第二話 䰠

「どこに向かわれるのですか。この霧では何も見えなくて」

「ちょっと野暮用があってな。それを片付けたい」

 慣れない霧と街に戸惑いながらも、聖明依はなんとか将校についていった。


 将校は背中を見せながら聞いた。

「桃源神宮、あの後はどうなっている?」

「半年以上経ちましたから、少しは復興してます。ただ、殆どの陰陽騎兵たちが犠牲になってしまいました。帝が自ら先頭に立っておられます」

「そうか。朝歩実はどうしている?」

「師匠は……、裏例大祭で責務を全うした後、鬼煌帝天空に殺されました」

「……残念だ。彼女とは同期でね。あいつが鬼煌帝紅桜の継承者に選ばれた時は、とても悔しかったよ。なのになんとむごい」

「時々、話してくれました。生意気な男の子がいたって」

「生意気か、ガキの頃からものをはっきり言うやつだったな。……この話は墓の前でやろう。それよりもそろそろ着く頃だ」


 進むたびに空気が一気に淀み、そして張り詰めていく。

 桃源神宮の術者が使う特有の結界だ。

 聖明依は聞いた。

「この結界は将校が?」

「ああ。これくらいしか取り柄がなくてね」

 すると将校は襟を指で挟むと、それに向かって話しかけた。


「俺だ。今ついた。何か変わったことはあるか」

『はい。あれから首謀者らしき男は、戻ってきません』

「他は?」

『その……。四肢を切断された女の子が……部屋の中でひたすら暴れています。自分、見てられません』

「そのまま待機していろ」

 通信を切ると、聖明依に向き直った。

「聖明依君、これから君に月桂の初任務を与えよう」

「なんですか、唐突に」

「あの一軒家の二階に、拉致された少女たちがいる。あの中にいるシンを討滅してくれ」


 聖明依の髪飾りが豪快に笑った。

《わはははっ。こいつは面白い。そんなに鬼煌帝が見たいか、漣》

凰鴆おうちんなのか⁉ 本当に言葉を話すとはびっくりだ」

《心外だな。我は伝承の作り話ではないぞ》

「ということは、本当に鬼煌帝を纏えるのだな。聖明依君」

 聖明依は強く頷いた。

「はい。師匠を超えられた、唯一の取り柄です。他ではかないません、永遠に」

「そうか。朝歩実にも見せた紅桜を俺にも見せてくれ。そして、䰠を討滅してくれ」

「これは入隊試験ですか」

「愚問だ」

「将校は本当に人が悪い」

 聖明依が微笑うと、ターゲットの潜む家に走った。


 撫士虎を再び手に呼び寄せ、剣を抜くと鞘を腰に寄せた。すると、磁石のように腰に付いた。

 ミニスカートを気にせずジャンプして、二つ跳びで屋根上に降りた。ミニスカでアクロバティックな動きをすると気持ちがいいことを知ってしまってからは、羞恥がを抑えることが出来るようになった。

《おそらく䰠に憑かれたのは、手足をもがれた娘だ》

「可哀想に。今楽にしてあげる」

 剣を振りかざし、屋根を貫いた。するとヒビが走り崩れ、二階まで聖明依が落ちた。


 聖明依が剣を構え、周りをみると少女たちが裸で怯えていた。

 月明かりに照らされた肢体は、無惨そのものだった。鞭や荒縄の跡、全身を針のむしろにされた者、強引に身体を曲げ固定された者、馬のような器具に固定されたものなど。皆、身体の何処かに張形ディルドが刺さっていた。

