一章 陰陽騎兵 聖明依

第一話 朧

 霧深い夜は温かい。

 月明かりが乱反射し、霧は輝いていた。

 凰都の7月は濃霧の月である。


 そこに年の頃は高校生くらいの少女が、一人立っていた。

《やたらと霧が濃ゆいな。これは魔硫まりゅうガスとやらの影響か?》

 明らかに少女のものではない声が囁く。

 少女は来る前に聞いた、凰都の特徴を思い返した。

 魔硫という最近見つかった元素により、技術革新が起こった。しかも凰都以外では発生しない。そして人を超えた力すら与えるという。

「だろうね。気候がかなり変わってきたと聞いている。昔は雨が多かったらしい」

 気候にすら変化を与えるのか。

 低く威厳のある男性の声に、少女は独り言のように答えた。

 少女が歩きだすと、会話が続いた。


聖明依せいめい、その格好はどうかと思うが》

 聖明依と左側の孔雀の羽の髪留めに呼ばれた少女は、手を添えて返事をした。

「ミニスカートとニーハイソックスは、同世代の必須アイテムと聞いている」

《確かお前は大きな尻をかなり気にしてなかったか? ここにきて強調するような服を着て。やっと美貌の自覚を持ち始めたか》

「は、恥ずかしいから余り言うな!」思わずスカートを抑えてしまう。「この姿は世間に溶け込むためだ」

 2065年の今もこのファッションは変わらず、東京五輪の頃からの日本の伝統のようなものだと読んだ。


《溶け込むも何も、こんな濃霧の夜に出歩く女子高校生はいないだろう》

「復讐を遂げるまでは、学校になんか行ってる場合じゃないわっ」

《ところで聖明依、前から聞きたかったが》

「なに?」

《その大きすぎる胸は恥ずかしいくないのか》

「お、大きな胸はねっ、豊かさの象徴なの! む、むしろ誇りだわ」

《なぜキョドっている?》


 長い間、世間から隔離された環境で育った聖明依には、インターネットの情報だけが頼りだった。

 大きなおっぱいは、女にとって武器であるということもネットの情報だった。


 それにしてもこの霧では、ここが大通りなのか裏通りなのかすら分からない。

 近くに見えた角を曲がるとやや冷たい空気が流れ込み、聖明依は少し身震いした。

 

「おい、姉ちゃん。一人でこんな時間にお散歩かい?」

 濃霧で顔がよく見えなかったが、男が二人聖明依に話しかけてきた。

 またナンパか、凰都に着いてから何度目だ。

 面倒な顔をしながら無視を決め込むことにした。

「おい、聞いているのかよ」

「おっほー。おっぱいデケェじゃん。いいね、俺は巨乳好きなんだよ」

 ここまであからさまに言われると、恥ずかしくなるよりも呆れ果ててしまった。

 だが、かまっている暇は本当に無くなった。


 聖明依が言葉を発しようと呼吸をしたその時、左側の男の首が飛んだのだ。

 舌打ちをするともうひとりの男に言った。

「逃げなさい。命が惜しいなら」

 少しだけ霧が晴れ、血しぶきを出しながら斃れた男の死体が確認できた。

 それを見た男は、すぐさま逃げ出していった。


「確かに逃げろといったけど、ナンパしようとした女の子に一言もないなんて失礼でしょ」

《聖明依、無駄口はよせ》

「わかってる。桃源鈴の反応は無かったよね」

 左手首に巻いてある、4つの鈴をちらりと見た。

《ああ。相手は人間だ》


 霧の奥から、大太鼓のように太った男が出てきた。

「お嬢ちゃん、大丈夫? 僕が守ってあげたからね」

「なぜ、殺したの」

 聖明依は冷静に聞いた。死体には全く動じていない。

「お嬢ちゃんが困っていたから、助けてやってんだよ」

「私はそんなこと思ってなかったし、小さな悲鳴すら上げてないけど」

「我慢しなくても僕には分かるんだよ。こうやって色々な女の子を助けてきたんだ。感謝だって毎日されているんだよ」


 聖明依は、インターネットの新聞に掲載されていたニュースを思い出した。

「十代の少女が行方不明。被害届件数十数件に登る。犯人は今だ捕まらず」

「それ僕が助けてきた女の子たちだね。えへへ。パトロールから帰ったら皆に『お礼』してもらうんだー」

 

