第76話 逆賊

「敵が宮殿内部に侵入しただと! 警備はどうなっているんだ!」

 ジェロームが報告に来た近侍を怒鳴りつけている。

「ラグランジュ公の屋敷の襲撃と、帝都での大きな火災のため、帝都の人員をほとんど割いたため--」

「黙れ!」

 肘掛けに拳を叩きつけ、近侍の言葉を遮った。

「言い訳など聞きたくなどない! 早く侵入者を追い出せ!」


 近侍はこうべを垂れて何も言わない。

「どうした。早く事に当たれ」

「追い出せるだけの兵力はもういません」

 近侍は叱責を恐れて言わないが、皇位継承戦でロンサール公が正規軍を投入して壊滅させた結果が、わずか百人しかいない現状である。


「ここを脱出して、ボワイエ公の軍と合流しましょう」

 こう言う以外どうしようもない。

「逃げろというのか」

「陛下の御身を守ることが第一です。私が先導します。どうかこちらへ」

 一瞬の迷いを見せたが、ジェロームは玉座から立ち上がった。


「こちらです」

 玉座の間を出て、二人は複雑な宮殿内の廊下を走る。

いくつか曲がったところで、近侍の足が止まった。


「どうした、なぜ止まる!」

 周囲の騒々しさが、ジェロームの焦りを掻き立てる。

「迎えが来ます」

「迎え?」

 何もわからない彼をの前に、シュヴァリエが兵士を引き連れて現れた。


「貴様、予を裏切るというのか!」

「なぜ力も能力もない側に付かねばならないのですか」

「あっ……」

 近侍の言葉に、何も言い返せない。

自分の立場というものを、決定的に突きつけられた瞬間だった。


 力がないから、ボワイエ公の軍隊を動かす。

即位できたのも、クロヴィスの軍事力のおかげだ。

ジェローム自身には何もない。


「計画通り陛下の身柄を移送しました」

「感謝する」

 シュヴァリエは近侍からジェロームの身柄を引き取った。

ショックを受けた面持ちの皇帝を、シュヴァリエは一瞥した。


「玉座に戻りましょう。仕事がございますゆえ」

「何をする! こんなことをしてただで済むと思うな! 帝都の兵がすぐに貴様らなどの首を刎ねるぞ」

 ジェロームの精一杯の脅しに、シュヴァリエは眉一つ動かさない。

「すでに城内はこちらの手勢がすべて突入しています。たかだか百人では大変でしょうね」

「そっちには五十人しかいないことを知っている」


 シュヴァリエは心の底から人を馬鹿にするような、見下した眼差しをジェロームに向けた。

「何もわかっていないんですね。五十人もいれば非武装の文官女官を集めて人間の盾にできます。いざとなれば殺しても構わない便利な盾ですよ」

「外道が!」

「玉座に戻る気になりましたか? 自分のプライドのために、臣下が無駄死にするところなんて見たくありませんからね」


 ジェロームは唇を強く噛みすぎて地を流している。

「臣下のためだ……これは臣下のためだ……」

 ボソボソと呟きながら、力ない足取りで玉座へと戻って行った。


 玉座に座ると、近侍がどこからともなく玉座の前にテーブルを持ってきて、その上に紙と羽ペン一式を置いた。

「ボワイエ家のウスターシュは偽勅を掲げ、南部の反乱軍を招き入れた逆賊です。ラグランジュ公にウスターシュの討伐をお命じください」

 ウスターシュが密命を受け取ったかどうかは、シュヴァリエは知らない。

しかしそんなことはもはやどうでもいい局面にある。


 ジェロームはうつろな目でシュヴァリエの言葉に従った。

文章を書き終えると、わずかにためらいを見せたが、ジスカール家の印璽で封蝋した。


近侍が手紙を受け取ると、それをシュヴァリエに手渡す。

「勅命、ラグランジュ公に代わり、謹んで拝命いたします」

 膝をつき、手紙を掲げるシュヴァリエを、ジェロームは依然うつろな眼差しで見る。


 シュヴァリエが退出すると、近侍を見てジェロームは口を開いた。

「予は貴様を咎めることはしない。弱いのがいけないのだ」


******


 シュヴァリエが受け取った勅命は、彼により直ちに布告された。

いち早く大義を引き寄せたい彼は、クロヴィスのエティエンヌ到着を待たなかった。


クロヴィスの元に早馬を走らせて、作戦の成功と帝都に来て欲しい旨は伝えている。

主戦場は西部ではなくなった。

そうである以上、クロヴィスが帝都に入り、今後の軍事行動の指揮を執る必要がある。


 そして帝都に進軍中のウスターシュにも勅命は伝わった。

「私が偽勅により動いているだと? ふざけるな!」

「帝都で変事が起きたそうです」

 そう言ったブノワを睨みつけた。


「ならばエティエンヌに突入して陛下を救い出すまでだ。進路はこのまま前進!」

「お待ちください、帝都に入ったところで、敵は陛下を連れて脱出するのは明白です。ここは敵の本拠地を叩き、帰る場所を奪う方がよろしいかと」

 不機嫌をむき出しで聞いていたウスターシュだが、彼の言葉を聞いているうちに、笑みが溢れた。


「貴殿の言う通りだ。敵の根拠地を奪い、ラグランジュ公の権威も何もかもを地に叩き落としてやる!」

 この男はメンツだけで動いているのではないかと、ブノワは不安がよぎった。

冬が近いため、北部での戦闘は短期決戦するしかないことも頭にないかもしれない。


「進路変更だ、全軍ラグランジュ公本拠地カークス城を攻略せよ!」

行く手の先にある北部の山には、重く灰色の雲が横たわっている。

冬が近づいている空に、ブノワは自身の命運を予感した。

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