ヤクザといっしょ 1
半ば自棄になっていたと思う。藤木は背中のバットケースの中身を抜いた。
ケースを鞘のごとく捨てる。自転車を止め、近くの電柱へ身を隠す。
約十メートル先の光景に目を見張る。廃業となったレコードショップの前だった。蜘蛛の巣の張った電灯がアスファルトを照らしている。
若くはないが、老けきってはいないような女だった。
彼女は短く、息の詰まったようなあえぎを上げる。そんな彼女へ覆いかぶさろうとする影、夜と同化する黒のポロシャツを纏った男だった。藤木はコンタクトレンズを隔てた両目で、その経緯をじっと眺めた。
男は女のワンピースの首下へ手を差し入れ、胸のあたりでなにかを探るかのように動かした。痛い、痛い……女はそんな声をしきりに漏らしている。男はにやつきながら、それを執拗に続け、囁くように言った。
「ここか……? ここなのか?」
ついに男は彼女の衣服を掴み、剥ぎ取ろうとした。ちらりとへそのあたりの素肌が露出する。
衝動的にバットを握った。男の風貌を一瞥する。全身に覇気を纏っている、というわけではないが、なんだか、その目付きに堅気の人間ではないような印象を受けた。
藤木は自分に正義感などないと自負していた。
自己と関係のないところで不正が行われていようと知ったことではないし、これまで多少の悪いことだって人並みにしてきた。
と、ここで引退試合を回想する。俺はあの劣悪なスリーバント失敗で、流れを変えるチャンスをことごとく潰したのだ。そして地区予選一回戦での惨敗を喫した。あの試合の戦犯は俺だと言っても過言ではない。
思えば、これまで俺がなにかを成し遂げたことが一度でもあったか? 誰かの為になったことは?
彼は自身の愚鈍性を察した。そして、このままでは何も変わらないことも。
お前は一生、チャンスを潰して、他人の足を引っ張って――スリーバント失敗を続けて生きて行くんだ……
冗談じゃねぇ。
藤木は勇気と無謀を履き違えることに決めた。
「ホラ、暴れるんじゃねぇよ」
「いやぁっ……痛いのぉ……やめてぇ……」
ついに黒シャツの男は女を押し倒さんと両手首を掴んだ。藤木は息を強く吐き、唾を吐いた。見る前に跳べ!
彼はグリップを両手で絞り、電柱の前へ躍り出た。
白球よりも数倍も巨大なそれを打ち損じることなど、あるわけがない。
男の後頭部を芯で殴打した衝撃が藤木の手首へ伝達した。電撃。男はのけ反り、狂ったように足元をばたつかせた。襲われていた女が短く悲鳴を上げた。無心だった。すかさず藤木は追撃を行う。
もう野球などまったく関係なかった。右手に構えたバットを下から上へ振り上げた。男の顔面に鈍く命中する。鼻柱を打ったようで、ミズノのロゴマークのあたりに血が付着した。
藤木は笑った。
レイプから女性を救う、なんてことは彼にとってはどうでもよかったのだ。
ただ、悪人の頭をボコボコに叩いて発散したかっただけだ。内に秘められたフラストレーションを解消する手段を偶然、ここに見つけたに過ぎない。
藤木は三発目に移ろうと、地面に転がった男へ歩み寄った。振りかぶる。
視界が崩れた。男の放った足払いに体勢を崩され、為す術もなく転倒する。藤木は尻もちをついた。すかさず男は立ち上がる。グリップを握った藤木の右手を蹴り上げた。藤木は痛烈な痛みに顔をしかめるが、苦悶の声は漏らさなかった。バットが音を立ててアスファルトを転がった。
それを拾ったのは女だった。おろおろとしつつ、それを赤ん坊のように胸元へ置いた。
「おい、それを寄越せ……」
藤木の発声が終わる前に、男は跳んだ。膝を彼の鳩尾へとめり込ませる。
「ぎゃっ……」
最後に記憶していたのは、鬼の形相になった男の顔と、それが突き出した裏拳だった。
何故か、手の甲にあった毛穴まで、ばっちりと見えた。
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