第8話「オタク・岡村拓海」①
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第3話 「オタク 岡村拓海」
【人間が生きるということはどういうことかといつも考える。すると死ぬことだということに帰着する。死ぬとわかれば今日この1日を十分に生きねば損だと思う】
淀川長治(日本/雑誌編集者・映画評論家)
テレビ画面の向こうには、僕の推しメンがバラエティ番組に出ていた。いつも笑顔で、天然で忘れっぽくて、どこか抜けている部分があって。歌って踊れるアイドル。・・・とまではいかないが、一人のアイドルとして輝いている。今日の番組のことを、明日の握手会で話そうと考えながら、握手券の仕分けをしていた。
僕の名前は岡村拓海。今年で20歳。お分かりのとおり『オタク』だ。オタク歴3年目の僕は、まだまだ新参者。周りのオタクに比べたら、ひよっこだ。僕はあるアイドルグループを応援している。その中でも推しメンは「
ただ、僕だけではない。ほかのオタクとも、分け隔てなく接してくれる。その振る舞いが僕は好きだ。握手会だけではない。僕には、ライブでも一際輝いて見える。パフォーマンスも好きで、時にはライブ中に変顔をしたり。『アイドル』という仕事を、本当に楽しんでいるように見える。僕の推しメンは、やはり最高だ。
「おっ、ブログだ」
このタイミングでブログの更新。僕は早速、読むことにした。
「明日の握手会も楽しみ!いろんな人とお話しできるの待ってます!」
相変わらずのブログの文面。明日の握手会が、より楽しみになった。
ブログを読みながら、握手券の仕分けも終わり、明日の荷造りを始めた。と言ってもたいした持ち物はないが。握手券に、ハンカチ、ティッシュ。忘れてはいけないミンティア。こんなところだろう。僕は荷造りを済ませると、ブログにコメントをした。
「明日の握手会に行きます。楽しみです!」
簡単だがコメントを残し、僕は寝る準備をした。前回の握手会が2ヶ月前。久しぶりの握手会に僕は眠れないでいた。どんなことを話そうかウキウキしていた。まるで修学旅行前の小学生のようだ。いつも緊張して、前日に寝れなくなるクセをどうにかしたいが、直らない。だが、それくらい楽しみなのだ。とりあえず部屋の電気を消した。明日も、推しメンを笑わせてやるんだ。そんな気持ちを胸に就寝した。
翌朝6時。
「やっぱり寝付けなかった」
予定よりも2時間早めに起床した。いくらなんでも早すぎる。今から2度寝をする気にもなれず、布団から起き上がると顔を洗い、歯を磨くことにした。寝癖のついた髪を整え、姿見で今日の服装をチェックした。
「よし、今日はこれでいこう」
ある程度仕度が出来たところで、もう一度荷物の確認をした。
「忘れ物はないな。じゃあ、早いけど行きますか」
時刻は7時。家の鍵を持ち、普段より早めの出動をした。家から出ると、外は生憎の雨。
「今日の天気は雨のち晴れとか、ニュースで言ってたっけ」
僕は折りたたみ傘を持ち、家の鍵を閉めた。そして、アパートの階段を降り、最寄りの駅へと向かった。その道中、話す内容についてシミュレーションをした。こう話したら、こう返事が来る。しかし、このシミュレーション。だいたい意味がない。これ通りに会話が展開されたことがあまりないからだ。話しやすいとはいえ、会話がぶっ飛んでいることもしばしば。果たして、今日はうまくいくのだろうか。握手をする前からこんなに緊張しているのは、自分くらいではないか。だいたい、女子と話すことがない自分には、なかなかハードルが高い。できることなら、僕と会話の練習をしてくれる、優しい女子を募集したいくらいだ。
「こんなことを言っても仕方がないか」
自分のコミュニケーション能力は、まだまだ改善が必要そうだ。歩くこと10分。最寄りの駅に着き、改札を通った。駅のホームには、電車を待つ人がちらほら。しかし、今日は休日。サラリーマンや仕事に行く社会人は少ない。
「休日くらい、ゆっくりしたいよな」
自分が社会人になったら、まだオタクを続けているのだろうか。そもそも、まだ堀田さんがアイドルを続けているのだろうか。いい大人になってオタクを続けているものもどうかと思うが、おそらくオタクを続けている未来が見えた。
