第2話 貴族の喜びと庶民の楽しみ
クロヴィスも、まさかこんな事態になるとは思ってもいなかった。
ベアトリクスから誘われる事態なんて、全く想定していない。
「見事デートに誘えましたね」
リュカが茶化してくる。
「そういうつもりじゃなかったのだが……」
これには思わず苦笑いするしかなかった。
一方のフェナも苦笑している。
自分の主が大胆にもデートに誘ったのだから。
「将来の当主たるもの、大胆不敵にデートに誘えてこそですね」
クスクスと笑いながらベアトリクスに言った。
このような態度を取れるのも、二人の信頼関係あってのものだ。
同じ年、同じ月、同じ日、同じ土地に生を受け、ともに過ごしてきたからこその関係。
互いに何よりも大事に思っており、それが失われたときは互いの死だと考えているほどだ。
だからこそフェナにとって、ベアトリクスが楽しそうに笑っているところを見るのは、至福と言える。
クロヴィスと話していたとき、イキイキしていたから。
ベアトリクスを奇異の目で見る人はいても、話しかけてくる男はいなかった。
男社会に乗り込んできて堂々としているような女性なんて、並みの男ぐらい圧してしまうぐらいの度胸や気概があるだろうから、怖くて話しかけるなんてできないのだろう。
なにもともあれ、クロヴィスと会話できたことはいいことだと、フェナは感慨にふけった。
******
ついにこの日が来た。
どのような顔をして接すればいいのだろうかと、クロヴィスは例の3人と街を歩きながら思っている。
学校がある街のミリアンには立派な表通りがあり、そこにはハイブランドの店が軒を連ねている。
上流貴族や財を成した企業の幹部やその一門が、通りに陳列された豪奢な商品を眺めて、そして店の中へ消えていく。
下級貴族のクロヴィスには全く縁のないものばかり。
「あれ綺麗だね!」
ベアトリクスがショーウィンドウに並べられたティーセットを見ている。
草木をモチーフにした透彫のソーサー、オリエンタルブルーのティーカップ、花鳥風月のティーポットなど、どれもこれもクロヴィスの実家にはない代物ばかりが並んでいる。
こういったものを彼女は買うのだろうかと、クロヴィスは気になった。
「こういうのを買うんですか?」
思い切って訊ねた。
「ううん、見てるだけでいいの。それだけで心は豊かになるよ」
彼女は贅沢品には手を出さない人のようだ。
「ここも楽しいけど、もっといいところがあるよ」
ベアトリクスが足早に歩いて先を行く。
すれ違う人たちの服が、段々と変わっていく。
品のある、見るからに高そうな服はいなくなり、貧相で所得のなさを体で示しているような服装が、埃っぽい街を闊歩している。
上品さなんて欠片もない。
けれど人々の目は、富貴とは違う活力を感じる。
けれど心躍る何かが確かにそこにある。
「ここに行こうよ」
ベアトリクスが指差した先にあるのは、極めて庶民的な安い酒場。
「え、あそこに行くんですか?」
「ええ、昼間から飲むお酒は背徳的で甘美だよ」
彼女の大胆さに、クロヴィスは困惑してしまった。
「学業に影響が出ない範囲なら、私は黙認します」
フェナの言葉に、クロヴィスの困惑は広がっていく。
主人が大胆なら、従者もまたしかりと言うべきだろう。
助け舟を求めるように、リュカに目配せをした。
「いいですね。提案に乗ってはいかがですか?」
彼の目は笑っている。
クロヴィスが困っているのをわかった上での行為だ。
忠誠心をどこかに置き忘れてきたのかと茶化そうと、喉まで出かかったが言語化しなかった。
情勢不利を悟ったクロヴィスは、三人とともに酒場へ入っていった。
テーブルが無造作に置かれ、カウンター席には常連と思しき客たちが、グラスを片手に話している。
マスターと思われる人物の後ろには、棚いっぱいに酒瓶が積まれている。
それらひとつひとつが、蠱惑的に誘惑をしているように見える。
善悪を天秤にかけられた心地だ。
四人は適当なテーブルにつくと、ベアトリクスが勝手に人数分のビールを注文した。