 しかも異臭が凄まじい。血と汚物のアンサンブルが鼻を捻じ曲げてくる。


 これまで数々の鮮烈な現場に居合わせたが、やはり色欲が絡む現場だけは慣れなかった。

 聖明依は左手首に巻かれた4つの鈴、桃源鈴を彼女たちに近づける。この鈴は普段は全く音がしない。どんなに振ってもだ。

 だから、このまま鳴らないでほしい。


 チリリーン……チリリーン……チリリーン。

 チリリーン……チリリーン……チリリーン。


 無情にも、澄んだ高い鈴音が鳴り響いた。

「手遅れか……」

 この部屋にいる女の子全員に反応があった。

 この鈴が鳴ったということは、すでに䰠に取り憑かれている。つまり人間ではなくなったという証拠だ。

 䰠は人を食らうのではなく、増殖するように取り憑いていく。一度誰かが䰠になると、ウイルスが感染するように広がり続ける。

 憑かれた者の理性は消え、本能だけが暴走し、殺人・強姦・その他非道の限りを尽くす。

 放っておけば、パンデミックになる。

《聖明依、陰陽騎兵の務めを果たせ》

 年端も行かぬ、少女を呼ぶには幼い娘までいる。それでも聖明依はおのれを奮い立たせた。

「無論だ。䰠と成り果てた者は人にあらず」


 せめてもの情けと、すぐに斬ろうとした時、四肢が無くなった裸の少女が突然奇声を上げた。

「ぐえぇぇぇぇぇぇぇ」

 と同時に切断された四肢から腕や脚が生え始めた。それはそれぞれ三本にわかれ、蜘蛛がいくつも折り重なったかのような姿に変貌してしまった。

「きょぇぇぇぇぇぇぇぇ」

「きゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃ」

 周りの女の子も呼応するかのように、同じ姿に变化していく。

 その数、二十体は超えている。

 聖明依が破壊した屋根はおろか、重みで家ごと潰してしまった。

 聖明依は軽く受け身をとり、中央で立ち構えた。


《彼女たちのもっとも強い本能は、破壊と殺戮だ。あの男、いったいどれだけの仕打ちをしてきたんだ》

「凰鴆、無駄口叩かないで。それに、想像したくない」

 䰠の蜘蛛足の一撃が一斉に襲いかかった。

 その軌道を見切り、一本の剣で受け切った。

 十人以上の、更に巨大化した体重が伸し掛かってくる。鍛え上げた肉体を霊力で倍加していても長く耐えられそうにない。

 跳ね除ける力も足りない。


 聖明依は受け流すことを選んだ。

 足位置をわずかにずらし、そのまま身体の中心を移動させた。

 すると剣にそって蜘蛛足が滑り出し、激しい火花を散らせた。この蜘蛛の身体は金属以上の硬さなのだ。

 だが聖明依にとって好都合であった。


 散った火花が花びらのような形をとり渦を巻いていく。それはまるで桜吹雪のようだった。

 剣と蜘蛛が擦り合わされれるほど、どんどん巻き上がる。

 そして聖明依を桜吹雪が包み込み、周りの䰠たちを押しのけた。


 その渦の中では、身につけていた服までも桜となり散り、生まれたままの姿になる。

 両手両足に桜が纏わりつき、綺羅びやかな鎧となった。ウエストと胸にも纏わり柔らかな装備となって、たゆんと乳房が揺れた。そこに厚みが増していく。腰当ては水着のようなハイレグカットで、それを短い前垂れがスカートのように覆う。

