ヤクザといっしょ 3

 「ところで、あの……武さん。そろそろ、家に帰ってもよろしいでしょうか」

藤木はへりくだって訊ねた。そもそも夜が明けてしまって、今はもう日曜の昼だ。家族はひどく心配しているだろう。バッテリーが切れているようで反応はないが、スマートフォンには相当数の通知が届いているに違いない。

もっとも、彼の両親はさほど生真面目なたちではなく、あまりに弁えていないものでなければ多少の夜遊びも許容の範囲内であった。

今ならただの無断外泊であると思われているだろうが、午後までには帰宅しないとさすがにどやされそうだ。藤木はうんざりしつつ、口内の傷を舌で探った。

「今日、日曜日だろ」

「そうですけど」

「じゃあいいじゃねぇか。ゆっくりしてけよ」

冗談じゃねぇ! 顔に出さずに藤木は嘆く。

武のその砕けた態度から、自分は既に許されているのかもしれないとわずかな期待を募らせるものの、苛立ちながら鼻梁のガーゼを取り替えているさまを目前にすると、やっぱりその希望は打ち砕かれる。ヤクザに怪我を負わせてしまったのだ。殺されてもおかしくないはずだ。これから受ける仕打ちを想像するたびに脂汗がたぎる。深作欣二や北野武が撮る映画に出てくる、生々しい拷問シーンを思い出す。

「えー、家族が心配するでしょ? かわいそうだよ」

よく言ってくれた。藤木は壱与子のその声に惚れ惚れする。

「じゃああれだ。お前家電話かけな。友達の家に泊まってるって。まぁ彼女でもいいけどさ」

言われるがままそうしようとして、藤木は現在自分のスマートフォンが使えないことを思い出す。

「すみません。バッテリーが」

「うちの貸してあげる」

壱与子は立ち上がり、棚の上にあった固定電話の子機を藤木へ手渡した。

礼を述べ、番号をコールする。

武の発した彼女という言葉によって、相手に繋がるまでの間、藤木はサクラと交わした約束のことを思い出した。やべぇ、忘れてた……彼女と見に行く予定だった、オーストリア人の新人監督による作品は決してビッグ・タイトルではなく、それゆえに上映枠は午前中のわずかひとつだった。見終わったあと昼食を取りながらそれの内容を語り合って、午後は水族館にでも行こうか……そんな計画を立てていたのだが、全部オジャンである。藤木は狼狽ぎみに瞬きをする。

怒ってるだろうなぁ。ごめんなぁ。ヤクザに捕まってて行けなかったよ……

「あ、もしもし?」

電話に出たのは来年中学生になる妹だった。

「え、めっちゃ怒ってるって? だろうな! そう。友達ん家。……あ、たいめいけん? 知らねーよ勝手に行ってろよ」

やけくそに対応して、通話を終わらせた。


 そういえば、ここは平屋住宅であるようだ。壱与子の家らしいが、ひとりで住むには不相応に思える。

ふと窓に目をやったとき、風に揺られていたカーテンが不規則に膨らんだのが見えた。藤木はそれにぼんやりと視線を向ける。猫だった。薄茶色の毛をした猫が、窓から部屋へ入り込んできた。

「あっ。猫」

壱与子も気づき、声を上げる。猫は棚の上に置いてあった時計やらペン立てを蹴散らしつつ、体を震わせつつ畳へ降り立った。

「なんだぁ。汚い猫だなぁ」

言葉とは裏腹に、実に嬉しそうな口調で武はそれに近寄った。銀色の首輪をつけているゆえ、野良猫ではないのかもしれないが、どこか痩せ細っている印象を受ける。

「ほら、ほらほらほら……」

読んで字のごとく猫撫で声でしきりに呟きながら、武はすっと腕を差し出して猫を抱きかかえようとする。それと同時だった。

 猫が爆ぜた。

派手派手しい爆発音というよりも、蝶番の外れた扉が倒れたような、そんな音に近かった。

武が猫を抱き上げた瞬間、それが爆発したのだ。巻き上がった煙と火花が混ざり合い、視界を遮る。

壱与子が悲鳴を上げた。閃光と煙が目に染み、藤木は目を開けられなかった。

しばらくしてから、恐る恐る瞼を開く。鼓動があまりにも早く大きく、胸に痛みを生じるほどだった。


 藤木は息を呑み、言葉を失う。

武の右頬の皮膚がペラリと捲れ、かろうじて繋がったそれが顔が動くたびに微量に揺れていた。

傷痕は赤黒くくえぐれていた。上半身を真っ赤に染めている。

沈黙。

有機的な酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐった。畳を、ぐちゃぐちゃになって臓物を撒き散らした猫の残骸が汚している。

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