第26話 決戦への布石

 クロヴィスの到着により、兵力バランスが崩れたため、デ・ローイ軍は戦場から撤退していった。

撤退してからようやくクロヴィス以外の貴族軍が到着したことに、ロンサール公は不愉快になった。


 彼は戦闘に間に合わなかった貴族を呼び出した。

「なぜ早く来なかった! 危うく敗北するところだったぞ!」

 激怒するロンサール公に、貴族たちは頭を垂れるしかない。

力関係が圧倒的過ぎて、言い返すなど言語道断。

そのようなことをすれば、所領没収、爵位剥奪は免れないだろう。


 クロヴィスはこの光景を遠巻きに見ている。

「これから戦闘が本格化するというのに、これでは士気が低下してしまう」

「大軍ほど統制が重要ですからね」

 リュカが答えた。

「戦闘が膠着化すれば、講和してレディ・ベアトリクスも生き残れる」

「こういった諍いは膠着化の一助となります」


 クロヴィスにとってはこの状況は望ましい。

目的を同じくする、立派な彼女がこんなところで倒れていいわけがない。

彼はそう思っている。


 けれどこの戦いの後のビジョンが見えてこない。

権力の階段を駆け上がって、民衆のための政治を執り行える立場になりたいと考えている。

階段を登る過程で、ロンサール公は邪魔になるのではないのか。

本当はデ・ローイ家に味方すべきだったのか。


「自分の選択に迷いがあるのですね」

 そんな顔をしていると言いたげにしている。

「レディ・ベアトリクスと手を携えて理想の政治をしたいからといって、ここで味方してはいけません」

「わかっている。真っ先に潰されるだろうからな」

 クロヴィスもそのあたりはわかっている。

「理想と現実の谷間が深い。けれど今は雌伏のときです」

 時が来たら自ずと飛び立つ。

クロヴィスは自分にそう言い聞かせて、不安の動乱を鎮圧した。


******


 ベアトリクスは全軍でスエビ川を渡り、本土へと帰還した。

エブロネスすら放棄している。


「あそこでロンサール公を討てなかった以上、兵力で劣るこちら側があれ以上戦っても意味がない」

 ベアトリクスは諸将に説明した。

「エブロネスは北から来る敵を迎え撃つには向かないから、占領地を一切放棄したわけですな?」

 ブラッケは彼女の意図を確認した。


 彼はベテラン三将軍筆頭であり、長年デ・ローイ家の軍の重鎮として支えている。

前当主がベットに臥せっている間、彼が軍を預かっていた。


「放棄の意図はその通り。けれどもう撤退はできない。本土への侵入を許せば、あとは居城近郊で戦うしかなくなってしまう」

「そんな事態になれば、せっかく味方につけた貴族が寝返るかもしれませんね」

 フェナが最悪の状況を言った。


 ここでいう味方は、開戦前に根回しして味方につけた。ベイレフェルト、ファン・デル・ホルストの両家のことだけではない。

南方八旗の残りの五家のうち、三家はデ・ローイ家の勢力下に置かれている。

領主の元にデ・ローイ家の配下を家宰として送り込み、弱小な彼らはデ・ローイ家に逆らえず、家宰が支配者として当地を治めている。


 さらに領主の配下は長きに渡る間接統治によって、事実上デ・ローイ家の配下同然になっている。

これはベイレフェルト、ファン・デル・ホルスト両家傘下の家も同じ状況にある。


 半ば同化されたような状況であっても、デ・ローイ家が滅亡の危機に立たされれば、領主側が上からのクーデターを起こして家宰を排除する可能性が高まる。

彼らもまた生き残りがかかっているのだ。


「先手を打ったほうが安全かもしれないね」

「まさか……所領没収ですか?」

 フェナが恐る恐る尋ねた。

「そうだよ。領主に所領を差し出させ、彼らの私領ではなく、デ・ローイ家領の太守として統治してもらう。家宰はその見張りとして、しばらく留まってもらう」

「そしてその者たちの軍隊は自由に気兼ねなく戦争に動員できるわけじゃな」

 ブラッケは豪胆に笑いながら言った。


「これぞ大貴族の強権の見せ所」

 フェナが皮肉ってみせた。

「力は使うときに使うもの。それにここで私達が倒れたら、誰が民衆を救うっていうの? 我欲にまみれたロンサール公には無理よ」

「想い人、ラグランジュ伯クロヴィス様」

 ニヤリという擬音が聞こえてきそうなほどの笑みを浮かべた。

「ばか! 彼は目的こそ同じだが、今は残念ながら敵同士だ!」

「ふーむ、つまりベアトリクス様も乙女であるということですな!」

 ブラッケはまた豪胆な笑い声を響かせた。


「それでも彼とは同じ未来を見ている。だから共に歩めるときが来ればいいのだけれど」

 ベアトリクスは伏し目になり、目を逸らした。

争わなくていいにも関わらず、戦うことになった現実を思うと、心の深くで痛むものがあった。


「まあ大丈夫ですよ。戦いを我らの勝利で終わらせて、ラグランジュ伯が我らの軍門へやってこれるようにすればいいまでのことよ」

 ガハハと大きな声で笑い、ベアトリクスを励ました。

「そうだ……そうだね」

 顔を上げ、諸将に自信に溢れた表情を見せた。


 そして南方八旗の小貴族たちの所領没収は迅速に行われ、領主側からの反発を引き起こす隙を与えなかった。

もともとデ・ローイ家領に近い存在だったため、表面的には大きな影響が無いように見える。


 しかし後顧の憂いを断ち、その軍隊を自由に動員できるようになった。

ロンサール公には微々たるものであっても、ベアトリクスには劣勢を戦い抜く大きな戦力になることは疑いようもない。

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