 頭は光に瞬くと、一瞬で兜が装着された。その鬼のような面頬は花びらと散り聖明依の凛々しい素顔が現れた。


 紅いメタリックに輝く鎧を身にまとった聖明依が、剣を横一文字に構えて名乗った。

「鬼煌帝朱雀が《紅桜》、いざ参る!」

 より桃色の輝きを増した撫士虎の軌跡が、聖明依よりもやや大きい䰠たちを叩き斬っていく。


 それを遠巻きに見ていた将校たち二人が、感嘆の声を上げた。

「あれが紅桜か。生きてこの目で見る日がこようとは」

 そして手を拡声器のように構えて、大声で言った。

「聖明依! 鬼煌帝の装着時間は90秒のリミットがあるはずだ。忘れるなよ」

 䰠がその声に気が付き、数匹が襲いかかる。

 聖明依は籠手を剣で擦り上げ、光の弧を発射した。

 見事命中し、その䰠たちは討滅された。


 聖明依がその場で呼びかけた。

「将校、そしてそこのあなたも。下がっててください」

「助けられたな」

「全く、余計なことは言わないでください」


 途端に䰠が距離を開け始めた。

 三体ほど飛びかかっては逃げるという、ヒット・アンド・アウェイの戦術に切り替えてきた。

 最も大きな身体をした䰠があざ笑った。

「あははは。時間はすでに一分を過ぎているぞ。力尽きたところでお前を八つ裂きにしてやる」

 それを聞いた聖明依は、将校を睨みつけた。

 将校は手を合わせて謝るポーズを取っていた。


 残り十体以上の䰠を倒すのには、時間がかかり過ぎる。

 聖明依は紅桜の籠手に剣を滑らせて、火花を散らせた。それは桜となり、空に舞い3つの渦を巻いて槍となった。

三楼槍サンロウソウ、急々如律令!」

 号令とともに桜の槍が射出された。

 だがそれは、リーダー格である䰠を庇った他の䰠を貫くだけに留まった。


 聖明依は後ずさりをする。

 䰠がケラケラと笑った。

「あひゃひゃひゃー。あと少しで90秒だ。カウントしてやろう。10、9、8、7、6、5、4、3、……」

「くっ……」

 聖明依は頭を抑えてフラフラと目眩を起こした。

 䰠はそれを逃さなかった。

「今だ、いけぇー。総攻撃だ!」


「《豪炎・桜吹雪! 急々如律令!》」


 突如、聖明依の号令が響く。すると紅桜の鎧から一斉に桜吹雪が炎と舞い上がり、飛びかかってきた䰠たちを無秩序に焼却討滅していく。

 そしてリーダー格の䰠との間合いが、一気に詰まった。


 桃色の刀剣を首に当てられた䰠が、冷や汗をかきながら聞いた。

「なぜだ? お前の鎧の限界時間はとっくの昔に終わったはず」

「生憎だったな。私はこの紅桜を纏ったまま、10分間は余裕で戦える」

「なにぃぃぃぃぃ⁉ 騙したのか、陰陽騎兵のくせにぃ、剣警のくせにぃ」

「苦情は閻魔様にでも言ってこい」


 聖明依の顔が桜に覆われ、鬼の面頬と化す。

「ひ⁉」

 䰠と成れ果て怖れなど消えたはずの彼女の顔に、心の底からの恐怖が浮き出てきた。

 刀剣撫士虎を、䰠の身体に幾重にも刻みつける。その度に桜が舞い散るかのように火花が現れた。


 それは徐々に加速を始め、人の目には追うことが出来ない軌跡が浮かび上がってきた。

 五芒星が真円に囲まれた時、䰠の身体が桜の炎に包まれた。


「我が紅き桜は、魔を焼き払う。討滅せよ! 䰠」


 全ての䰠の討滅を確認し、紅桜の鎧は桜と散り去った。そして元の服装に一瞬で戻った。ミニスカートがふわりと収まる。

 将校が拍手を送って近づいてきた。

「見事だ。伝説の鬼煌帝の力、見せてもらった」

 聖明依はそっけなく腕を組んだ。大きな胸が、たゆんとのしかかる。

「将校、戦いの最中に余計なことは言わないでください。ていうか、知ってましたね。私の鬼煌帝戦闘時間が史上最長だってこと」

「そうなのか! 文献ではああ書いてあったんでてっきり……」

「分かりました、そういうことにしておきます。そちらの方は?」


 聖明依よりも頭一つ分背が高い、将校と似た軍服を着た男が立っていた。帽子から溢れる髪は金髪のテンパー掛かっていて、腰には細身の剣が下げられていた。

 もはや霧も晴れ、朧がはっきりと満月に見える。

 将校が手を広げて紹介した。

「彼は先程の通信相手でね、月桂に入隊したばかりの新人。クロア・八木薙君だ」

 クロアは礼儀正しく敬礼をして応えた。

「僕の名前は、クロア・八木薙です。階級は巡査です」

「よろしくおねがいします」

 聖明依は軽く会釈をした。


「ところで君たち」将校が言った。「これから月桂でバディになってもらう」

「……」

 聖明依の思考回路がちょっと停まった。

「……って、はぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る