第7話「婚約者・齋藤春香」⑥【完結】

 時刻は19時。

お店に着いた。いかにも高級そうな感じだ。

「実はここ、会社の先輩と一度だけ来たお店でさ」

「そうなんだ」

「その先輩が自分が頑張った時とか、特別な時にだけ来るって話しを聞いてさ。俺もそうしようって決めてて」

嬉しそうに話している姿を見て、私も嬉しくなった。店の扉を開けると、板前さんが2人立っていた。

「いらっしゃいませ」

 元気よく声を張るというよりは、落ち着いた感じで挨拶をした。

 店内は、ネタの名前が書いてある札があるものの値段が書いてない。

 私は、慣れたように注文をした。

「イカとアジをください」

「かしこまりました」

 そう言うと寿司を握り始めた。

「齋藤、こういうところ来たことあるのか?」

「まぁ、星野さんにいろんなお店連れて行ってもらったから」

「ああ、そっか」

 水を差すようなことを言い、少し後悔した。もう過去の人なのだ。忘れよう。

「お待たせしました」

 イカとアジの握りが目の前に置かれた。箸が入ったケースから箸を取り出し、早速いただくことにした。まずはイカから。

「うん、美味しい!」

 ツヤもあり、歯ごたえもちょうど良い。文句なしで美味しかった。

 続いてアジ。

「アジも美味しい!」

 脂がのっていて、ネタの大きさも私好み。こちらも文句なしで美味しかった。私が食べている横で、坂本君はイカとマグロを食べていた。こちらも満足げな様子で食べている。私は次に何を食べようか悩んでいた。その様子を見た坂本君が私に言った。

「齋藤、ウニ食べてみないか?ここのウニ美味しいんだよ」

「ウニはちょっと…」

 私はウニが苦手だ。あの味と匂いがどうしても好きになれない。いくら高級店とはいえ、ウニはウニ。どれも同じだ。

「美味しいから。騙されたと思って食べてみなって」

「そうかな…」

「ここのウニを食べないなんて、人生の半分は損してるぞ」

「でも…」

「すみません。ウニ2つください」

 悩んでいた私に構わず、坂本君はウニを注文した。

 少しして、ウニが目の前に置かれた。

「いただきます」

 先に手をつけたのは坂本君だった。またも満面の笑みで食べている。私は、ウニとにらめっこをしていた。本当に美味しいのだろうか。いまだに信じられないでいた。

「齋藤、1つでもいいから。食べてみなって。絶対美味しいから」

「うーん…わかった」

 私は箸でウニの軍艦を掴み、恐る恐る口へと運んだ。

「どうだ?」

「…」

「やっぱり、ダメだった?」

「…美味しい!こんなに美味しいウニは初めて!」

「ほらな!やっぱここのウニは美味しいんだって」

 驚くほどに美味しかった。人生の半分を損していたのかもしれない。まさか人生最後に、新たな発見ができるとは。

「すみません。ウニ4つお願いします!」

「4つって、食べすぎだろ!ここのウニ高いのに…」

 さっきまで威勢のよかった坂本君が、急に弱気になった。

「ごめんごめん。急にウニ好きになっちゃって」

「齋藤、わざと頼んだろ。俺の財布が…」

「たくさん頼んで良いって言ったのそっちでしょ」

「そうだけども…」

 その姿を見て、私はクスッと笑ってしまった。ちょっと調子に乗りすぎてしまっただろうか。私の目の前にウニが4つ並べられた。さっきまで嫌いだったウニも、今では光輝いて見える。一つ、また一つと箸が進む。残すは1巻。隣にいる坂本君が、物欲しそうにこっちを見ていた。

