第60話 残された者たち
スロース城にリーベック帝国軍の主要な将軍たちが集まっている。
「南部を平定してまだ一年。東部はまだ完全に安定していない。防衛に差し向ける戦力は限られている」
机に広げられた地図と、自軍を表す白い駒を見ながらベアトリクスが諸将に語りかけた。
「それは敵も同じでしょうな。侵攻軍は五万人。おそらくエブロネス攻略が主眼で、南部平定でも楔を打ち込むことでもない。今すぐ急行してブラッケを助けに行きましょうか?」
ボックが自信有りげに、自らの胸をドンと叩いた。
「いや、私自ら出陣する。今すぐ動かせる兵力は?」
「三万人です」
フェナの答えに満足そうにうなずいた。
「ではそれを救援部隊に使おう。城内のブラッケが呼応してくれれば十分勝てる」
「だが敵将はあのラグランジュ公と聞いている。干戈を交えることに抵抗はないのかい?」
「それがどうした!」
机を思いっきり叩き、諸将を睨みつけた。
「いや、すまない。それでも私が行く。これは命令だ、いいね?」
彼女に気圧された諸将は黙ってうなずいた。
「ボックとファン・フリート、クライフは私に従って戦ってもらう」
「あいよ」
戦への高揚感を抑えるように、わざとぶっきらぼうにボックは答えた。
******
帝都陥落後、西部に逃れたアラン・ジルーは、内心ではジェローム帝を快く思っていない貴族の配下になっている。
彼はロンサール公の配下で、カークス城攻防戦に参加して敗残兵をまとめた人物だ。
そのことを公に評価され、重要なことを任せると言われたが、そのようなことはなくロンサール家は滅亡した。
平民出身者など眼中にないから忘れてしまったのだろうか。
たとえそうだとしても、わざわざロンサール公直々に評価された。
そのことをずっと気にしている。
所詮は口約束。
たとえそうだとしても、彼に評価されたことはジルーにとってはかけがえのない出来事だ。
ならばすべきことはひとつ
ロンサール公の仇討ちをするしかない。
ジルーはすぐに主君のルメール伯に、反ジェローム帝を掲げた蜂起を上申した。
「気持ちはわかるよ。けれど無謀すぎるね」
長い金髪を指で弄びながら若い伯は答えた。
「しかし伯爵様も今の皇帝を好んでいらっしゃらないのでは」
「気持ちはわかると言った。だがこの帝国で最強の家はどこだ。ラグランジュ公に敵うわけがない」
ジルーはここで引き下がるわけにはいかない。
「味方がいれば話は変わりますか? とくに西部は伯爵様と同じ気持ちの方が多いと聞いています」
「その通りだね。けれど私が兵を挙げて誰が従う? それとも誰が指揮を執る?」
そう答えることはジルーの予測の範疇だ。
「デ・ローイ辺境伯です」
その言葉を聞いた途端、髪を弄る指が止まった。
「なりふり構わないというのか。面白いことを言うね」
「では――」
逸るジルーをルメール伯が制止した。
「君が辺境伯のところへ交渉に行くんだよ。それが条件だ」
これ以上の譲歩は見込めない。
ジルーはこの条件を飲んだ。
******
クロヴィス率いる五万人の兵が、エブロネスを包囲している。
「敵は五万人か」
難しい顔をして、ブラッケは外の敵軍を見ている。
「総攻撃をかけられると、たまったもんじゃないな」
そう言いながらブラッケは甲冑に着替えた。
「さて、夜になれば行くぞ」
隣で外を見ていた側近は要領を得ていない顔をしている。
「わからんのか? 打って出るんだよ。奴らの出鼻を思いっきりへし折ってやるのさ」
「後退して攻撃を躱されると思うのですが」
「だったら後退する以上の速さで攻めればいい。簡単なことだろ?」
全く簡単ではない。
そう言いたげな側近だが、何を言っても無駄だと理解し、自らも完全武装した。
「ところでだ、陛下はどれだけの軍勢を送ってこれると思うか?」
「東部はまだ安定しているとは言い難いですし、多くは送れないかと」
「そうだな、まだ結婚式すらできてないくらいには安定してないな」
ロンサール公との戦いが終わった後に式を挙げる予定だった。
しかし東部の不穏分子を抑えるために、ベアトリクスが東部に長居していたため挙式できないでいる。
「陛下はもう少し人に任せることを覚えたほうが良いと思う。お前もそう思うか?」
「そう尋ねられましても……」
戸惑う側近を見かねたブラッケが、彼の背中をドンと叩いた。
「真面目なのはいいことだ。だが、道徳は常に我ら軍人の味方ではないことを覚えておけよ」
「わ、わかりました」
ブラッケは鞘から大剣を引き抜いた。
「久々にこいつの出番だ。しばらく留守番ばかりだったから、その分暴れさせてもらおうか」
眼下にいるクロヴィスの軍勢は、ブラッケにとっては獲物の群れに写った。
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