第6話「婚約者・齋藤春香」⑤
私は、すべてを坂本に話した。
「それで、齋藤は?」
『怖くなって、飛び降りるのを諦めたわ』
私は、死んだことを隠した。
「えっ!?齋藤、まさか自殺しようとしてたのか?」
『だって生きていても仕方ないもの』
私は魂が抜けたように、気力なく答えた。
「ダメだろ、死んだりなんかしたら!」
普段、大声を上げないようなイメージの坂本を見て、私は驚いた。
『だって、好きな人に結婚2日前に別れたのよ。そんな話し聞いたことある?』
「いや、聞いたことはないけど。だからって死ぬのは違うだろ」
私は、それでも死ぬことを選びたかった。
「その星野って人。明日も出社するんだよな?」
『うん、そうだけど』
「わかった」
『?』
「齋藤がそんなに死にたいって頑固なら、1つ俺の頑固さにも付き合ってほしいことがある」
『何するの?』
その後、坂本君が話したことに、私は付き合うことにしたのだった。
翌日
「みんな、おはよう」
星野はいつものように、オフィスへと出社した。
いつも通り、挨拶を返す職場。
1つ違うことと言えば、齋藤の席だけが空いていたということだった。
1階エントランス
受付には、2人の受付嬢が在籍していた。
「あの、すみません。面会をお願いしたいんですけど」
坂本君が、受付嬢に話しかけていた。
その隣に私はついて来ていた。
「星野圭吾様なんですけど。よろしいでしょうか」
「星野圭吾ですね。承知しました。ただいま部署に確認します」
「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「坂本省吾と申します」
「坂本様ですね。少々お待ちください」
そう言うと、受話器を取り、内線をかける受付嬢。
「はい、かしこまりました。では1階エントランスまでお願いします」
通話が終わり、受話器を置いた。
「お待たせいたしました。星野がただいま向かいますので、もう少々お待ちしていただけますでしょうか」
「わかりました。ありがとうございます」
そう答えると、私と坂本君は、星野さんが来るのを待った。
「齋藤、まずは俺から話しをする。タイミングを見て、後から出てきて」
『わかった』
「ここで決着をつけよう」
私は、坂本君の言葉に頷いた。
3分後
星野さんがエントランスへやってきた。
私は、少し離れたところで2人のやり取りを見張っていた。
「初めまして。あなたが星野さんですね」
「はい。初めまして。あの、お名前は…?」
「僕、坂本省吾って言います。××会社で営業やってます」
「そうですか。それで、本日はどういったご用件で?」
「あの、1つお伺いしたいことがございまして」
「なんでしょうか?」
坂本君は、意を決して話し出した。
「最近、ある女性と別れませんでしたか?」
「どうしてそれを…」
少し動揺する星野さんに、坂本君は話しを続けた。
「実は、僕の知り合いなんです。その人」
「齋藤の知り合い…」
「昨日、雨でずぶ濡れになってるところを見つけました」
「そうですか…」
「齋藤さんがどんな気持ちでいたか、あなたには分かりますか?」
「…」
「あの日、齋藤さんは自殺しようとしたんです。愛していたあなたに裏切られた齋藤さんは、悲しんでました」
「そんな、バカな…」
「いえ、本当です。僕が会った時も、どうして死なせてくれないと話してました」
「それは、坂本さんにご迷惑をかけしてしまったな。でも、僕はもう齋藤とは関係のない。別れたんだ」
「だからこそ、齋藤さんに謝るべきなんじゃないですか?」
「謝る?なんで?」
「あんた、本当に言ってるのか?」
坂本君が、一瞬、怒った口調で聞いた。
「確かに結婚間近に申し訳ないことをしたと思う。でもそれだけじゃないか」
「僕は他に好きな人ができてしまった。齋藤なんかよりもっといい人だ」
