第20話「幼稚園教諭・生田絵理奈」①




第5話 「幼稚園教諭 生田絵理奈」



【人はいつだって、いろいろなものにさよならを言わなければならない。】

ピーター・S・ビーグル(アメリカ/SF小説家)




 晴れの日が続き、園児たちが外で遊ぶには絶好な日が何日も続いた。冬の寒さはまだあるが、少しずつ春へ近づいており、4月になればこの幼稚園に植えられている桜の木に桜の花びらが付くころだろう。そして、一つずつ成長をする子、新しく入園してくる子。私にとっての楽しみであり、生きがいと言える。


 「えりな先生―!」と園児から呼ばれた私は、その子のもとに駆け寄った。

「どうしたの日奈ちゃん」

私は、同じ目線になるようしゃがんで話しを聞いた。

「あのね、好きな人に好きって伝えるときどうしたらいいのかなって」

「あっ、日奈ちゃん好きな人がいるんだ」

少しもじもじしたようにうなずくと、私の耳元まで近づいて小声で名前を言おうとしたので、私は日奈ちゃんのほうに耳を傾けた。

「そうなんだ。どういうところが好きなのかな?」

「ほかの子からも人気なのに、私のことばっか見てくれるから。それにね、みんなと遊ぶのが苦手な私に、一緒に遊ぼ!って言ってくれるの」

「優しいんだね」

「内緒だからね、えりな先生」

「わかった、日奈ちゃんと先生の内緒ね」

「うん!」

そう言うと、日奈ちゃんは嬉しそうに笑って見せた。


そんな話しをしていると「おーい、日奈ちゃん!」と男の子の声が聞こえ、その子が近づいてくる。すると日奈ちゃんは私の後ろに隠れた。日奈ちゃんの好きな男の子がやってきたのだ。

「先生、日奈ちゃんと何してたの?」

「内緒の話し」

「先生、いっつも女の子とコソコソ話してるけど、何話してるのかわからないんだよなぁ」

「女の子は秘密があるほうが素敵なの。お子様のこうへい君にはまだ早いのよー」

「先生のケチ」

「ケチで結構!」と自慢そうに言う私。

「そうだ、日奈ちゃんに用があったんだ、一緒に遊ぼ、みんなが待ってるよ!」

そう言うと、私の後ろで隠れている日奈ちゃんが恥ずかしそうに出てきた。すると、こうへい君が日奈ちゃんの手を握り、みんなのもとへ行こうとした。

「こうへい君、ちょっと待って」

「なに、先生?」

「こうへい君は、日奈ちゃんのこと好きなのかな?」

「うん!大好きだよ!日奈ちゃんおとなしいけど、楽しそうにして、笑うと可愛いんだ!」

「そっか」

「だから、ずっと一緒にいたいんだ!」

隣にいる日奈ちゃんが、さらに恥ずかしそうにしているのを見た私は声をかけた。

「良かったね、日奈ちゃん」と声をかけると、小さく頷いた。

「じゃあねー、先生」といい、二人はその場からいなくなった。


 私が幼稚園の先生を目指そうと思ったのは、単純に小さい子どもが好きだから。今年で27歳になった私は、教員5年目。そして、この幼稚園に来てからも5年目の年だ。ここで学んだことはたくさんある。園児との会話はとても楽しいし、純粋無垢な視点で話しを聞くことができる。


先日は男の子からこんな話しを聞いた。

「先生、テレビでヒーローもの見てたんだけど、いつも不思議なんだ」

「何が不思議なの?」

「悪い怪人が、かわいそうだなって」

「どうしてかな?だって、みんなを怖がらせたりするんだよ?」

「だって、悪い怪人は一人なのに、良い人たちはいっつも5人で戦うんだ。そんなのずるいじゃん!そんなの良くないよ!」と必死になって話していた。


幼稚園までバスで送迎をしているのだが、幼稚園から一番遠い園児は、最初に迎えがきて、最後に自宅まで送られる。だから、私とその子はバスの中では一番長くいる子になる。その子からこんな質問をされた。

「先生は、幼稚園に住んでるの?」

「ううん、先生もひろと君みたいに、自分のお家があるの」

「えっ!先生、幼稚園に住んでないの!?」

「幼稚園の近くに住んでるの」

「いつも幼稚園から来るし、そのまま帰っちゃうから幼稚園に住んでると思ってた!」と、ものすごく真剣な表情で話しをしてくれた。



女の子からは、よく好きな男の子の話しや「先生も好きな人いるの?」と聞かれることが多い。


「先生、わたし昨日ね、あやと君に告白したの」

「おっ、みなみちゃん大胆にいったわね。あやと君なんて答えたのかな?」

「僕は、えりな先生と結婚する!って言ってた」

「あら、あやと君ったら可愛いんだから」

「だから、先生は私と恋のライバル!」

「本当はみなみちゃんのこと応援したいけど、そう言われちゃったら仕方ないわね」

「先生には負けないんだからー!」



私の身の回りで起きることすべてが楽しい。だからこうして仕事を続けられている。今日も送迎バスで園児たちを送り、幼稚園に戻ってきたのが16時だった。職員室で今日あった出来事、報告を各クラスの担任が話し、明日の仕事の確認などを終えると、その後は各自自分のやるべき仕事を始めた。私は、保護者に向けてのお便りの作成を始めた。


