第70話 西部への道

 ウスターシュは秘密外交の不首尾を、ジェロームの私室で彼に報告した。

ジェロームは彼を叱責することなく、初めての外交を労った。


 しかし何一つ成果を挙げていないにもかかわらず、ジェロームの機嫌が良いことに、ウスターシュは不気味さを覚えた。


「実は刺客を雇ったのだよ。さあ来てくれ」

 ジェロームが手を二度叩くと、私室の扉が開かれた。


とてつもなく大きな存在感が背後から迫ってくるのをウスターシュは感じ取った。

姿を見ずとも、化け物だとわかってしまう。


「彼はガストン・デュカス。山賊をやっていたところを、臣下を遣って雇い入れたのだ」

 デュカスはジェロームの横に立っているが、その体格差は子どもと大人、それ以上の何かに形容するしかないほどの巨体を誇る。

眼光は大きく見開かれ、常に獲物を探し求めているようだ。

唇の奥に覗かせる鋭い歯や、立派に蓄えた顎髭も、威嚇するために備え付けられた装置に思われた。


「ところで、西部諸侯に不穏な動きがあるそうだ。討伐にラグランジュ公を向かわせるつもりだ。その道中にデュカスを差し向ける」

 ウスターシュは上手くいくか疑問に思ったが、デュカスの獰猛な獣そのものの容貌を見て、疑念をどこかに追いやった。


 しかし今度は疑問が沸々と湧いてくる。

「ラグランジュ公を誅殺するのはいいですが、討伐するより前に彼を始末してよろしいのですか?」

「西部諸侯に中心的人物はいない。所詮は烏合の衆だ。君の家が手柄を立てるとよい」

 ウスターシュは深々と頭を下げて、感謝の意を示した。


「今日のうちに、ラグランジュ公に討伐のことを伝える。もう君も軍の準備をした方がいい」

「御意」

 高揚感を抱えたウスターシュは部屋を後にした。


******


「また戦争か」

 クロヴィスはカークス城で、ジェロームから西部諸侯討伐の命令を受け取った。

「季節はこれから冬へと向かいます。西部は北部ほどではないとはいえ、寒いところだと聞いています。折からの疲弊に加えて士気にも影響が出そうですね」

 リュカの言葉に黙ってうなずいた。


 窓際に座っているクロヴィスの髪を、中秋の風がふわりと揺らす。

冬は少し先だが、迫りつつある。


 西部は乾燥した土地で、そこに冬が到来すれば、食料や水で苦労するのは明白である。

「ですが大きな川は一つだけ流れています。西部の大都市は全てそこに集中もしています」

「それって補給に困らないけど、敵が一番頑強なところじゃないか。川沿いの地域は全力で防衛するのは目に見えてる」

「そこにいるのは西部の有力な貴族ばかりです。他の貴族は自領の守りを放棄させられて、他所の土地を守ることを強いられるのですよ」


 リュカは底意地の悪そうな笑顔を見せている。

クロヴィスは彼の意図を理解した。

「中小貴族のがら空きの所領を荒らして、中枢に籠もる西部諸侯軍内部に亀裂を作るのが狙いか。性格の悪い作戦だな」

「戦争は騙し合いですから」

「そうだね」


 クロヴィスはおもむろに立ち上がり、今回の作戦に参加させる将軍を呼び出した。

クロヴィスとリュカだけがいた部屋に、ダヤン、フランクール、シュヴァリエが集められた。

最初にクロヴィスが討伐のことと作戦を話し、その上で彼らに意見を求めた。


 真っ先に意見を述べることを求めたのはシュヴァリエだ。

「兵力はどれだけ動員しますか?」

「敵の戦力を鑑みれば、十万はいるだろう。中枢に籠もらせられるだけの兵力が無くてはだめだ」

「その通りですが、今いる兵士と徴兵可能な人口を合わせた数の、半数近くの兵力ですよ。現状のことを考えれば負担が大きすぎるかと」


 クロヴィスもそのことはわかっているが、他にどうしようもない。

「ではどうしろと?」

「西部諸侯はジェローム帝を嫌っています。彼の首を土産に持っていき、諸侯を呼び出して皆殺しにするのです」

「逆賊の汚名を着せるつもりか!」


 クロヴィスの激高に、少しも動じることなく、シュヴァリエは持論を話し続けた。

「皇帝とボワイエ公のご子息が、公爵様のお命を狙っているという情報が入りました。このままでは殺されてしまいますよ」

「流言飛語の類に踊らされるつもりはない」

「いえ、そうではありません。宮廷にいる『耳』からの情報です」

「それでも確証がない。当初の作戦でいく。いいな」


 一ヶ月後、ラグランジュ公領から十万人の軍勢が進軍を開始した。

クロヴィスはまず、西部と中央の境界にあるレジーヌ要塞を目指し、そこで待機することを命じた。

討伐の勅命はまだ正式に出ていない。

勅命が出ても大きく動かない。

できる範囲で負担をかけない道を彼はリュカと選んだ。

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