プロブレムチルド8

 キーンコーンカーンコーン。処刑の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「おっと、もうこんな時間か。じゃあ雨宮、明日は忘れず持ってこいよ!待ってるぞ!」

 有無も言わせず何故か上機嫌で教室から立ち去る上原。


 そして、上原が去ってから三分ぐらいたった後

「ふはぁっ!!」

 と、机にうつ伏せて倒れていた楽斗は大きく息を吹き返し、椅子にもたれ掛かった。


「まさかあんなことをしてくるなんて......あのくそドS野郎。あんなのに常人が耐えられるとでも思ってるのかよ......。三途の川が見えたときは本気でもう駄目かと思った......」


 上原が『軽いゲーム』と称した罰は、力量的に表すと補習室じごく送りと大して変わらないぐらいのものだった。そして、彼は言っていた。次忘れ物をしたら『ちょっと重いゲーム』をすることになるぞ、と。

 『軽いゲーム』でさえ補習室送りと同等だというのに、更にそれを越えるという『ちょっと重いゲーム』は一体どれくらいのものなのだろうか。過去に宗吾、大毅から聞いた、補習室送りを軽く凌駕する幻の指導室むけんじごく送りと同等の力を持っているとでも言うのだろうか。では、上原の言う『重いゲーム』とはどのぐらいの力を秘めているのだろうか。


 考えたくもなかった。


 ただでさえ『軽いゲーム』の内容を思い出すだけで手足がガクガク震えてしまうというのに、それを越える罰なんて知りたくもなかった。


(二度と忘れ物をしないようにしよう)

 楽斗はそう決意した。



 暫くして、何とか失いかけた精神を取り直した楽斗は時間割りを思い浮かべる。


「......確か次はホームルームだったっけ。良かった。授業だったら死んでたわこれ」

 『ちょっと重いゲーム』を想像していたら涙が溢れてしまった目を手で覆い隠しながら、ホッと息を吐いた。


 と、その時スタスタとドアの向こうから足音がした。


 授業が始まるにはまだ早すぎる。指導室送りとなっただろうクラスメイトがこんなに早く帰ってこれるはずがない。


 上原が忘れ物をしたのか?それとも体格が大きい先生が忘れ物をしたのか?

 どっちにしても先生に涙を流している姿を見せるなんてことは男としてしたくない。


 楽斗はごしごしと制服の袖で目を擦り、涙を拭き取った。いくら涙を拭き取っても目の充血は消えないだろうが、目を隠している方がよっぽど変に見られると考えたのだ。


(くっ、急いで擦ったせいで視界がぼやけてやがる)

 

 バギッ。とてもドアを開いただけでは出ないだろう音を発しながら、ドアが開く。


(いや、これ絶対ドア開けた音じゃないだろ!?何が起こったんだよ!?)


 うっすらと輪郭が見える程度の視界にイラつきながら、早く詳細が知りたいと目を擦るが逆効果で余計にぼやけが酷くなる。


(くそ。さっきより見えないじゃねーか!)

 

 ドアを開けたのが先生の可能性がある以上口に出せず、そう心の中で毒づいていると、誰かが教室に入ってきた。ぼやけているため顔は分からないが体格からして男だということは分かった。

 やはり先生達なのだろう。しかもあの体格からしておそらく上原。

 口に出さなくて良かった、と、楽斗は心底安堵した。

 しかし、妙なことに上原は教室の入り口に立ったまま動く気配がなかった。


(は?何しに来たんだよアイツは)


 流石に不審すぎるその動きに楽斗は、何をしているのか訊ねようとして、大分だいぶ晴れてきた視界を通し、その人物が上原じゃない事に気づいた。顔こそはまだ分からないものの、顔よりは少しはっきりとしている髪形が明らかに上原のとは違ったのだ。


(だ、誰だこいつ!?)

 次の時間はホームルームのため、担任、上原、大柄の三名以外の先生がここに来ることなんてありえない。ありえないのだ。

 だが、目の前にいる人物は、上原とは髪形が違い、担任&大柄な先生とは体格が違う。ごく稀にイレギュラーとして訪れてくる校長はそもそも髪の毛がないため論外。


(もしかして不審者か!?)

 不審者ならこの時間に現れてもおかしくない。何しろ不審者だから。と、名言っぽく謎の理屈を立てた、その時だった。

 謎の人物が両手を大きく広げて深呼吸をしたと思ったら次の瞬間、叫んだ。


「くはぁぁぁっ!!教室の空気うまいなっ!生き返るぅぅうっ!!!!」


 聞き覚えのある声に思わず謎の人物を二度見する。

 そのツンツンとした髪形。その体格。

 見れば見るほどそいつを連想させる特徴が出てくる。 

 そもそもこんな髪形をしているやつを楽斗は今まで一人を除いて見たことがなかったはずなのに。

 よく見れば服装も制服と特徴丸出しだったのに。

 例え、補習室にいるだろうと先入観に囚われていたとしても、ここまで特徴があれば気づいて当然なのにも関わらず、何で今まで気づかなかったんだろうと視界が完全に晴れた楽斗は苦笑いした。


「......大毅?何やってんの」

「うおっ!?何でここにいるんだ楽斗!?」


 こちらに気づいていなかったのか目を丸くして驚く大毅。


「は?次はホームルーム何だからいるのは当然だろ。逆にお前が何でいるんだよ。補習室じごくにいるんじゃなかったのか?」

「はぁ......やっぱり忘れてるな」


 楽斗は忘れていると聞いて咄嗟に何を忘れているのか考えた。しかし、浮かんだのはこの場に全く関係ない数学の課題のことだった。


「何をだ?」


 少し癪だったが、考えても分からない以上は聞くしかない。

 楽斗はあくまで平常心を保っているつもりであったが、若干浮かんだ悔しそうな表情に大毅は気がついた。が、あえて教えないというような意地悪はせず素直に話す。


「今日は月初めの金曜だぞ?つまり、今日はホームルームじゃなくて全校集会の日だってことだよ」

「あっ。忘れてた」

 

 想像通りの表情をする楽斗に苦笑いで微笑みを隠す大毅。


「だと思ったよ」

「あれ?じゃあ、何で大毅は一人で帰ってきたんだ?他の奴等と一緒じゃないのか」

「ハハハ。オレは指導室にいたからな。クラスメイトとは一緒じゃなかったんだよ。まぁ多分、すでにあいつらは集会に向かってるだろうけどな。

 ━━━それより早く行かないでいいのか?もうすぐ始まるぞ?」

「ああ。もう行くさ......って、お前は急がなくていいのかよ?」

「オレは後から行くよ。少し疲れたしな」


 走り始めようとして、重大なことに気づいたと勢いよく振り返った楽斗に大毅は首をすくめて笑った。


「そうか。じゃあ、先に行ってるぞ」

「おう。先に行っ━━━」


 大毅の言葉も待たず走り出す楽斗。

 宙に浮かんでは誰の耳にも届かず消えた言葉を飲み込み、走り去っていく楽斗の背中を見ながら一人残された大毅は、約一時間前くらいまで怒りを灯していた事を忘れ、微笑んでいた。

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