「食べる?」私は意地悪く聞いてみた。

「い…いや全然食べて良いけど」

「本当に良いの?」

「良いよ、食べて」

「ここ逃すと、人生の半分損しちゃうよ?」ダメ押しでもう一度聞いた。

「…最後の1巻欲しいなぁ」

 その姿は、子どものような可愛く見えた。しかし、私は子どもではない。立派な大人だ。

「仕方ないなー」と言い、坂本君に渡す。一瞬、嬉しそうな顔をしたのを確認した私は、渡すふりをして自分の口へ運んだ。坂本君の残念そうな顔。とどめを刺すことに成功したのだ。がっかりした様子で、私を恨めしそうに見ている。なんだか悪いことをしてしまったなと内心思ったが、「まあいっか」という言葉の凶器で片付けた。

「すみません!ウニ一つください!」

 坂本君は、感化されたのかウニを注文したのであった。



 満足するまでお寿司を食べた。本当に来てよかった。坂本君ももう食べられないようだ。店員にお会計をお願いし、レジへと向かった。

「合計で10800円になります」

 2人でこんなに食べたのかと目を丸くした。さすがに全部奢ってもらうには申し訳なくなった。

「すみません、カードで一括でお願いします」

 私はクレジットカードを店員に渡した。

「いいって。ここは俺が払うから」

「今回は私に払わせて。美味しいウニもたくさん食べれたお礼として」

「でも…」

「次、もし来る機会があったら、坂本君にお会計任せるわ」

「齋藤…」

 私はクレジットカードの暗証番号を打ち会計を済ませた。店を出るとあたりは仕事終わりのサラリーマンがたくさんいた。時刻は21時半。私に残された時間は2時間ちょっと。もう少しで自分は死ぬ。

「齋藤、家まで送ろっか」

「ううん、一人で帰るから平気」

 私に帰る場所などない。もうこの世の人間ではなくなるのだ。

「そっか。じゃあ、駅まで一緒に行こうか」

 私と坂本君は駅へと歩き出した。2日間一緒にいて楽しかった。好きな男性と過ごすとは、本来こういうことだったのかもしれない。また明日も坂本君に会いたい。心の中でそう思ってしまった。私は無意味だが、気になったことを聞くことにした。

「坂本君って、今、好きな人とかいないの?」

「うーん、いないなぁ。やっぱ今は恋愛より仕事っていうか」

「そっか」

 なんでこんなことを聞いたのだろう。自分が好きって言ってもらいたかったから?そんな都合良く思ってしまった自分が、馬鹿らしく思えた。ころころ気持ちが移り変わるのもよくない。それでは同じではないか。ただ、いっそのこと初恋の人でしたと伝えてしまえば、思い残すことなく死ねるかもしれない。

「そういえば」

 坂本君の初恋の人は誰だったのだろう。いや、無駄な詮索はやめよう。私には関係のないことだ。そんなことを考えていると駅に着いた。これで坂本君に会うのが最後。

「坂本君、今日はありがとう」

「いえいえ、こちらこそ」

「また、いつか会えるかな?」

「その時は連絡くれれば」

「うん、ありがとう」

「それとさっき言ったことだけど、もしうちの会社で働きたいって思ったら連絡してくれていいからな」

「考えとくね」

「わかった。その時は、俺から話してみるよ」

「うん」

「じゃあ、またな齋藤」

「じゃあね、坂本君」

 最後の挨拶を告げ、ここで別れた。と言っても自分が戻るべき方向は、坂本君の最寄駅と同じ。会わないよう、時間をおいてから電車に乗ろう。一度、改札を通り帰ったふりをしたが、時間をおいて、本来乗るべき電車へと乗った。


 電車に乗り、私はまたこの駅に戻ってきた。

 私の帰りを待っていたかのように、改札の前には黒服3人集が立っていた。久しぶりに会った3人に私は話しかけた。

「ありがとう」

 もう一度、生きるチャンスをくれた。そして初恋の会うことができた。これもこの3人のおかげだ。黒服3人集は「どういたしまして」と言いたげな雰囲気を出していた。一人が、腕時計を見るよう、ジェスチャーをした。時刻は23時だった。そして、もう一人がマンションの前まで戻るよう促した。そろそろ時間のようだ。私は、マンションへと向かった。


