第11話 カレテス川の戦い

 カレテス川はシャンポリオン公領の西部中央を流れる川で、川幅はそこそこ広いが徒歩で渡れる深さである。

そこにクロヴィスの軍隊が到着した。

「どこに陣地を築きますか?」

「川岸がいい」


 川岸と森の間は狭く、陣地を築ける場所が限られている。

布陣場所に選択の余地はない。

「森にはどれくらい兵力を置きますか?」

 森の伏兵が作戦の要になる。

それの規模が勝負の分かれ目になりうる。

 分かれ道となりうるこの判断を、リュカはクロヴィスの目を強く見据えて訊ねた。


「五千人だ。敵はおそらくこちらの戦力を私兵だけだと思っているだろう」

「ではどこの部隊を川岸に配置しましょうか?」

「占領地から動員した兵士を使おう」

 急に動員された彼らは士気が低く、戦力としては怪しい存在だ。

正規軍の方がマシとさえ言える。


「どうせ川岸で負けて森に引き込むなら、リアルな負けっぷりの方がいいだろう」

「では指示通り兵を配置してきますね」

 リュカが指示を出すためにクロヴィスから離れて数分後、兵士たちは慌ただしく動き始め、川岸には柵が建てられていく。


 陣地が出来上がった頃に、ロベール率いる軍が対岸にたどり着いた。

「ラグランジュ軍は川岸に陣を敷いたのか……」

 あざけりを込めて言った。


 通常、川で迎撃する場合、岸から少し離れたところに布陣するものだ。

岸に布陣すると、渡河中の敵を攻撃できる代わりに、対岸の弓兵などの攻撃を受けて消耗し、渡河してきた敵に防衛線を破られる可能性がある。


 なので離れた場所に布陣して、一部が渡り切ったタイミングで攻撃を仕掛ける。

渡河部隊が態勢を整えられないうちに撃破でき、川によって敵戦力を分断することが兵の常道と言われている。


 とはいえ地形の制約で、川岸にしか布陣ができない。

それなら森で奇襲するか、火計を仕掛ければいいはず。

簡単にそれを見抜かれるから、下策ともいうべき川岸の布陣にしたということだろう。

渡河中の軍を少しでも消耗させて、別の戦場で決着をつける算段なのかもしれない。

ロベールは相手の意図が読めず、なかなか判断を下せない。


 布陣場所がわかったので、判断材料を増やす意味も込めて、敵戦力を改めて確認した。

八千人もいるようには到底見えない。

約三千人という報告を受け、ロベールは悩んだ。


 消えた正規軍はなんだったのか。

本当にクロヴィスが強奪したのか。

もしも強奪したのなら、その兵力はどこへ。

ロベールの視界に、鬱蒼と茂る森が遠目に映った。


 伏兵の可能性だ

そもそも八千人も動員する力もないし、ロンサール公が物的支援をする時間もなかった。

支援するには、救世の教団討伐以前から接触があるはず。

その時期にクロヴィスに接近するとは到底思えない。


 クロヴィスは正規軍を強奪していない。

敵の戦力は三千人で、小領主たちは油断していたために敗れた。

そうだ、そうに違いない。

ロベールは結論を出し、自らを納得させた。


 腑に落ちた彼のもとに、大粒の汗を垂らした参謀が飛び込んできた。

「何事だ」

「補給物資を焼き討ちされました!」

 ロベールは慌てない。

一万対三千の戦いなのだから、短期決戦で勝てる。

手持ちの糧食で問題ない。


「歩兵に渡河の用意を、弓兵は歩兵の後方に展開し、歩兵を支援させろ」

「かしこまりました」

 大粒を垂らして参謀がそそくさと下がっていった。


 ロベール軍の動きはクロヴィスからも確認できた。

焼き討ち成功の報告を聞きながら、心を躍らせている。

自分が将軍として指揮を執り、戦場を支配しようと駆け引きしている。

この事実が彼を高ぶらせた。


 敵が川を渡り始めた。

川岸に陣取る弓兵に緊張が走る。

川の半ばまで迫ったとき、命令が下された。

「放て!」


 矢が弧を描く。

膝まで水に浸かった兵士に降り注ぐ。

場所が場所だけに自由に動けず、水に朱が添えられていく。


 対岸からも矢が注がれる。

時間の経過につれて、渡河中の兵士に降りかかる矢が減っていく。

弱まる抵抗に乗ずるように、対岸への上陸を果たした。

「引け! 引け!」

 クロヴィスが撤退を指示した。

川岸にいた弓兵が算を乱して森の中へ逃げていった。


 クロヴィスの退却を見ると、二千人の後詰めを残し、ロベールは本陣と弓兵も渡河させた。

川を挟んでいると、前線の状況がわからず、指示も遅れてしまう。

対岸に陣地を構え、次の指示を逡巡してしまった。


 このまま森に突入しても問題ないのか。

伏兵の可能性の有無。

リスクが頭を巡り巡る。


 先遣隊を派遣して、何もなければ後続も続けばいい。

千人ほどを森を抜ける道へ進軍させた。

伏兵がいるとしたら、兵力差を少しでも埋めたいクロヴィスは、必ず手を出す。

ロベールははそう睨んだ。


 森の中へ先遣隊が進み始めて三時間後、森を抜けたということと、別の報告も飛び込んできた。

「森の先に陣があったと? 兵力はどれくらいだ」

 参謀に問いかけた。

「空堀と陣幕があっただけで、兵の姿は確認できなかったそうです。周囲に姿を隠せる地形は、抜けてきた森と陣幕のほかにありません」


 敵の狙いとはなんだ。

無防備の本陣に見せかけて、空堀に伏兵を潜めている。

他に先ほど退却した兵が逃げ込む場所がない。


 しかし森より狭い空堀なら、対応は容易。

「森を突破せよ!」


 主力が進軍を始めた。

森を抜ける道を伝い、先へ先へと進む。

ロベールは川岸に敷いた本陣で戦勝の報告を待つだけでいい。

そのはずだった。


 待っているのはクロヴィスも同じ。

彼とリュカは枝葉の隙間から街道を見守っている。

「敵の先頭集団が通過しますよ。どうします?」

「先頭は見逃す。中軸から狙う」

 彼らの前を先頭集団が通り過ぎて行った。


 間髪を置くことなく中軸が通りかかった。

「かかれ!」

 街道の道筋に沿うように、一斉に森の中から兵士が飛び出した。

最初の一撃で敵は混乱に陥った。


 中軸から後続はろくな抵抗もできないまま、混乱だけが広がっていく。

「すべてはこのための布石だったのか。補給物資を焼いたのも、川岸に布陣したのも、森の先に陣地を構築したのもなにもかも! 撤退しろ!」

 命令したところで、逃げ場は失われている。


 中軸から後続まで、伸びきった部隊は簡単に寸断され、各地で小包囲網ができては殲滅を繰り返している。

ロベールは前線部隊の撤退を諦めるしかなく、本陣の部隊をまとめて対岸へ退却した。

「これからどういたしますか?」

 怯える小動物のように、おどおどと参謀が尋ねた。

「もう兵力のほとんどを失った。勝てる見込みはない。全軍撤退だ」

 ロベールは力なく淡々と命じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る