ホテル・カリフォルニア 4

 「おい、藤木……あそこに金庫あるだろ? テレビの右下。それ、『0・2・3・9』に合わせてみ?」

よく分からなかったが、藤木はそれに従った。ダイヤルを回すとロックが外れた。

中から出てきたものに、彼はぎょっとした。拳銃である。

「す、すげぇー」

「お前にやるよ」

「ホントですか! やったぁ」

衝動的にトリガーに指をかけ、壁に向かって構えてみる。パンッと耳をつんざく音と共に右手に鋭い振動を感じた。壁に穴が空く。

「うわぁ! 何してんの」

壱与子が狼狽した。藤木はえっ? えっ? と訳もなく周囲を眺め回したのち、熱を帯びた銃をその場に捨てた。

「撃ってないよ、引き金引いてないですよ、俺、マジ、マジで」

「部品がバカになってんだ。トリガーにちょっと触っただけでタマが出るぜ。トカレフTT-33っつってな、安全装置がついてねーの」

「こっわ」

文字通りな銃だ。腰のベルトに差したいところだが、暴発して己の股間をぶち抜きかねない。

「ちょっと貸して。ちょうどいい袋かなんかに入れておこうよ」

「ああ、ありがとうこざいます」


 ビデオカメラを収納するポーチだろうか、彼女はそれに銃を入れた。何の因果かそれはじつに絶妙なサイズで、すっぽりとしまうことができた。それのついでに、彼女は二本の缶ビールを持ってきた。

「はい、どうぞ!」

頬に当てられたそれを受け取り、タブを開けた。

「俺にはないのかよ」

「そんなんじゃ飲めないでしょ」

藤木はビールを口に含む。独特の苦味を舌に感じる。

「これってもしかして、さかずきですか?」

「あはは」

壱与子は悪戯っぽく笑い、持った缶を藤木のそれへ軽く当てた。乾杯。

「バーカ。アサヒスーパードライで契りが交わせてたまるかよ」

武が茶々を入れる。笑みを作ると苦痛が伴うそうだが、確かに彼は笑っていたと思う。



 「じゃ、着いたら起こしてくれ。場所は目立つから分かるよ、おやすみ」

車の後部座席へ乗り込むと、武は体をくねらせてシートの上に横になってしまった。藤木は助手席から彼の姿を垣間見る。動かない。眠りに落ちているようだ。

「壱与子さん、この人寝ちゃいましたよ。ひでーなぁ、任せっきりで」

「いいよいいよ。場所は分かったから大丈夫。行くよ」

ハンドルに手をかけつつ、正面を向いたまま彼女は言う。アクセルを踏んだ。

下呂組の事務所はここから二駅程度離れたところにあるそうだ。武による乱雑な地図を頼りに、彼女は車を走らせる。


 しばらく無言のドライブが続いた。オーディオもラジオもつけていない。

藤木が話題を探すのに滞っていると、壱与子は微笑みざまに口を開くのだった。


「そういえば。藤木くん、私の声って、どう思う?」

「こ、声? どう思うって……」

言葉が上ずってしまった。坊主頭のせいで、熱と赤みを帯びはじめた藤木の耳が強調された。先程飲んだビールによる火照りにすぎないのだと、彼はそう断定する。

彼女の声。

藤木が今、ここに留まっていることの大義だ。壱与子の声を少しでも長く聞いていたい。何故かと訊ねられたとしても、論理立てた説明などできないだろう。中毒者が覚醒剤を欲しがるように、本能がそれを求めるのだ。もっと、もっと欲しい……


「ずっと、聞いていたい……です」

「ほんと? 嬉しいなぁ」

ほろ酔い気分でつい噴飯モノの言い回しをしてしまったと、藤木は発してから後悔した。しかし、壱与子の反応はあくまであっさりとしていた。滑り止めで受けた学校の合格通知が届いたのを目にしたような。

「藤木くんってさぁ……童貞? それとも、マザコン?」

「ぶっ」

表情を変えずに彼女が口にした俗っぽい二語に、藤木は不可抗力的に噴き出してしまう。

信号が赤に変わった。ここ長いんだよ、壱与子は短くぼやく。

「どっちも違いますよ、なんなんですか、もう」

苦笑する。事実、そうではない。そうではないに決まっている。サクラと性交した経験はあるし、いまさら反抗期の時期ではないが、母親に対する度を超した執着はない――と思う。

「ほんとー?」

「ほんとだって」

彼女の声がもっとも美しいのは、疑問形のときなのだ。語尾がすっと持ち上がる。もし音を可視化するとしたら、子猫が尻尾をピンと立てて、左右にゆらゆら揺らしているさま、それだ。性的魅力とも母性とも違う。なんとも言えぬかけがえのなさ――尊さが満ち溢れているのだ。藤木はじっと壱与子の横顔を眺める。

「藤木くん」

「なんですか」

「そういう感情のことを、なんて言うか分かる?」

年の割に彼女は肉体も精神も若々しく、可愛らしかった。しかし、正直な話身体的な、異性としての魅力であれば、同い年のサクラのほうがよほどある。

ゆえに。

「……愛、ですか」

藤木は自棄になっていた。このまま信号が変わらなければ、『カサブランカ』のハンフリー・ボガートじみた台詞を口にしかねない。

壱与子はかぶりを振った。

「ううん。もっとディープで、もっと内向的なの……」

「つまるところ何なんですか。俺には分からない」

信号は青に変わった。彼女はアクセルを踏む。

「いわゆる、萌え?」

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