウスターシュだ。

最初は無表情で読んでいたが、読み進めるごとに顔を怒りで紅潮させた。


「あの男、父上を殺したのか!」

 すぐに部屋にある武具を身にまとい、リュカのところへ行った。

「武装してどうしたのですか?」

「父上の仇討ちです。軍の準備はできているのでしょう?」

「それはボワイエ家が動いた時に備えているだけですよ。それに仇討ちってどういうことですか」


 エレオノールは手紙をリュカに渡した。

「ボワイエ公を殺害して軍をこちらに向けているから、公爵夫人はカークス城を脱出して実家に帰って欲しい、ですか。どうなさるおつもりですか?」

「ウスターシュと戦うに決まっているでしょ! 私はもうラグランジュ家の女です。父上を殺した弟など知りません!」

 テーブルに拳を叩きつけ、リュカを睨みつけた。

リュカはやれやれとばかりにため息をついた。


「ボワイエ家が動いたので、ここにいる軍隊を動かします。私が指揮を執るので、父の指示に従ってください」

 彼の父であるマクシミリアンは、普段は城下の内政を引き受けている。

リュカが不在の間は城の軍事も管轄することになっている。


「私も従軍します。弟の愚行のツケは、私も払います」

 意思が強すぎる。

リュカはそう感じた。

その目を見ると逆らえない。

「わかりました。従軍を認めます」


******


 ウスターシュ率いる六万人の軍が、ラグランジュ公領との境界にあるバラボー平原に布陣した。

平原を抜け、山を一つ越えればカークス城がある地域に出る。


ウスターシュは戦場をラグランジュ公領内部であると想定していた。

しかし帝都の政変による進路変更で時間をロスし、初動の早さというアドバンテージを失ってしまった。


 そして不安要素を抱えている。

六万人のうち半数が東部貴族の兵である。

東部に迫りつつあるリーベック帝国軍に備えるために、譜代の将兵を配置している。

備えているといえど、兵力で劣るため忠誠心が疑わしい彼らが寝返ることを、ウスターシュは恐れた。

譜代を東部に配し、実力を示す意味でも東部貴族をここへ動員している。


「ところでいつ攻撃するんです?」

 東部貴族が急かしてくる。

彼らの所領のことが心配であり、ここでの戦いを早く終わらしたがっている。


 ウスターシュもそれはわかっている。

ミスが許されないため、容易に決断を下せない。

決断の重みと焦りが、彼の額に汗を滲ませた。

「これからだ。いつでも攻撃できるようにしておけ」

 精一杯の平静を装った声で、ウスターシュは問いかけた貴族に答えた。


 一方リュカ率いるラグランジュ軍は三万人。

北部だけで動員できる限界の人数がこれである。

すでに西部出兵に動員をかけ、他の地域はリーベック帝国の侵攻に備えるため、大規模な動員をかけることができない。


 状況は厳しいが、リュカには余裕がある。

「敵はこちらの倍のようですね」

「数字上はそうですね」

 エレオノールの問いかけに、リュカは涼しい顔で返した。


「敵の陣地に掲げられた旗印を見てください。昔からボワイエ家に仕えている家の旗が少なくて、新参者の東部の家が目立っています」

「南部から敵が迫っているのに、東部の家が多いのはおかしいのでは」

「そういうことです。自分の手元にいないと不安ということの現れでしょう」

「不安なところを狙うために、不利な平原に陣取ったんですね」

 リュカは首を振った。

「いや、ウスターシュは家中そのものを掌握できていないか、信用できないと読んでいただけだよ」


 ウスターシュ陣営の動きがにわかに騒々しくなる。

リュカは防衛戦の態勢を取らせた。


ウスターシュは軍を広げてラグランジュ軍へ攻撃を開始した。

左右両翼の背後に回り込もうと、翼包囲を狙う構えを見せる。


「この地形と兵力差なら当然の動きですね。ですが信用できない将兵で、どこまでの練度があるでしょうか」

 リュカは左翼に迫る東部諸侯の軍を見た。

右翼の譜代の軍と比べて突出している。

南部から来る敵のことが気になって、早く戦いを終わらせたい欲が見せてしまった。


「左翼に来ている敵に攻撃を集中させてください!」

 突出した東部諸侯軍は、急速に攻撃の勢いを減衰させた。

集中攻撃を受けて、にわかに浮足立ってしまう。


 この様子をウスターシュは見ている。

「東部諸侯の軍は後退、他は攻撃を継続する」


 東部諸侯への攻撃に注力していたリュカだが、譜代の軍が殺到したため、全軍を後退させた。

この日の戦闘はこれで終了した。


 大した打撃も楔を打つこともなく、ただ押されただけの戦闘に、エレオノールは不安を覚えた。

それを表情で察したリュカが声をかけた。

「大丈夫ですよ。小さなヒビはもう入っているはずです」

 もうすでにリュカの作戦は始まっている。

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