第73話 ボワイエ家の落日

 西部だけでなく、南部のリーベック帝国の動きが不穏ということもあり、ボワイエ公は本拠地に帰っていた。


軍を預かっているのはクロヴィスだが、所領はリーベック帝国と国境を接している上に、そこは帝位継承戦争後に得た土地である。

クロヴィスの場合とは違い、元からいる貴族が依然存在し、新領土を完全に掌握しているわけではない。

南部からの侵攻に合わせて寝返る可能性もある。

不安定な東部を少しでもまとめるべく、ボワイエ公は所領で活動している。


 そんな彼の部屋に、ウスターシュが訪ねた。

「何の用だ」

 着席を促しつつも、ウスターシュに要件を聞いた。


「勅命による決起のときが来たのです」

「何を言っているんだ」

 要領を得ていない彼に、ウスターシュは手紙を差し出した。

オオカミの印璽が捺された封蝋にウジューヌは気づいた。


「陛下はご乱心だ。すぐに帝都に行く。お前はここで職務を代行していなさい」

「父上、お待ち下さい! 陛下は軍権を背景に宸襟しんきんを騒がす奸臣を討たねばなりません」

 ウジューヌは立ち上がり、ウスターシュを睨みつけた。

「馬鹿者! 大黒柱を自分から切る真似をするつもりか! あまりに軽率過ぎる。お前を廃嫡する」


 ウスターシュの顔がみるみる青ざめていく。

「な、なぜです! それに他に子がいないのですよ、後継者は私しかいないんです!」

「分家の者から養子を迎えればいい。とにかくウスターシュは廃嫡した上で幽閉する」

 冷徹に、何の感情の起伏も見せずに言い放った。

ウジューヌは踵を返し、ウスターシュに背中を向けた。


 一方でウスターシュは体を震わせ、さっきまで父親だった男の背中を見た。

右手が腰に佩いた剣に伸びる。

「父上……いや、貴様は陛下に背き、ラグランジュ家にへつらう佞臣だ!」

「いま何と言った!」

 ウジューヌ


「あっ!」

ウジューヌの腹部に生ぬるい感触が広がっていく。

「ウスターシュ……馬鹿な……ことを……」

 薄れゆく意識の中で、彼が最期に見たのは、血走った目のウスターシュだった。


 急速に熱を失ったボワイエ公を見て、ウスターシュは自分のしたことが、取り返しのつかないことだと、ようやく理解した。

それは愚行を犯した男の手の震えを誘発させ、、思わず剣を落としてしまった。

血に濡れた剣が、責任を問いかけている。

そのようにウスターシュは感じた。


 机に置かれた手紙を手に取った。

獅子の印璽が今の彼にとっての拠り所だ。

自分は正義を遂行しようとしている、だから何も恐れる心配はないと、自分を勇気づけた。


******


「もはや皇帝の意思は明確です。作戦発動を覚悟してください」

 シュヴァリエの言葉に、クロヴィスは虚ろな目で応じた。

「だ、だがボワイエ公が息子の行動を認めるとは思えない」

「そうです。ボワイエ公が無事でいる限りは大丈夫でしょう。ですが拘束されていたり、はたまた害された場合はどうでしょう」

「今がそうである根拠はない」


 クロヴィスは反論するが、それに動じる気配をシュヴァリエは微塵も見せない。

「刺客が帝都に帰った後の動きを心配しているのです。オオカミの印璽を使って失敗した以上、武力を使って潰しにかかるのは最早明白です。隠し立てする必要がありませんから」

「まだ対立すると決まったわけではない」

「戦いが起きた時に備えるのです。以前お話したように、皇帝を弑することはありません。どうかご決断を」


 ジェロームに危害を加えない。

それがクロヴィスの背中を押した。

まだジェロームと手を取り合い、共に改革を進められると、まだ信じている。


「ウスターシュが軍を動かした場合は作戦発動を許可する。リュカにはいつでも軍を動かせるように、ベルトレとバゼーヌには帝都に入るように伝えてくれ」

 指示を出すクロヴィスの目には強い意思が復活した。


 ボワイエ家のことで、クロヴィスは気がかりなことに思い至った。

「エレオノールが心配だ」

「ウスターシュへの内通ですか?」

「違う。彼女はそのようなことはしない」


 ウジューヌにエレオノールとの結婚を提案された時、彼女と交わしたやり取りなどを考えて、謀略の類はできそうに思えない。

表情や言葉が先に出て、裏でこそこそするようなことに向いていない。


「実家と戦うとなると、彼女も不安だと思った」

「ですが今はそれどころではないかと。敵のことに注力してください」

 戦う相手は西部もいる。

「西部諸侯はダヤンとフランクールに任せても大丈夫だろう。基本方針はすでに伝えているのだから。いざとなれば、私がここを離れることも可能だ」

「為すべきことはこれで決まりましたね」

 クロヴィスは自信をもって頷いた。

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