クロヴィスは抵抗することをやめた。
かの女性の前ではどんな抵抗も無意味。
おとなしく尻に敷かれている方がいい。
それが少ないやり取りで得た教訓だ。
けれど不快感はない。
むしろ清々しい気分すらする。
理由はわからない。
けれど一緒にいて楽しい、これからも同じ時間を過ごしたいと思わせるには十分だ。
テーブルに四人分のジョッキが並んだ。
「私の奢りだから、気にせず飲んでね! かんぱーい!」
女性に奢らせるのはよろしくない。
そうは思ったが、言ってしまうのは野暮なのでおとなしくジョッキを交わした。
雑味が多く、安酒らしい安酒が喉を通過する。
お世辞にも美味しいとは言えない。
ビールではなくアルコールを飲んでいるようだ。
「雰囲気いいでしょ?」
満足げな表情で、ベアトリクスが言った。
グラスとテーブルがぶつかり合う音。
粗野な会話が飛び交う空間、庶民的アンサンブル。
「私はここが好き。ここには活気があるから。貴族たちの、体面ばかり気を使った堅っ苦しさがないの」
ここには息苦しさはなく、どこまでも開放されている。
「権力を得たら、ここみたいに明るくて開かれた社会にしたいの。メンツばかり気にして、何もしない今の無力な貴族は嫌いだよ。農村の人民も明るく暮らせるようにしたい! そして、一人が力を独占するような体制はだめだと思ってる」
彼女の目はどこまでも純粋でキラキラしている。
心の底からそれを望み、それを成し遂げようとしている。
「この帝国を変えたいですね。思いは同じです」
父親が死ななければならなかったこの国を、父親がなし得なかった改革を自分の手で行う。
「もしも、ここの人たちが怒りに震えることがあるのなら、代弁者として私は立ち上がる。怒りは革命の要求で、その原動力だから」
目的のためならば手段を選ばない。
そう思わせるだけの力強さを、彼女の瞳と言葉に感じた。
「ところで、どうして帝国にこだわっているの? あなたにとっては、仇になるはずだけど」
彼の周りからすれば、帝国への忠誠は不自然なものとしか思われない。
「父は帝国の腐敗を取り除くために奮闘し、処刑されました。こうなった原因は、皇帝をないがしろにし、私利私欲に走る大貴族が、民衆そっちのけで権力闘争に明け暮れているからです」
「だから帝国も皇帝も恨んでいない、忠誠の対象ということなんだね?」
クロヴィスは確信をもってうなずいた。
彼の忠誠心は揺るぎなどしないということを、態度で示した。
「皇帝の隣に行くために、武勲を上げて認められるしかないんです。地位が低いですからね。だからここに入学しました。改革するにも、力がないとできませんから」
「それは言えてるね」
ベアトリクスは闊達に笑っている。
既に実力があるゆえの余裕だろうか。
クロヴィスは彼女との立場の違いを感じた。
「どんな国が理想なの?」
ベアトリクスがシンプルだが本質的な質問を投げかけた。
なんと答えるべきか、クロヴィスは迷う。
そんな彼を他の三人は見ている。
次の言葉で自分の評価が決定するのかもしれない。
そう思うと、クロヴィスは緊張するしかない。
それでもよく考えた上で、口を開いた。
「猫が鳴いたら騒ぎになるような社会にしたい」
三人はポカンとした。
しかしベアトリクスは意味を理解し、クロヴィスの答えから少し間を置いてから笑い出した。
「つまり平穏無事な社会が理想ってことだね。面白い答え方をするね」
通じてよかったと、クロヴィスは内心で安堵した。
「きっと、行く手は修羅の道だよ。謀反人の息子を見る目が優しいはずがないから」
そんなことはクロヴィスも、リュカも承知している。
「それでも父上の遺志は受け継いだんです。だから、どこにだって戦いに行き、功績を残すつもりです」
「もしかしたら、一緒に戦うかもしれないね。そのときはよろしく」
差し出されたベアトリクスの手を、彼はしっかりと握った。
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