「絵理奈さん、仕事終わりそう?」

「はい、18時までには終わりそうです」

「じゃあ、それが終わったらみんなでご飯に行きましょう」

「はい、ありがとうございます」

「でも、これが絵理奈さんと最後のご飯会になるのね」

「そんな寂しいこと言わないでくださいよ、また誘ってください!」

「冗談よ、5年間、本当にお疲れ様」

そう、私は明日、この幼稚園から別の幼稚園へ異動となるのだ。私が駆け出しの教員からお世話になったこともあり、寂しい思いは一層ある。園児たちに話した時は、みんな悲しそうな顔をしていたし、「先生いなくならないで!」と何度も言われた。純粋な子どもたちの姿を見て、私はそこで泣きそうになったが、いなくなるまで泣かないようにと心に決めていた。

今日も何人かの園児たちに「本当にいなくなっちゃうの?」と声をかけられたが、正直に「明日で最後だけど、みんなのことは大好きだから、また会えるから大丈夫!」と答えていた。


 私の仕事も終わり、最後に幼稚園内の見回り、戸締りをし、ほかの先生とともに私の送別会をするために、お店へ向かうことになった。


 先輩が行きつけのご飯屋に着いたのが19時だった。予約席をとっていたのですぐに席に着くことができた。お刺身や和食がメインのお店で、店内も板前さんの格好をした人が料理を作っており、内装も和風らしさが出ておりとても落ち着く。


 何より私の特徴としては…

「ほら、絵理奈さん食べるの大好きなんだからいっぱい食べて!」

「はい、もう全部食べちゃいます」

私はご飯を食べるのが大好きだ。子どもたちと接する次くらいに好きだ。私は目を輝かせてメニュー表を見た。刺身の盛り合わせ、ホッケの塩焼き、なんと牛タンや、ハラミなど、ちょっとした焼肉も食べれるではないか!

「あの、あの注文いいですか!」

「絵理奈さん、興奮しすぎ」

「だって、こんなに美味しそうなの初めてで!」

終始テンションが上がりっぱなしの私と、それを見て笑う先輩後輩。とりあえず、手当たり次第に注文を済ませると、いまかいまかと料理が来るのを楽しみにして待った。


「お待たせしました」

注文した料理がズラリと並べられると、私は興奮のあまり「待ってました!」と大声で言ってしまった。またもみんなから笑われながら、乾杯の一言を私が言うこととなった。


「あの、僭越ながら乾杯の一言を。私が今の職場で仕事を始めたのが5年前で、それが私にとって初めての実戦で。最初は研修中で学んだことが一切通用しなくて、毎日子どもたちを見ながら勉強をしました」

「絵理奈さん、何かある度に、聞きにきて。しつこい!ってくらいに」と笑っていう先輩。

「だって、心配なんですもん」と泣きつくように言う私。

「それくらい仕事熱心なんだなっていうのが伝わってきたわ。だから今はもう立派な先生になっちゃって」

「なので、私がこうして今の仕事を楽しく続けられるのは、皆さまおかげです!」

「向こうの幼稚園に行っても頑張ります!乾杯!」

「かんぱーい!」とウーロン茶が入ったグラスで乾杯をした。


「よーし、ご飯いっぱい食べるぞー!」

私は、いの一番に箸を手に取り料理を食べ始めたのだった。



 食事は食べ終わり、みんながひとしきり話しが終わったのが21時だった。

「じゃあ、明日も早いし、解散!」と先輩の一言で私の送別会が終わった。各々が帰宅をした。


 私は帰り道、これまでの5年間を振り返っていた。ただ子どもが好きだからという理由でこの仕事が務まるわけではないこと。子どもたちとの向き合い方。保護者との向き合い方。22歳だったころの私にはわからないことが多かった。むしろ、22歳ですべてを分かろうというのは難しい話しだった。怒られたこともあったけど、そのぶん、得たものも大きかった。


 もし、自分にも子どもができた時。とても嬉しいことだし、本当に幸せな気持ちでいっぱいになると思う。元気で自分のやりたいことをたくさんやらせてあげたい。ふとこういうことを考えてしまう自分がいる。自分もいつか結婚する日がくるのだろうか。あと何年後に結婚するのだろう。


「いや、まず良い相手を見つけないとなぁ…」


 あと自宅に着くまで数分というところまできた。私は鞄からスマホを取り出そうとした時だ。後ろから顔を隠した人が私に目がけてぶつかり、その衝撃で私はその場に倒れ込んだ。するとぶつかってきた男性らしき人が刃物を突き付けてきた。突然の出来事に私は恐怖で動けず、声も出せなかった。たぶん、この人に今ここで殺される。逃げ出したいのに、震えて動けない。


 そして、その時がきた。

男が私を刺し殺そうと、手に持った刃物を振り上げた。私はただ体をのけぞらせることしかできない。もうここで死ぬしかない。無情にも振り下ろされた刃物は、私の体に刺さると同時に、痛みもわからぬまま、目の前が真っ暗になっていった。

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