 聖明依は眉間に皺を寄せて男を睨みつけた。

 太った男は首を傾げて聞いてきた。

「どうしてそんなに怒ってるの? 君もその死体みたいになりたくないでしょ。感謝してほしいな」

 支離滅裂な台詞を言いながら、目は完全に虚ろである。

 聖明依はやれやれと肩をすくめ、そして叫んだ。

「来い、《撫士虎なでしこ》!」

 すると、どこからともなく剣が飛んできて、挙げた右手に収まった。

 鞘を抜き捨て、男に向かって上段の構えを取る。その刀身は、淡いピンク色でありながら白い光沢を放っていた。

 太った男は歯ぎしりをして怒りだした。

「何だよお前、お礼しなきゃいけない立場のくせに僕に逆らうのか? 悪い娘の腕は切り取ってお仕置きだよ!」

 男の腕が振りかぶると同時に、空気を切り裂く音が耳元に飛んできた。

 聖明依は素早くバク転して、見えない斬撃を躱した。

 そして着地の瞬間、大きく踏み込み、一瞬で男の懐に入ると首をハネた。


 男は絶命した。

「やはり人間か。待ち合わせ場所に迷った挙句、人を斬り捨てることになるとは」

《しかし、周りの連中まで斬るわけには行かないな》

「ああ。気づいてて斬った」

 聖明依が両手を上げて、撫士虎と呼んだ剣を捨てた。それはすぐに何処かへ飛んでいってしまった。

 その周りを警察のような制服を着た男たちが、拳銃を構えて取り囲んだ。


剣警けんけいだ。殺人の現行犯で逮捕する」

 その言葉に聖明依はあっけらかんと言った。

「ちょうどいい。探していたんだ」

「何だと? ……その左手首の4つの鈴は、まさか桃源神宮か」

「済まないね、彼女は私と待ち合わせをしていてね」

 霧の奥から男の声が聞こえた。

 硬い靴音とともに姿を見せた彼は、軍人のような帽子と軍服のような制服を着ていた。

 その姿を見た剣警たちが一斉に直立不動になった。

「し、将校殿」「将校殿の客人とは失礼しました。ですが彼女は」

「いい。彼女は私の同僚だ。それ以上の説明がいるかね」

 剣警達が恐縮すると、一斉にこの場を去っていった。


 聖明依は将校と呼ばれた男を見上げた。背がかなり高い、おそらく180cmはゆうに超えている。

乃木坂漣のきさか・れん将校、私はまだ檄・剣警隊のお誘いをお受けした覚えはありませんが」

「俺は現場優先主義でね。䰠以外の人間を斬ったんだ、本国じゃ桃源神宮の手でどうにかなるんだろうが、凰都じゃその裏技は使えないぜ。だが檄・剣警隊月桂ならそれすら許される。それに、俺には槇村君のしたことが『YES』に受け取れたが、違うか?」

「将校はかなり性格が悪い人ですね」

「よく言われる。だが面頭向かって言われたのはカミさん以来だよ」

、聖明依と呼んでくださって結構ですよ。将校」

 将校は、フッと笑うと手袋をした手を差し出した。

「歓迎するよ、陰陽騎兵・槇村聖明依。そして、鬼煌帝紅桜の継承者であり稀代の天才、聖明依君」

「手袋を取らないのは礼儀ですか、将校」と握り返して握手した。

「術が施されていてね。無礼は許せ」

「分かってました」

「君もなかなかだな」

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