「ほんと、最低だな」
「じゃあ、僕は失礼するよ」
その場から立ち去ろうとする星野さん。
「待て。まだ話しは終わってない!」
それを引きとめようと、坂本君が叫んだ。
『そうよ。まだ話しは終わってないわ』
「齋藤…どうしてここに」
私は、立ち去ろうとする星野さんの前に現れた。
『もう謝らなくていいわ。私がバカだったみたい』
『あの時、私に愛してるって言ったのは、本当だったのかもしれない』
『でも、松田さんが星野さんに想いを寄せて。その想いに星野さんは惹かれて。私から、松田さんへ気持ちが移り変わった』
『星野さんの都合で変えてしまう愛なんて、そんなもの本当の愛とは言えない。偽物の愛で、松田さんを幸せにすることなんてできないわ』
私の言葉を聞いた星野さんは、何か言いたげではあったが、うつむいたままだった。
『さようなら、星野さん。二度と会うことはないから』
私は、鞄から辞表届を星野さんに渡した。
「齋藤、本当にいいのか?」と坂本君が私に聞く。
『ええ。もうここに思い残すことはないから』
私は、星野さんの手を取り、辞表届を持たせた。
『じゃあ、失礼します』
私は星野さんに背を向け、出口へと向かった。
「それでは、失礼します」
坂本君も星野さんに挨拶を、私の後を追った。
1人、エントランスに残された星野さんは、黙ったまま私たちを見送った。
「清々した!」
私は大きな声で言った。
「齋藤、やっぱすごいよ。あんなに堂々とできるなんて」
「ううん。これも坂本君のおかげだよ」
昨日、坂本君に言われたのは、星野さんを見返してやろうということだった。
「でも、本当に良かったのか?会社まで辞めちゃって」
「もういいの。どうせいなくなるし」
「なんだそれ。また新しい仕事探さないとな」
「そうね」
「齋藤さえよければ、うちの会社で働くとかどうだ?」
「うん。ちょっと考えてみようかな」と、私は考えるふりをした。
私は、ふと腕時計を見た。
時刻は14時。残す時間は、あと10時間を切っていた。
「それにしても、これからどうしようか」
「ねえ、坂本君。私、行きたい場所があるんだけど」
「行きたい場所?」
坂本君が、不思議そうにしている顔をしている。
私は坂本君の手を掴み、駅に向かって歩き出した。
駅に着き、路線を確認した。
どうやら、ここから40分ほどかかるようだ。
確認をし終えると、改札を通りホームで電車が来るのを待っていた。
「齋藤、行きたい場所って?」
「それはね、星野さんと行けなかった場所かな」
「どこか教えてほしいなー」
「ダメ。着くまでの内緒にしたいの」
電車がやってきたので、乗車した。
隣にいる坂本君は、話題こそ振ってこなかったが、どこに行くのか聞きたげな雰囲気を出していた。
私は、その様子を見て「フフフ」と心の中で笑った。
40分後
目的地の場所の最寄駅に着いた。
電車を降り、改札を出た。
改札を出た先には、私が行きたかった場所の案内板があった。
「水族館」
坂本君がつぶやくと、私は手を握り、水族館へと向かった。
「齋藤、水族館行きたかったんだ」
「実は、星野さんと来たかったんだけど、なかなか来れなくて」
「でも。俺なんかでいいのか?」
「うん。坂本君となら、楽しいかなって」
好きな人と水族館に来る。
私の密かな、小さな夢だったのだ。
坂本君はきっとこのことを知ることはない。
それに、これが最初で最後の水族館デートなのだから。
歩くこと5分。チケット売り場まで着いた。
平日ということもあり、水族館に来ている人は少なかった。
大人2人のチケットを買い、中へと入った。
中は薄暗く、いろんな海の生き物が展示されていた。
「ねえ!これ見て」
「おっ、ペンギンか」
向かった先には、いろんな種類のペンギンがいた。
