プロブレムチルド7

「んっ......」

 教室に響き渡る終業のチャイムの音。最前列である自分の席に座りながら、楽斗は両腕を上げて伸びをした。


「いつの間にか寝てたみたいだな......」


 時計が最後に見たときよりも四十分ほど進んでいることに気づいた楽斗は、ふあ~と大きな欠伸あくびをして、涙を拭くように目を擦った。


「......にしてもまだ誰も帰ってきてないのか......いや、一度帰ってきてはいるみたいだな。......どうやら地獄に落ちたようですね...御愁傷様です」

 睡眠を取る前とクラスメイトの机の上の状態が変わっていたことから、そう確信し手を合わせて五秒ほど黙祷をする。


「で、次の授業は何だっけ......?」

 黙祷をし終えた楽斗は義理は返したと言わんばかりに、クラスメイトの心配をやめ背面黒板に貼ってある時間割表に目を通した。


「えっと......今日は金曜だから......次は数学か。......その次はホームルーム、と。おけおけ覚えた」

 今日の時間割を頭の中に叩きいれ、教室の後方にあるロッカーの中から数学の用意を......


「━━━ってあれ?ないな」


 いくら探しても見つからない数学の用意に「どこにしまったっけ」と楽斗は首をかしげた。

 生徒に支給されているロッカーは非常に狭いため、どこかに紛れて見えなくなっているとは考えにくい。おそらく机の中に入れっぱなしだったのだろうと楽斗は席に戻って机の中を漁った。しかし、見つからない。


「あれ?マジで俺どこにやったっけ?」


 心当たりが全くなかった楽斗はダメもとで普段は本しか入れていない鞄を開き中を確認した。そこには三冊の本と共に探していた教科書の姿があった。


「あっ。あった......でも俺なんで鞄の中に入れたんだろ━━━━う━━━」


 そこで思い出す。昨日何故放送室事件が起こったのかを。


 Q:直接的原因は圭子の暴走だが、その圭子が何故暴走したのか

 Α:それは楽斗が大野に告白されたことを知ったため

 Q:では何故圭子はその事を知ったのか

 Α:楽斗が大野に会いたくないがために鞄を真愛に取りに行かせようとしたから

 Q:鞄の中に入っていた物とは何か

 Α:数学の課題である

 

 ダラダラダラ。楽斗の額に大量の脂汗が浮かぶ。

「......ヤバい、やってない」


 課題こそは、真愛は持ってきてくれなかったものの、姉である流音が鞄ごと持って帰ってきてくれたおかげで充分にやれる状況にはあったのだが、大野の告白に続き放送室事件と大きな出来事が起きたことですっかり課題という概念は楽斗の頭の中から抜けていた。無論、覚えていたとしても学校を遅刻するほど精神が傷ついていた楽斗が確実にやってきていたと言う保証はないのだが。

 

 楽斗は怯えていた。それこそ異常なまでに。


 数学教師━━━上原は厳しい。

 普段なら忘れ物常習犯である大毅も一緒に怒られてくれるおかげでそこまで怒られないのだが、それでも楽斗にとってはトラウマに成る程のものであった。

 それが......今日、楽斗以外に誰もいない教室で、つまりは楽斗一人しか対象がいない状況で忘れ物をしたとなれば............。

 考えるだけでも寒気が押し寄せてくる。


「に、逃げるしかない」


 幸いにも、さっきの授業は先生が出席簿を取っている様子はなかったため、多分楽斗はまだ欠席扱いになっているはずだ。

 つまり何が言いたいかと言うと、今なら逃げ出しても生徒指導部しょうじごく送りになることもなければ補習室じごく送りにもなることはないということだ。

 このままこの場にいたら上原に殺られるのは目に見えている、この状況で逃げ出さない手はない。


「......これは逃げじゃない。男らしく潔く撤退をしたまでだ」

 自分を納得させるように独り言を呟きながら鞄を背負い、そのまま閉まっていた教室のドアに手をかけた。


「いざっ!アルカディアへ!」


 ガラッ。瞬間、ドアが勢いよく開く。

「え......」

 楽斗は力を全く加えていなかったのにも関わらず開いたドアに表情を凍らせた。


「......」

 おそるおそる上を眺める。そして、今度は表情だけでなく身体をも凍らせることとなった。


「おっ、雨宮。おまえ来てたのか。確か他の奴等は補習室送りって金剛先生から聞いたから誰もいないって思っていたんだが。いるなら良かったぜ。さぁ、課題を見せてくれ!」


 にっこりとイケメンフェイスで笑いかける上原に、楽斗は乾いた笑みで答えるほか選択肢はなかった。

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