第3話 狂気の祈りを宿す者

 穏やかな日々。

 街行く人々が暖かな日差しの中行き交い――地中海沿岸らしき雰囲気の街道を、保護されて始めて外出が許された少女が恐る恐る散策する。

 心の中では未だ恐怖が巣食ってはいるが、閉じこもったままでは尚精神が持たない事を彼女も理解している。

 自分を救った聖騎士の心遣いに、より少女ヴァンゼッヒはとても久方ぶりの平和に身を委ねていた。


「もういいのかい?お嬢ちゃん!」


「どうだい、これでも食べていくかい?おいしいよ~!」


 出店で賑わう路地で幾度も呼び止められ、戸惑いながらも勧められたフードに舌鼓を打ち――今まで以上に幸せが広がって行く銀髪の少女。

 この周辺では法王庁も近く、表舞台の近衛兵が警備の合間に民との交流を深める場所でもある。

 かつての人造魔生命災害バイオデビルハザード以降――少しでも国民の心をへ平穏を導くため、法王庁に自ら志願した近衛兵達が警備も含めた交流を図る様命が下っていた。

 その際――保護された少女の事を人々に伝えていた騎士達。

 聞きつけた道行く人々が、少女の心を癒そうと慈愛の思いで、一人――また一人と銀髪の少女を暖かな優しさで包んで行く。


「――うん、その……ありがとう……。」


 人々の心が少女にも伝わり――忘れていた笑顔が、おぼろげながらに呼び戻される。

 聖騎士エルハンドは何より、少女が絶望の闇を越え再びこの大地で幸せになる事をひたすら主に祈り……計らい――不幸を背負った少女に尽くした。

 世界の光の裏である影――人知れずただ魔を撃滅するためだけに生きる執行部隊を代表する騎士にとって、少女ヴァンゼッヒとの出会いは主の導きと確信していた。

 やがて彼女が光の世界へと巣立ち――世界に招来される未来の一欠けらとなる事が、己にとっての救いとなる。

 そんな思いを篭めて、絶望から生還した幼き少女へ羨望の眼差しを向けていた。



 その足音が忍び寄るまでは――



****



 本国の果て、未だ手付かずの崩壊した地区。

 絶望の中にあった少女が聖騎士に救われた地区より南――近隣の野良魔族が集結しつつあるとの報告が入り、【神の御剣ジューダス・ブレイド】部隊に緊張が走る。


「すでに法王庁より許可は得ている!各自油断せず進め!」


 オリエル・エルハンド率いる執行部隊は揺るぎない心で進んで行く。

 各々が礼儀式により主の力が満ちた武具に身を纏い、次々と報告のあった地帯へ現地入りし討伐に対して備えを厳とする。


 この地はかつての人造魔生命災害バイオデビルハザード時、世界的な大打撃を受けた場所の一つだった。

 超巨大人造魔生命の放つ高収束魔量子波が町の全てを蒸発させ、建物跡すら残らぬ程に破壊――その後に残る強力な魔力干渉波は、生命の正エネルギーに量子レベルで干渉し……世界で言う霊災として蔓延するのだ。

 その影響が顕著な場合――励起される超振動が引き金となり、生命活動に支障を来たす生命。

 やがてそれらは遺伝子レベルの変化を起因とする、後天性デビル化を誘発するとされ――世界各国で頻発する霊災への対応が急がれていた。

 

 人造魔生命災害バイオデビルハザード以降に程度の差こそあれ、世界中にその影響を受けた人々で溢れたとされる。

 それ以前には人為的な事件が関わる後天性デビル発生も確認されていた――しかし災害以後は、最早比べようもない事態に陥ったのは記憶に新しい。

 それが最終的に、野良魔族増殖の原因の発端となったのだ。


 正エネルギーである光量子が満ちるこの地球という星で、遥か古来より魔族は光量子が勢力を弱め――反量子が僅かに降り注ぐ闇夜の世界でささやかな種族と文化を維持してきた。