今はちょうど餌やりの時間で、ペンギンたちは一斉に餌へと向かって泳いでいた。
「すごいすごい!」と坂本君がはしゃいでいる。
私より興奮している坂本君を見て、笑ってしまった。
「何笑ってるんだよ」
「いや、子どもっぽいなって」
「別にいいだろ。水族館来るの久しぶりで楽しいの!」
坂本君と水族館に来て、正解だと思った。
ペンギンのエリアを抜け、次の場所へと向かった。
次の場所が近づき、その綺麗な光景がだんだんと見えてきた。
「なんだこれ!?」
「齋藤、すごいぞ!」
坂本君は、駆け足でその場所へと向かった。
またも子どものように興奮する坂本君を追いかけた。
そこは、180度に広がる大きな水槽が。
小魚が群れを作りながら泳ぎ、エイやサメなど。
様々な魚たちが泳いでいた。
「すげー!」
「もう坂本君ったら、はしゃぎすぎでしょ」
「そりゃ、はしゃぎたくもなるだろ!」
すかさず携帯取り出しを、写真を撮り始める坂本君。
私はその姿を見つつ、水槽で泳ぐ魚たちを見ていた。
もしも、これがデートだったなら。
帰り際、坂本君から告白なんかされるのだろうか。
それとも、私たちは付き合っていて、休日を楽しんでいたのだろうか。
「齋藤、記念に写真撮らないか。一緒に」
「何の記念?」
「それは…まぁなんだっていいじゃん。水槽綺麗なんだし、写真撮らなきゃ損だろ」
そう言うと、坂本君は写真を撮ってくれる人を探した。
「あの、すみません。写真撮るのお願いしたいんですけど…」
写真を撮ってくる人を連れてくると、私と坂本君は水槽の前で並んだ。
私は、なんだか恥ずかしくなった。
ただ、ツーショットで写真を撮るだけなのに。
坂本君の方を向くと、嬉しそうな顔をしていた。
すると、私の手を握りピースサインをした。
そうだ、私が求めていたのは、こういうありきたりなものだ。
こうして仕事のことを忘れて、好きな人と楽しい時間を過ごす。
今が、その理想的な時なんだ。
坂本君が握った手に応えるように、私はギュッと握り返した。
そして、同じようにピースサインをした。
「じゃあ、行きますよー。はい、チーズ」
カシャっとシャッターを切る音が聞こえる。
「ありがとうございます」
お礼を言い、携帯を受け取った。
「齋藤、後で写真送るわ」
「ありがとう」
写真も撮り終わると
大きな水槽を後にし、次の場所へと向かうことにした。
その道中は、エスカレーターで上がるのだが、大きな水槽の中を通って行くというものだった。
「綺麗」と見惚れている私と、またもはしゃぐ坂本君だった。
2階に上がると、今度はクラゲがゆったりと泳いでいる水槽があった。
こんなにクラゲが泳いでいるのは、見たことがなかった。
坂本君も、まじまじと水槽を覗き込んでいた。
順路に沿って歩く事30分。
出口が見えてきた。
「もう終わっちゃうのか」と少し残念そうに答える坂本君。
外へ出ると、夕暮れ時で空はオレンジ色だった。
時刻は16時だった。
「なあ、次はイルカのショーを観に行かないか?」
私は、手に持っていたパンフレットを見た。
16時20分から、イルカショーが始まる。
「うん。じゃあ、見に行こっか!」
私は笑顔で答えると、イルカショーが観れる場所まで歩いた。
会場に着くと、満席までとはいかなかったが、席は埋まっていた。
私と坂本君は席に着き、ショーの開演を待った。
16時20分
会場には、大音量のBGMが流れると、イルカショーに出るお姉さんの声が響き渡った。
「本日は、イルカショーを見に来てくださって、誠にありがとうございます」
「見ていただくのは、珍しい白イルカのショーになります!」
この水族館でも有名な白イルカのショー。
私が来たかった理由の一つでもある。
「おお!めっちゃ楽しみ!」と坂本君も興奮していた。
「それでは、白イルカの登場です!」
そう言うと、水槽のゲートが開き、2頭の白イルカが姿を現した。
