第14話「オタク・岡村拓海」⑦
外を出たころは23時。残す時間はあと1時間を切った。外は少しだけ冷えこんでいたが、空を見上げてみると朝降っていた雨は止み、空には星が輝いていた。僕は手を冷やさないよう、ポケットに手を入れようとした。が、その手を堀田さんに掴まれた。
「寒いから、手温めてほしいなー」
「ダメですよ!手を握るのは握手券があるときって決めてるんです」
「そう固いこと言わないでさ。ね、ちょっとだけ」
「ちょっとだけですよ」
僕は渋々答えたが、内心嬉しさのあまり死ぬかと思った。いや死んではいるのだが、死ぬくらい嬉しい気持ちで、心臓がドキドキとなりながらも、僕は堀田さんの手を握った。
「じゃあ行こっか」
今の時間が永遠に続けばいいのにと、心からそう思った。
僕と堀田さんの目の前には、黒服を着た男が6人立っており、迫りくる時間と、事の重大さを感じた。
僕には最後に叶えたい願いがあった。
それは「堀田さんだけでも生きていてほしい」ということだ。
朝の事故現場へ向かう道中は、沈黙が続いた。先ほどまで明るく振舞っていた堀田さんもおとなしかった。迫りくる死へのカウントダウンが、僕たちの心をそうさせた。堀田さんは青春のすべてを『アイドル』賭けてきた。一人で上京をしてきたのが16歳のころ。もし僕が16歳のころに上京すると考えたとき。そんな勇気はないと思う。明日もわからないまま日々を過ごし、同じグループとはいえ、仲間でもありライバルでもあるメンバーとの人気争いがある。プレッシャーで心も体も休まる暇もない。そんななかで堀田さんは生きてきたのだ。強い人だ。
沈黙のまま、事故現場に着いた。ブルーシートで隠された事故現場は、今朝の様子がわからない状態だった。僕と堀田さんは、ブルーシートをくぐり、今朝の乗ってきた電車見つけると、電車の中に入り、席に座った。手はまだ握ったままだったが会話ができないでいた。いや、正確には、どちらかが話すのを待っていたのだったが、僕は意を決してある質問をした。
「堀田さん、もしアイドルをやってなかったら、今頃、何をしてたと思いますか?」
この質問が、いかに非情なことかはわかっていた。でも。どうしても聞いておきたかった。堀田さんは少し考えてから話し始めた。
「たぶん、つまらない毎日を過ごしてたと思う。私、長続きしない人で、小学生のころはピアノとか、習字とか。いろいろ習い事をしてきたんだけど、全然続かなくて」
「それでね、ある日テレビを見ていたら、あるアイドルがいたの。私、それを見て、自分もアイドルになりたいって思ったの。次の日から、その人がいるアイドルグループのことを調べて、曲もたくさん聴いて」
「そんな時に、そのアイドルグループのオーディション募集の記事を見つけたの。それで勇気を出して応募してみたの」
「そのオーディションの結果は…?」
「最終審査までいって、最後の最後で落ちたの」
「そうだったんだ」
初めて聞いたことに驚いた。まさか、今のグループに入る前に違うアイドルグループのオーディションを受けていたなんて。
「もう悔しくて悔しくて。次こそは絶対受かってやる!って思って、次に受けたオーディションが今のグループだったの」
もし今のアイドルグループでなかったのなら、堀田さんに会うことはなかったのかもしれない。この巡り合わせは奇跡だったのかもしれない。そう思った。
「アイドルだけは、本気でやろうって。初めて長続きしたことだった。だから、アイドルをしてなかったら、私なんて時間を無駄にして一生を終えてたと思うの」
堀田さんが、アイドルに賭ける思いは本気だった。だからこそ、こんなところで死んでほしくない。僕はダメ元でもう一度黒服の男たちに聞いた。
「お願いします。どうしても堀田さんだけは死なせたくないんです!こんなところで死んだらダメなんです!堀田さんはこれからどんどん人気になって、いつかはセンターに立つ人なんです!だから…だから堀田さんを生き返らせてください。お願いします!」
僕は泣きながら頼んだが、黒服の男たちは無反応だった。その態度を見て、僕は怒鳴った。
「なんで黙ってばかりなんだよ!喋ったらいいじゃないか!」
怒っても仕方のないことはわかっていた。わかっていたが、もう頼れるのはこの男たちしかいない。
「タク君、もういいの。私、もうアイドルは限界だと思ったの」
その言葉に、僕は絶望した。
「どうして・・・」
「仕事をいただけることは本当に嬉しかった。何でも頑張ろうって思った。でも、頑張ろうって気持ちだけじゃダメなの。この仕事は結果がすべて。私の周りにいる大人に目をつけられて、初めて道ができるの。でも私にそのチャンスはやってこなかった」
「気づいたの、無理だって。自分が辛くなるだけなら、逃げたっていいって思ったの」
「そんな…」
僕はその本音を聞いてしまい、言葉を失った。
「でもね、私がギリギリまで逃げなかったのは、応援してくれる人たちがいたから。だからここまで頑張ってこれた。でも、今日の握手会で卒業を発表したら、言われちゃったの。『急に卒業するとか、俺たちの気持ち考えてくれよ』って」
握手会でそんな話しをした人がいたことに対して、僕は絶望の感情から、怒りを覚えた。どうしてそんなことを。
「信じてたのに、そんなこと言われちゃったら、もう立ち直れなくて」
堀田さんは、その場で泣いてしまった。なんて言葉をかけたらよいのか、わからなかった。堀田さんの苦しみを分かってあげられない自分が、みじめに思えた。最後の最後まで、少しでも何か力になりたかった。
僕は何かないか、鞄の中をあさった。何も出てくるわけじゃ…
手さぐりで探してみると、一枚の握手券が出てきた。
「今日のぶんの握手券だ」
まさか、一枚死券にしていたなんて、気づかなかった。そして僕はあることを思いついた。急いで鞄からペンを取り出し、握手券の裏にあるメッセージを書き、堀田さんに声をかけた。
「堀田さん、最後に握手会をしませんか」
「え?」
「鞄の中を漁ったら今日の握手券が出てきたんです」
「本当に最後だよ」
堀田さんが少し嬉しそうに言うと、席から立ち上がり、いつもの握手会と同じように向かい合った。そこにはないが、お互いの制限をかける柵があるかのように。
「おじさん、剥がし役やってよ」
僕は、黒服3人集のなかから、禿げたおじさんを指名した。おじさんはやる気満々の姿を見せた。堀田さんは気持ちを作っているように見えたので、様子を伺いつつ聞いてみた。
「じゃあ、いいですか?」
「うん、いいよ!」
本当に最後の握手会が始まった。
「堀田さん、今日はこれで最後の握手です」
「タクと握手するのも最後かー」
「これからも、アイドル続けてくださいね」
「だから、もう卒業するって」
「僕は最後の最後まで応援してます。堀田さんがセンターに立つ日が来るのが楽しみなんです」
「それは…無理だよ…」
「無理って言わないでください。やってみないとわからないじゃないですか」
「…」
「握手券の裏面を見てください」
「握手券?」
「僕からのメッセージです」
堀田さんがそのメッセージを見ると、笑顔になった。
すると、黒服のおじさんが剥がし魂に火がついたのか、がっちりと肩を掴むと、僕と堀田さんにしか見えない握手エリアから退場させられた。
その様子を見た堀田さんが声を出して笑った。
「あー、楽しかった」
「あの剥がし役、キツすぎでしょ」
「あの人、剥がし役にいたら面白かったのになー」
お互いが、本当に最後の握手に幕を下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます