ホテル・カリフォルニア 2
「月光仮面じゃん」
顔面全体に包帯を巻きつけ、目だけを露出させた出で立ちとなった武に指をさし、壱与子は笑った。
「月光仮面?」
藤木は武の容態を憂う。肉がそげているのだ。一刻も早く病院へ行かないと、取り返しのつかないことになってしまうのではないか。
「知らないの、月光仮面」
「知りませんよそんなもの!」
血だらけになった服を脱ぎ捨てて新しいTシャツに着替えた武はもごもごと唇を動かす。包帯にはばまれて、まったく声が響かない。
「やっぱり、口も出してくれ。話せない、というか呼吸できない」
かろうじて聞き取れた彼の言葉を受けて、壱与子は包帯をめくって武の唇を露わにした。
「あの、病院……」
「それが駄目なの。病院なんて行ったら、間違いなく足がついちゃうから」
「しかし、ここも目をつけられたとはな……すまん、壱与子」
「いまさら謝ったって、しゃあない」
「藤木もな。お前、もう帰っていいよ。……とんでもねぇことに巻き込んじまったな、悪ぃなぁ……」
「そう、ですか」
唐突に言葉を振られ、藤木は曖昧に返答した。
なんだか後ろめたかった。
猫を拾い上げようとしたその時には既に、彼に親しみのような感情を抱きはじめていたのだ。布団に横たわって痛みに悶えるさまを見ていると、切なくもなる。これがヤクザという
「このヒトね、
爆散した猫の残滓を黒い袋へ詰め、畳を布巾で擦ったものの、その生々しい血と獣の匂いはいまだ部屋に漂い続けている。それの他にも、銀色の金属片がいくつか床に散っていた。猫がつけていたシルバーの首輪だ。
「みくりや……って、武さんの入ってる組ですよね」
武が朦朧とした口調で言うには、あの猫には小型の爆弾が括り付けられていたらしい。派手な爆発は起こさず、人体のみを破壊するような……
暴力団の抗争を戦争と言ったりするのは、あながち誇張表現でもないのかもしれない。藤木はあらためて自身の軽率な行動を悔やんだ。
「このヒト、組を裏切ったんだよ。
裏切りという語から連想し、武の手元へ視線を向けてみる。双方、五本揃っている。
壱与子を制すように、武はおもむろに腰を上げた。布団の上にあぐらをかく動作にすら、ひどい苦痛を伴っているようだ。
「御厨の野郎は古いタイプのヤクザ
「武さん」
藤木は念入りに彼の掠れた言葉を聞き取る。
「ああ……俺の住んでた家にも火ぃつけられてな……こうして壱与子のウチに潜り込んでたんだ。でも、もうここもバレた」
「どうするの? これから」
壱与子は怪訝な顔をして訊ねた。
「俺の座右の銘、攻撃は最大の防御」
それほど満身創痍の状態に相応しくない語彙があるだろうか。藤木は虚しさを覚える。
「どういうこと」
「もう潮時だ。
「下呂組?」
「かつて御厨と対立して半壊に追い込まれた組だ。最近親分が病気で死んで、今はその妻が組長をやってる」
「へー。そんなことがあるんですね」
「しかも、組員は親分を入れてぜんぶで十二人」
「はぁ……」
なんだか話が間抜けじみてきた。いったんそう思うと、顔面包帯ぐるぐる巻きの武の姿も滑稽に感じてくる。
「ヤクザは嫌だけど……女の人がボスだなんて、なんだか素敵」
藤木は無論、暴力団のことなど何も知らなかった。それでも、男社会であろう界隈において前線に立つ女アウトローの姿を夢想してみると、それは確かにアトラクティブである。
「それはそうと、どうして裏切りを? ヤクザからは足を洗ったってことですか」
武は何も答えず、首を縦にも横にも振らない。一拍おいてから、ようやく口を開いた。「なぁ、藤木」
「はい?」
「俺はな、お前に一目置いてんだぜ」
唐突にそんなことを言われ、彼はうつむいた。今は恐れよりも、申し訳なさが先行した。
「そんな顔するな。皮肉じゃないぜ。ほんとだよ。なぁ、壱与子……」
こくこくと壱与子は肯定し、軽く微笑んだ。
「だからな、お前はもう帰れ。お前のしたことは全部許す。だから俺のことは全部忘れろ。こっからはシャレにならない問題だ」
「武さん」
「最後にちょっと、俺の話を聞いていくか」
藤木の言葉を遮るように、武は語り出した。
「ピアノ。グランドピアノが、買いたかったんだ」
「ピアノ」
「あのな。俺学歴なくてな、仕事も全然見つからなくて……そんな俺でも稼げるって言うからヤクザになったんだよ、ピアノを買うために……だから頃合見計らって、抜け出すつもりだった」
藤木は切実に頷く。テロによって家族を失った遺族へインタビューをするジャーナリストの気分だ。
「でも、そう上手くいくもんじゃなくてさ。御厨って男は足を洗うことを断固として許さなかった」
「はぁ」
「だから俺は逃げることにした。オーストラリア人の女と結婚して、タスマニアに移り住むはずだったんだ……。そして、海の近くに家を建てて、そこで毎日ピアノを弾く……。
しかし目論みはバレた。今思えば俺は馬鹿だったよ。逃げたいという衝動にかられて、無心でやってしまった」
「あ」
藤木は不覚にも声を漏らした。同じだ。
彼は俺と同じだ。
愛する音楽が聞こえたら、脇目も振らずにダンスを踊り始めてしまう。そういう人間だ。
「武さん」
突発的だった。藤木は腰を屈め、武へ目線を合わせる。
「なんだよ」
「俺も御厨と戦います。手伝わせてください」
「ちょっと、何言ってんの」
ここで壱与子が口を開いた。瞳孔を猫のごとく開き、藤木を見つめた。
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