第78話 夜襲
「なぜ左翼を孤立させた! 我々はおとりに使われたということか!」
夕刻、開戦前に質問した東部の貴族が、ウスターシュに怒りを露わにしている。
「それはあなた方が勝手に突出しただけではないか」
「戦闘を早く終わらせたいだけだ。公爵もそれはわかっているんじゃないですか?」
そう言われると返す言葉もない。
「わかった。今日夜襲を仕掛ける。奇襲部隊を任せてもいいか?」
「ええ、構いませんよ。私自ら指揮を執り、勝利を手に入れてみせよう。人任せなどしていたら、いつまで経ってもこんなところで足止めを食らいますから」
貴族は準備があるからと、足早にウスターシュの前から去った。
会話を聞いていたブノワは、ウスターシュに声をかけた。
「彼に任せてもよろしいのですか?」
「ああ。東部の者に花を持たせてやらないとな」
そう語る彼の目はどことなく不安そうである。
ブノワはそれを見逃さなかった。
「明確に意図を持ち、作戦を立てて動かなければ、手痛い損害を蒙りますよ」
「そんなことくらいわかっている!」
ウスターシュは鼻息を荒くし、ブノワを睨みつけた。
「それならいいのですが」
これ以上会話しても意味はないと判断し、ブノワは自陣に戻った。
「わかっている。わかっているんだ……」
遠ざかるブノワの背中を見ながら言った。
「あの場で他に何を言えと言うんだ」
東部諸侯との軋轢を生みたくない。
そのつもりで奇襲部隊を任せた。
ウスターシュは戦術だけで判断できない立場にいる。
その日の夜、奇襲部隊は戦場を迂回し、高台からリュカたちが退却した新しい布陣先を望んだ。
そこは平原と山道の境界線で、ボワイエ軍の進路を完全に抑える位置にある。
「ここで勝てば一気に道は開ける。突撃だ」
喚声を上げながら斜面を駆け下り、ラグランジュ軍側面に突入した。
軍を混乱状態にさせて、相手が立て直すより先に叩き潰す。
奇襲の基本を完遂すれば、戦いはすぐに終わる。
勝利を予感し、指揮官の貴族は浮足立った。
士気向上のため、貴族は馬上で槍を持ち、前に出て敵の前に躍り出た。
奇襲部隊は数で劣るため、鼓舞する意味で指揮官が勇気を見せなくてはいけない。
「貴族たる者、武術の心得あってこそだ」
鋭い一突きがラグランジュ兵を貫いた。
穂先を引き抜くと、せき止められていた朱が溢れ出る。
「続け続けー!」
貴族を先頭にラグランジュ軍の陣地奥深くを目指して突き進む。
この状況を眉一つ動かさずリュカは見ている。
「いくらなんでも冷静すぎじゃないですか?」
エレオノールの問いかけに、彼は思わず口角を上げた。
「短期決戦を望んでいるんですから状況打破のために、奇襲をするのは予想の範疇です」
「でも何も対策していませんよね? 私が前に出て奇襲部隊を迎え撃ってきます。」
これにはリュカも慌てて静止した。
「ご夫人が戦うのは、敵にトドメを刺す時まで取っておきましょう」
エレオノールはしぶしぶといった風に鉾を納めた。
そんな彼女を見て、リュカはベルトレの猛将らしい戦い方を学んだのだなと理解した。
頼もしくはあるが、エレオノールの地位を思うと、危険が過ぎるようにも思えた。
「ではどうするのですか? 通常の警戒しかしていないのも、策あってこそなのでしょう?」
奇襲を読んでいたとリュカは言っていたが、警戒を強めたり、何かをしていたわけではない。
「誘い込むことに意味がありますから。奇襲部隊とは正面から当たらずに受け流してください」
そう言って、彼は前衛をボワイエ軍主力へ向かわせた。
接近してくる軍を見て、ウスターシュは訝しんだ。
「奇襲は失敗のようだな」
ウスターシュはそう考えた。
しかしブノワはそう思わなかった。
ブノワは馬を走らせてウスターシュがいる本陣に駆けつけた。
「今すぐ全軍を前に出すべきです。総力をもってすれば、接近している敵軍などすぐに撃破できます。その後、奇襲部隊と合流して、敵中枢に致命傷を与えれば、勝利は確実です」
「馬鹿か! 奇襲が失敗したからこそ、敵がこっちに向かっているんだ。合流すべき味方はいない!」
彼はそう言うものの、ブノワはラグランジュ軍の不審点を見出した。
「敵陣で未だに喚声がしています。奇襲部隊は敗れておらず、戦闘は継続しているものかと思われます」
「敗残兵狩りでもしているんだろう。貴公も早く持ち場に戻り、迎撃準備を整えろ」
納得はしていないが、仕方なくブノワは自陣へと戻った。
前進してきたラグランジュ軍と交戦状態に入ってもなお、敵の動きへの不審は拭えなかった。
ボワイエ軍本隊が戦闘をしている頃、奇襲部隊に焦りの色を帯び始めていた。
奇襲から時間が経過し、さらにリュカが冷静に対応したため、その効果が薄れてきている。
「主力は何をしている! 今すぐに全軍を突入させれば、敵の瓦解は間違いないというのに」
最前線で戦う東部の貴族は、敵の中枢を痛打することよりも、部隊が孤立することを考え始めた。
そして敵陣奥深くまで進んだが、敵が避けて進路を譲っているだけなのではないかと思い始めた。
今彼が対峙しているのは、混乱していない万全の構えのラグランジュ軍だ。
読まれているとは思わなかった。
交戦に入った時の手応えはまさに混乱状態であった。
それゆえに現状を理解できないでいる。
ラグランジュ軍の矢が降り注ぎ、槍を構えた兵士が迫りくる。
「退却だ!」
残された選択肢はそれだけであった。
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