「大丈夫かな、自分…」
そうこうしていると電車がやってきた。電車の自動ドアが開き、車内に入る。僕が乗ったのは先頭車両で、今日の車内は空いていた。朝も早いし座れる余裕もある。僕は席に着くと目をつぶり少し寝ることにした。乗り換えまでの駅まで40分。時間もあるし、ちょうど良い。僕は鞄からウォークマンとイヤホンを出し、音楽を聴き始めた。聴く曲は、もちろん今日会いに行くアイドルの曲。僕は少しの間、寝ることにした。
20分後。
僕は目が覚めた。まだ乗り換えの駅まで時間があるが、どうやら寝れそうにないくらい、今日の握手会が楽しみなようだ。
「乗り換えの駅まで、起きてるか」
仕方なく、僕は起きることにした。ただ座っていると、また寝てしまう気がしたので、僕は席を立ち、電車の出入り口付近に立つことにした。周りを見回すと、先ほどより人が増えていたのがわかった。僕は出入り口付近に立ち、ボーッと、正面に見える景色を眺めていた。電車が走る先を見ると、直線からカーブに差し掛かろうとしているのがわかった。僕は、少し違和感を感じた。
「カーブを走るには、結構スピード出てるな」
気にすることはない。そう思っていた。電車がカーブに差し掛かったその時だ。電車の車輪が「キキーッ!」と音を立てた。このカーブでのスピード。雨で濡れた影響で滑りやすくなっている線路。僕は最悪の状況が頭の中でよぎった。
「これじゃあ、曲がりきれない…!」
そして、僕が思ったことは現実になった。電車は線路から脱線し、車両が正面の建物にぶつかった。大きな音と衝撃が車内に響き渡った。僕は目をつぶり死を覚悟した。乗客の悲鳴が聞こえる。パニックになっている。もうダメだ。助かる気がしない。人生20年。まさかこんな日に死ぬとは。人の死は絶対だが、よりによってこんな日とは。「ドーン!!」と大きな音とともに、僕の意識は薄れいったのであった。
僕は、恐る恐る目を開けた。そこは真っ白な空間が広がっていた。これが死後の世界というやつか。僕は立ち上がり、次に何をしていいのか考えた。
「おそらく、天国か地獄かの選択を迫られて…」
そんなに悪いことはしてないし、天国に行けるだろう。そう思っていた。すると、真っ白な空間にドアが出現した。ようやく天使様のお出ましか。僕はそのドアから出てくる天使であろう存在に注目した。しかし、僕の予想を裏切る人物が現れた。黒服を着た3人の男。うち2人は外国人で体を鍛えているのか、喧嘩をしたら絶対に負けるタイプの男だった。そして1人は50代のおじさんだった。頭は若干禿げていて、気弱そうな感じだった。天使業界も人出不足なのか?可愛い女の子も雇えず、おじさん天使を雇うようになったのか。がっかりする僕に、3人は近寄ってきた。すると、おじさんが小さなアタッシュケースを出し、僕に手渡した。渡されたアタッシュケースを開けると、中に黒い腕時計と、一枚の紙が入っていた。僕は、その紙に書いてある内容を読んだ。
『あなたは、死にました。残された時間は、その腕時計に記された数字となります。この時間を有効活用してください。また、私たちセキュリティはあなたの行動に違反がないよう監視します』
やはり、僕は死んだようだ。腕時計を手に取ると『15.5』という数字が記されていた。
「15時間と30分ってこと?」と黒服のおじさんに尋ねると、「そうだ」と言いたげに頷いた。この時間だけ延命できるということだ。しかし、ほかの乗客はどうなったのだろうか。
「あの、ほかの乗客の方も…」
僕は少し気まずそうに聞いた。すると、おじさんが一点を指差した。そこには自分以外の乗客がいて、同じ説明を黒服集団から受けていた。自分だけでなく、ほかの乗客も延命したようだ。すると、黒服3人集が「時間がないぞ!」と言いたげにジェスチャーをしだした。
「わかってるって。人生最後の握手会。精一杯楽しんできますよ!」
黒服3人集にさっき現れたドアに入るよう指示を受けた。どうやらここから、現実世界に戻れるらしい。僕はドアノブに手をかけた。そしてドアを開け、人生最後の握手会へと向かったのだった。
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