第十話 忘れ去られる怒り


 クロアが印したポイント付近だ。

 周囲に見えるのは平らな屋根で、ここより高い建物はなかった。

 その四階建てマンションの屋上から見下ろすと、モンスターに追いかけられる女子高生を確認した。

 すぐさま飛び降り、身体を一回転させた。伸縮性の高いタイトスカートが、しなやかに聖明依の太ももを包み、美しいシルエットを描く。そして、片膝をついて着地した。

 

 突然のエンカウントに、ゴブリンたちが

 聖明依は背中越しに声をかけた。

「大丈夫か?」

「あ……、ああ……」

「酷いことを」それは見るに耐えなかった。

 少女の衣服が乱れ、スカートが引き裂かれていた。身体は精一杯の抵抗の跡である、引っかき傷や痣も見えた。

 年の頃は聖明依とさほど変わらない。そんな少女が一生分の辱めを受けたのだ。平然といられるわけはなく、血の気は完全に引いており身体の震えははっきりと見えた。


 聖明依はモンスターに向き直ると、眉間にシワを寄せ鋭い凝視を向けた。

「ギッギッギッ」

 ゴブリンたちは全く怯みもせず、新しいメスに向かって昂ぶりを見せた。


「ギィィィィギギギ」

「ギ⁉――」


 聖明依は予備動作無く、まるで居合い斬りのように蹴り飛ばす。

 何が起こったか分からないゴブリンたちは、隣の仲間の頭が破裂したと判断するのに、数秒の時間を要した。

 聖明依は、冷徹な目で見下げた。

「来い! おまえらを全員……殺す!」


 この後のゴブリンは、まるでゴミ処理場に飲まれる壊れた人形だった。

 一匹は反対車線側の壁へ吹き飛ばされ、全身が破裂。もう一匹はアスファルトに叩きつけられ、贓物が扮解。別のゴブリンは顎を蹴り上げられ、その場でどす黒い肉塊と化した。


 その間、聖明依はただ立っているだけに見えた。それが、礼儀を捨てて相対する最大限の侮蔑だった。


 どれくらい時間が経ったか。

 十匹以上のゴブリンを駆逐しただろうか。周りを見ると、死体以外は見えなくなっていた。

 少し、桃源鈴を巻いた左手の腕時計をみると、三分程度だった。

「……もう、さっきの怒りが消えてしまっている。私は――」

「い、いやぁぁぁぁぁぁ!」


 聖明依はポニーテールをなびかせ、叫ぶ女子高生に振り返った。

「大丈夫か」

「きゃああああああ!」

 絹を割いたような悲鳴に、耳がやられそうになった。

 手足をジタバタされるため、取り繕う暇がない。

「落ち着いて。もうバケモノはいないから」

「やだっ、やだっ、いやーーー」

「フラッシュバック……。今、襲われたときの記憶が蘇った? 大丈夫だ、全部やっつけたから」

「助けて! 助けて!」


 身を丸くしてのたうち回る彼女に、聖明依は触れることも出来なかった。

 ため息をつき、襟の通信機を押した。

「こちら槇村巡査部長。民間人を発見した。至急、保護を頼む」

『了解です。……こちらクロア巡査、周りのゴブリンは掃討しました。……あっ、あれは青い――』

 通信が突然途切れ、ノイズで大きく乱れた。

「クロア、おい、どうした。クロア? 一体何が」


 今すぐに駆けつけたいが、彼女をこのままにしておくわけにも行かない。

 まだ、浄化しきれていない服に付いた返り血をすくい取った。その指で、アスファルトに五芒星を連結させた大きな弧を描き始めた。

 道幅いっぱいに描かれたその幾何学的な弧は、女子高生を囲み円となった。


「この血の結界は、同族のものを寄せ付けない。まだ周りにゴブリンがいたとしても、大丈夫。だからこの円から外に出ないでね、お願い」

 聖明依は、目線を合わせて精一杯の笑顔をつとめた。でも、彼女は目をつむったまま怯えていた。

 それでもかすかに、「……うん」と小さく頷いてくれた。


 胸騒ぎが治まらない聖明依は、心臓を握りしめるように服を掴んだ。

「クロア、応答してくれ」

 そして屋根上へ飛んだ。


《近くで強力な結界が、砕かれたぞ⁉》

 ポニーテールをまとめた孔雀羽の髪飾りから、低く響く男性の声が静かな驚きを呟いた。

「結界が砕けた? どういうことだ」

《推測している暇はない。もしものときに備えて、撫士虎なでしこを腰に下げておけ》

 䰠が関与しているのか?

 いや、そのことは考えから捨てて凰鴆おうちんに頷いた。余計な先入観は死にもつながる。

「分かった」

 手を掲げると、刀剣は主の招きに応えた。


 嫌な予感が益々強くなるばかりだった。

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