 マンションまでの道のり。私は黒服3人集の質問をした。

「今まで、私みたいな不幸な女性の命を延長させたことはあるの?」

 すると、黒服のおじさんが携帯を出し、何やら文章を作り始めた。2分後、私の携帯に着信がきた。それは「黒服」という名前からのメールだった。さっきおじさんが打っていたのはこれだったのか。

「ってか、なんで私の連絡先知ってるの!?」

 あたふたする黒服おじさん。この人はいったいなんなんだ。気を取り直して、私はメール文を読んだ。

「今までいろんな女性を見てきたが、こんなに情緒不安定な人はいなかった」

「なによ、それ!!」

 私は、黒服のおじさんを怒った。私が一発殴ってやろうかと思った瞬間に、また携帯の着信が。「暴力反対!」というおじさんからのメール。ここまで予測済みだったのか。というか喋ればいいのに。両手を前に出しガードしているおじさんだったが、私は殴ろうとするのをやめた。

「命の恩人として、見逃してあげるわ」

 ホッとした様子を見せるおじさん。その後ろで「危ないぞ、この女」と怯えている、屈強な外国人2人。見かけ倒しとは、まさにこのことである。そうこうしているうちにマンションに着いた。


 腕時計を見ると、残りの時間はあと30分だった。私は、マンションの近くにあるベンチに腰掛け、その時が来るまで待つことにした。今日は、いい天気だ。空を見上げると、星が綺麗に見える。星の数ほど女はいるとはよく言ったものだ。「いい女じゃなきゃ、ダメなもんはダメなのよ!」私は光輝く星に向かって言った。その時、携帯の着信がきた。それは、坂本君からのメールだった。

「坂本君?なんだろう」

 私はメール文の内容を確認するため、携帯のロックを解除した。メール文にはこう書いてあった。

「齋藤、今日は楽しかった!ありがとうな。それで、齋藤といるときに言い忘れてたんだけど、実は俺、齋藤のことが好きだったんだ。小学2年のころから、中学卒業するまで。初恋の人だったんだ。高校からは別々の学校に行ったから離れたけど。昨日、10年ぶりに会って。いろいろ思い出しちゃってさ。齋藤が良ければだけどさ。また、ご飯とか行こうな。ごめん、それだけだ!じゃあまたな!」

 気づかなかった。まさか坂本君が私のことが好きだったなんて。そして、お互いが初恋の相手だったなんて。私は、涙が止まらなかった。最後の最後で、こんなことを告げられるなんて。

「私は、幸せ者だ」

 すると黒服のおじさんが、私にハンカチを渡してくれた。そのハンカチを受け取り、私は涙を拭いた。坂本君には悪いけど、私はもうすぐ死んでしまう。会えないのは辛いが、本音を聞けただけで、私は満足だった。私はメールの返信を打った。

 5分後。

「送信っと」

 私はメールを返信した。心はすがすがしい気持ちだ。すると、黒服3人集が「そろそろ時間だ」と言いたげに、死んだ場所へ移動するよう催促した。

「はいはい、行けばいいんでしょ」

 私はベンチから立ち上がると、自分の死に場所へ向かった。到着すると、その場所には自分が倒れこんだ形で、白線が引かれていた。おそらく、このとおりに横たわっていればいいのだろう。私はその場所に横たわった。腕時計を見ると23時59分。残す時間は1分を切った。


「おっ、齋藤から返信だ」

 携帯のロックを解除し、返信文を読んだ。

「坂本君、2日間お世話になりました。いろいろ迷惑かけてごめんね。そして最後に。坂本君は、私の初恋の人でした」


 私は目をつぶった。すると、坂本君と過ごした学生時代の記憶が、映し出されてきた。

「ああ、あのとき告白していればなー。まぁいっか」

 その瞬間、腕時計からの『ピピピピ』というアラーム音が聞こえた。私は薄れゆく意識の中で、笑顔になっていった。

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