第59話 偶像
ロンサール公の滅亡から翌年、クロヴィスとボワイエ公ウジューヌはエティエンヌの宮殿に呼び出された。
「戦争が終わって一年が過ぎた。だが、まだ南方に予の敵が居座っている。実に度し難いことだ。そうは思わんか?」
ジェロームが二人に問いかけた。
その問いには困惑の表情をもって返事とした。
二人とも困っている。
皇帝にとっては「もう一年」だが、実際に戦争で荒廃した領土を統治している二人の立場では、「まだ一年」だ。
「陛下、お気持ちはわかります。ですが民は自分たちのことで手一杯です。どうかご自重ください」
ウジューヌの諫言をジェロームは不愉快そうに聞いている。
「賊を放置しろというのか。彼らがいつ攻めてくるかわからないし、それだと南方に近い臣民が不安だろう。だからその不安を取り除いてあげようというのだ」
ジェロームがクロヴィスに軽蔑の眼差しを送った。
「ラグランジュ公は賊の長と仲が良かったそうだな」
彼の眼差しに、クロヴィスは疑念を感じ取った。
内通を疑われている。
「私の内通が不安ですか?」
「そうとは言っていない。ただ確認しただけだ」
悪趣味な男だ。
クロヴィスはそう思った。
「ではラグランジュ公、スエビ川北岸のエブロネス奪還を命じる」
「御意」
退出を命じられ、クロヴィスはカークス城に、ウジューヌは帝都エティエンヌにある屋敷に戻った。
要人は帝都に用があるときは、領内の城ではなく与えられた屋敷で過ごすことが通例となっている。
ウジューヌは馬車を走らせ、その屋敷へと帰った。
「お戻りになられましたか、父上」
その声の主は娘のエレオノールではない。
「ウスターシュ、お前には居城の城代を任せたはずだ」
ウスターシュ・ボワイエは次のボワイエ公の長男で、エレオノールの弟にあたる。
女性は当主になれないので、ウスターシュが跡を継ぐことになる。
「家の将来のことを話したくてここに来ました」
野心に輝く瞳に嫌な予感をしながらも、自室に通して話を聞くことにした。
「率直に言いますが、ラグランジュ公は危険です。なぜ謀反人の子に、姉上を嫁がせたのですか?」
「陛下を補佐するのに、この家だけでは力が足りないからだ。ラグランジュ公との両輪でこの国を支えるためであり、膨張著しい公を制御するためでもある」
「味方を得るために、姉上を犠牲にしたわけか。そのうち味方とやらに食われることになるでしょうね」
ウスターシュの挑発的な発言に、公は眉をひそめるが態度は変わらない。
「広大な領土を得たのだから、いずれはラグランジュ公と互角の勢力になる。しかも婚姻同盟で、友好関係を築き、政治に安定をもたらすことができる。もっと大局を見るんだ」
「見てますとも。弱小だったラグランジュ公は、かつてロンサール公に領土の切り取り自由を認めさせたことがあります。これほど野心的な男が、玉座を脅かさないはずがありません!」
救世の教団の乱討伐後に発生したロンサール公とシャンポリオン公の戦争に、クロヴィスはシャンポリオン公の領土切り取り自由を条件に、ロンサール公側として参戦したことがある。
そのように言われると、自分の考えに自信が失くなってしまう。
「わざわざ劣勢だった陛下の味方をしたんだ。ラグランジュ公は忠臣だ。二度とそのようなことを言うな」
ウスターシュは部屋から追い出されてしまった。
******
「もう戦争をするのですか?」
「リュカが言いたいことはわかっている。だが陛下の命令だ」
五万人の兵をカークス城に招集し、クロヴィスは城の壁から集めた兵士を見ている。
「彼らをもう少し休めたかったのだがな」
クロヴィスもリュカも、今回の遠征に乗り気ではない。
「誰を連れて行くのですか?」
「左翼にベルトレ、右翼にダヤン、中央にフランクール、後軍は私が指揮を執る。リュカとシュヴァリエはカークス城に残って、それぞれ軍事、内政を任せる」
「かしこまりました。ところで奥方はどうなさいますか?」
リュカの隣にいつの間にかエレオノールが立っている。
「もちろん私も連れていきますよね?」
完全武装のエレオノールを前に、クロヴィスはノーとは言えない。
「従軍するのは構わない。だが、いったい戦場に出てどうしたいんだ」
「将軍になりたいのです。こんな荒れた世の中を正す
真摯な眼差しがクロヴィスを捉える。
自分のすべきことを理解している目。
そんな目をクロヴィスは昔に見ている。
彼に向かって夢を語ったベアトリクスを彷彿させる。
そして彼女を討ちに征く。
いったい何の因果か。
道を違えたわけではないのに、同じことを夢見ていたはずなのに。
エレオノールを見ていると、形のない悔恨の念がこみ上げてくる。
けれど彼女はベアトリクスではない。
彼女にベアトリクスの偶像を重ねてはいけない。
そのことはわかってはいる。
「わかった。左翼に配属する。ベルトレの元で色々学んで欲しい。それと……」
「言いたいことははっきり言っていいのですよ」
そっけなく彼女は言う。
「死なないでくれ」
「当然のこと」
エレオノールはクロヴィスの肩を叩いて立ち去った。
ベアトリクスへの思いを彼女に託すのはエゴということは、クロヴィスにもわかっている。
けれど、ベアトリクスと歩めなかった道を、エレオノールと歩めるのならどれほどいいだろうか。
身勝手な思いを抱えていることをリュカに悟られるのを嫌がるように、クロヴィスは外にいる兵士たちに視線を戻した。
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