 そこへ後天性デビルと言う魔量子を体内で生成出来る――言わば闇へ堕ちた人類の増殖は魔族の世界にも多大な影響を及ぼす事となる。


 そして現在――新たなるエネルギー補給法にて日中の耐性を付与した新種の魔族が、昼日中を闊歩する時代へ移行したのだ。


「ぐぅおおおおーーー!」


「ぎゃおおおーーー!」


 獣の雄たけびとも思える咆哮が無数にあがる。

 瓦礫となった建物であった物の影がら、幾つもの異形の輩が出現した。

 同時に魔量子干渉が強まり、濃密な魔素に辺りが包まれ――並の人間であればすでに精神へ異常を来たす程のレベル……ドス黒い闇の奔流が一帯を包む。


「構えっ、主の加護を信じ不逞の輩を撃滅せよっっ!」


「エイメンッッ!!」


 その濃密な魔素に包まれた中――主の加護と鍛え上げられた精神を持つ騎士達が疾風の如く駆け、野良魔族と切り結ぶ。

 次々に振り下ろされる白刃が、容赦なき断罪の刃となり――魔の物をただ風に舞い散る灰の一陣へと変えていく。


 下級に位置する魔の輩は相応の知能と魔力を宿す種ではあるが、眼前のは獣程度の攻撃手段しか持たず、押され始める異形の者共。


「……未だこれだけの魔族が潜んでいたとは……やはり法王庁へ報告し早急な対処を要請する必要があるな……!」


 次々と発生する野良魔族。

 恐らくはその発生源か何かの存在があるのではとの疑問を抱きつつ、配下に魔族討伐の指示を飛ばす騎士隊長。

 だが――そこに耳を疑う様な伝令が、法王庁付きの騎士から機械端末を通じて届けられた。


『申し上げます!エルハンド卿……Sクラス……Sクラスの魔人級魔族が……!法王庁近隣……ザッ――ザァァァーー――』


「……なっ……!?こちらエルハンド……応答をっ……!……くっ――」


 それは聖騎士の慢心――ここ数週間の討伐成功に僅かに気の緩みが生じていたのか、想定出来る被害を読み違えた。

 まさに失態……聖騎士エルハンドの落ち度である。


「残りの魔族はお前達でも充分対応できる。ディクサーとサーヴェン、私と来いっ!」


「はっ!直ちにっ!」


 腕に覚えのある配下二人を連れ、乗りつけた専用車両で法王庁へ駆けた。

 胸中に覚えた胸騒ぎ――それを振り払う様に。



****



 突如として巻き起こる悲鳴、逃げ惑う人々。

 再び絶望的な景色を連想させる危機的状況に、法王庁付きの近衛兵が立ち向かう。

 だが対魔族専門の【神の御剣ジューダス・ブレイド】部隊と違い、一般近衛兵では歴然たる戦力差を覚悟せねばならぬ相手。

 Sクラス魔族と呼ばれる上級クラスの野良魔族――下級の者とは全てにおいてケタが違う。

 その実力差を見せ付けんばかりに、敵対者が体に魔力の衣を纏ったかと思うと――自らの手に集中させ眼前に翳す。

 魔族が高貴なる種であれば、それこそ魔導の類となるであろう――が、かろうじてただの魔力光の放出……それでも力技で大気を揺らす魔の閃条は脅威だ。


「ぐぁぉおおおおおーー!」


 眩いながら黒みを帯びた閃光――大気が震え、幾つもの正粒子が対消滅で強力なエネルギーを撒き散らし……対応すら叶わぬ近衛兵を襲う。

 巻き上がる粉塵――刹那、無残にも打ちのめされた兵達が絶望的な情景を刻む。 ――と、その中に浮かぶ人影……粉塵に囲まれ立ち尽くす。

 胸に輝く小さな十字架――それは信頼する者よりお守りとして贈られた物。

 粉塵の中で立ち尽くすのは銀髪の少女ヴァンゼッヒだった。


 「――……っ……!」


 わずかの間に過ごした平和な日々――そのやっと与えられた日常が眼前でズタズタにされ、少女の瞳から再び光が消えた。

 暗き深淵へ堕ちた瞳――その闇を今眼前の異形が、獲物と認識してしまう。


「グルルルゥゥー」


「お嬢ちゃん、早く逃げろっっ!」


 少女に狙いを定めた魔族がゆっくりと近づく。

 最早少女には最悪の結末しか残されていないのか――逃げ惑う群集には成す術もなく、ただその時が来ないのを祈るだけだった。



****



 野良魔族襲撃の数時間前――法王庁より伝令を受けた【神の御剣ジューダス・ブレイド】。

 部隊出撃の準備を進めていた聖騎士エルハンドの元へ、銀髪の少女が訪れ不安に満ちた表情をし卿を困らせていた。


『……すまない……少しの辛抱だ。討伐が終わればまた戻ってくるさ……。』


 不安顔の少女に聖騎士は安心させるため、小さな首飾りを取り出した。

 陽光を浴び煌くそれは十字を形取る首飾り――しかし、ただの飾りにはない機械的な構造が見え隠れする。


『君にはきっと、日の当たる世界で幸せに暮らせる時が来る……。その時まで君を守ってくれるお守りをあげよう。とても強い主の力が宿る銀十字エル・デ・シルバーだ……。』



****

  


「――フ……フフフッ……アハハハ……。」


 ――それは少女の眼前に魔族が迫り、一振りで小さな命がズタズタにされてしまう程の距離。

 小さな少女は僅かな声を上げて震えている――否、震えではない……


「また……私から奪うの……?大切な物を……。そう……またなのね。マタナノネ、フフッ……クククッ。」


「グアオオオオオーーー!!」


 雄たけびがほとばしり、野良魔族が獲物である少女へ向けてその手を振り下ろした――。

 だが――少女には届かなかった。

 刹那に発生した白銀の閃光が、凶悪なまでに図太い異形の腕を中空へ止める。

 そして……恐るべき異形の攻撃がまるで無かったかの様な表情――その少女が途端に声を荒げ高らかに笑いを響かせた。


「アッハハハハッ……!いいよもう……絶対に許さない、許さないし!お前にもしてやるよ……!の大切な家族や兄妹にした事!クククッ……アハハハハハ……!!」


 そして狂気が――異形の野良魔族へ戦慄の弾丸を解き放った。

 幾つも、幾つも幾つも、幾つも幾つも幾つも幾つも――

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