ゆっくりと泳いでくると、お姉さんの前に寄ってきた。
「ではこれから、この白イルカに乗って、遊んでいきたいと思います」
そう言うと、先ほどから話しているお姉さんと、もう一人が現れ、白イルカの背中に乗った。
「おお!」と会場にいた人たちは声を上がった。
白イルカの背に乗って泳ぎまわったり、水深く潜った白イルカが勢いよく上がってくる力で、鼻で押してあげてもらい、お姉さんが高くジャンプして見せたり。イルカと輪を作って、くるくる泳いで見せたり。
ショーも終盤へ差しかかった頃だった。
「今から、観客の人とも遊んでみたいと思います!」
そう言うと、お姉さんは道具箱から、輪投げ用の輪っかを取り出した。
「この輪っかを白イルカに投げ、キャッチしてもらおうと思います!」
「誰か、やってみたい人はいますかー!」
ちらほらと手を挙げる人がいる中、坂本君も手を挙げていた。
見ると、挑戦したい!と言わんばかりの表情をしていた。
「じゃあ、そこのお兄さん!」とお姉さんが坂本君を指さした。
「本当に!?やった!」と嬉しそうに言うと、立ち上がり水槽近くに向かった。
坂本君は輪っかを受け取った。
投げる動きをして、イメージトレーニングをしている坂本君が、やはり子どもっぽく見えてしまい、笑ってしまった。
「では、せーのの合図で投げてくださいね」
「せーの!」
お姉さんが合図をしたのと同時に、坂本君は輪っかを投げた。
投げた輪っかは、見事、白イルカがキャッチ。
会場からは拍手が起こった。
輪っかチャレンジも終わり、坂本君が戻ってきた。
「めっちゃ緊張したー。就活の最終面接より緊張したわ」
「何言ってんの。大げさすぎでしょ」と私は笑って言った。
「いやいや、あそこ立ったら、めっちゃ緊張するからね」
イルカショーも終わり、会場を後にした。
「はぁー楽しかった!」
「これからどうする?」と坂本君が聞く。
「お腹すいちゃったし、どこかご飯食べに行こうよ」
「じゃあ、水族館だし、寿司なんてどうだ!」
「えっ、何それ…」
私は、冗談混じりに、冷ややかな返答をしてみた。
「いや、今日は魚の気分なのかなと…」と坂本君は、私の冷ややかな態度に間に受けてしまった。
「冗談だって。行こうよ、お寿司」
「なんだよ。びっくりしたじゃんか!」
「美味しい店知ってるんだ。それも回らないお寿司」
「何それ。高そう」
「今日は、まぁあれだ。俺が奢ってやるよ」
「いいの?」
「今日だけだぞ」
「じゃあ、高いのいっぱい頼んじゃおっと」
「なるべく、お財布に優しいもの頼めよな…」
「はいはい。わかってるって」
坂本君の太っ腹な発言により、晩ご飯はお寿司となった。
水族館を出て、最寄りの駅へと歩いた。
「坂本君、水族館楽しかった?」
「めっちゃ楽しかった!」
「よかった」
「齋藤はどうだった。ずっと来たかったんだろ」
「うん。好きな人と来るのが夢だったの」
「そっか。ごめんな、俺なんかで」
「ううん。坂本君と一緒に来た方が楽しかったかも」
自然と笑みがこぼれた。嬉しかった。
「それにしてもさ。齋藤、昨日まで暗い顔してたけど、水族館来てようやく明るい顔に戻ってよかったよ」
「坂本君のおかげだよ。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。水族館楽しかったよ。まるでデートしてるみたいだったな」
その言葉にドキッとしてしまった。
「ん?どうした」
「なんでもない!それよりお寿司!」
「もっと喜んだ顔にしてやるからな!」
そんな話しをしていると駅に着いた。改札を抜けると、ちょうど電車が到着。そのまま電車に乗って移動した。
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