開炎

 聖明依は母の言われたとおり、術を結び結界の維持に努めようとしたが気が散ってしまい集中できない。


 ドン! ドドン!


 門が激しく叩かれた。乱暴に開けようとする意思と殺意を感じた。

「くっ……。術が維持できない」

 もう聖明依に集中力を維持することはできなかった。

 五度目の乱暴なノックで門は破壊されてしまった。

 すぐに臨戦態勢を取り、桃源神宮で叩き込まれた古武術の構えを取る。

 しかし、唖然としてしまった。


「鬼煌帝⁉ どうして? 紅桜以外の纏い手はいないって言ってたのに」

 蒼く澄んだ色に金属光沢で輝く鎧、そしてこの異常なまでの霊力。まちがいなく鬼煌帝だ。過去に読んだ文献が正しいなら、その鎧の名は。

「鬼煌帝《天空》……」

 空を舞い、風を操り、まさに天を支配する鬼煌帝。その蒼き輝きは䰠をも恐れるという……。

「あなたは誰なの?」

 聖明依も突然のことで混乱してしまい、言葉が整理できていなかった。

 天空の顔は、鎧の仮面の面頬めんぼうで覆われていて分からない。

 なにより、これ以上近づけない。

 霊圧とでも言うべき圧力や殺気が、全てを拒絶しているのかようだった。


「待ちなさい……」

 そんな天空の足首を握った者がいた。

 全身血だらけの母だった。

 聖明依は思わず声を荒げた。

「おかぁさま!」

「聖明依……、宝物庫を……鬼煌帝の宝具を……守っ――」

 その刹那、猛烈な突風が吹き荒れた。

 思わず顔を伏せ、巫女装束の裾で守った。


 その風が止んだ。


「おかあさま……、おとうさま……、どこに……」

 姿が無くなった。

 いや、外壁ごとすべてどこかに消えた。


 そこから天空の鎧越しに見える風景は、炎……瓦礫……血……死体……、炎……瓦礫……血……死体……。

 凄惨たる光景に頭がグシャグシャになった。

「あ……、あ……」

 聖明依の腰が、まるで砕けたかのように地べたに落ちてしまった。

 その近くに、独孤が転がっていた。

「お母様……」

 聖明依が一番最初に作って、初めて母に贈った改良霊具だ。

 それでも、拾う気力が振り絞れなかった。


 天空は聖明依に目もくれず、一歩一歩と歩く。だが、通り過ぎることはしなかった。

 蒼い籠手から短銃が顕現し、聖明依の額に銃口が向けられた。

 天空の霊力が風となり、渦となった。


 引き金が絞られようとした刹那、天空の手が何かに弾かれて短銃を落とした。

《聖明依!》

 不意に響いた声で我に返った。

「凰鴆? 御霊は師匠のところにいるんじゃ」

《いいから、受け取れ。飛んで来るぞ》

「なに?」


 太陽の光に瞬きながら、クルクル回るそれが地面に突き刺さった。

 桃色に淡く輝く白い刀剣……。

「撫士虎がなんでここに」

《纏え! 聖明依。でなければあの鬼煌帝に殺されるぞ》


 急に暴風が巻き起こり、聖明依の身体が吹き飛ばされた。

「天空! 貴様だけは赦さない!」

《初めて纏ったときのことを思い出せ》

「分かってる!」


 飛ばされた身体を捻り、体勢を整える。そして一緒に飛んでいた瓦礫に向かって剣先を擦らせた。

 火花が大きく散り、桜吹雪に変わっていく。それらは風に逆らい聖明依の身体を包み込む。


 それを見た天空は、すぐさま長い拳銃を撃った。

 その弾丸を桜吹雪が激しい金属音とともに跳ね返す。

 同時に桜は散り征きて、天空へ吹雪いた。

 天空が桜花びらを振り払うと、そこには紅き鎧が推参していた。

「鬼煌帝朱雀が紅桜、お前を討つ!」

「……あの時、あの女さえ帰ってこなければっ」

「なにを言っている?」

 天空はなにも答えず、拳銃を乱射した。

 ひとつひとつが大きな竜巻となり、弾丸の壁となって紅桜を纏う聖明依に浴びせられた。

「くぅ……」

《聖明依、剣で籠手を擦って火花を出すんだ》

「分かった」

 弾丸の暴風を浴びながら、なんとか左籠手を擦った。

 すると火花が散り、それが桜吹雪となり纏まり傘となって攻撃から守っていく。

「凰鴆、これは?」

《紅桜の力のひとつだ。細かい説明はあとだ。宝物庫を守れ。ここには残りの鬼煌帝十領全てが納められている》

「お父様お母様が命がけで守ろうとしたものを、娘の私がやらなくて誰がやる!」

 強引に桜の傘を解き放つと、天空に向かって突進した。


 急に天空は空を飛んだ。

 聖明依は上を見上げジャンプを試みるも、届かない。

「逃がすものか」

《まだ飛ぶのは無理だ。それに空は奴の領域。纏っての実戦経験がないお前では勝てぬ》

「しかし、鎧が」

《やられた。鬼煌帝の霊力がもう感じられない。すでに転送された後だ。あの弾龍禍ダンリュウカのときだ。なんて手際だ》

「天空だけでもぉぉぉぉ」

 渾身の跳躍で、500メートル以上は飛んだ。だがもう天空は雲の彼方に消えてしまった。

《奴め、自分の逃亡よりも鎧の転送に霊力を使ったのだ。それも天空なら可能か》

「おのれぇぇぇぇぇぇぇ」

 悔しさにあまり、瓦礫となった宝物庫を叩いた。

 100メートル四方に大きなヒビが走った。

 聖明依は2つめの拳を振り上げるのをやめた。悔悟の念にさいなまれ、両膝をついて崩れた。とうとう鎧を維持できず、桜の花びらが散るように消えてしまった。


 黒い煙がなびき、聖明依のミニスカートが翻る。

 炎が冷酷にも瓦礫を焼いていく。

 ほぼ無抵抗に刻まれた陰陽騎兵が横たわている。

 見慣れた景色はもう何もない。

 幼い頃から苦楽を過ごした桃源神宮は、たったひとつの鬼煌帝によって壊滅したのだった。


《聖明依、お前に言っておかなければならないことがある》

「……なに?」

《天空に殺された朝歩実の最期の言葉だ。『紅桜を聖明依に届けて。そして、大好き』……と》

 聖明依は泣いた。

 母も父も殺され、里も燃やされ、何よりも一番大好きだった師匠まで奴に殺された。

 その仇をみすみす逃したのだ。


 自分はなんと弱いのか!

 自分はなんと愚かなのか!

 

 その心の叫びに呼応するように目の光がなくなり、心臓がゆっくりと緩やかになり、身体の芯が冷え始めた。

 そして、身体が黒く変色を始めた。


《聖明依、気をしっかり持て! このままでは䰠に堕ちるぞ。せっかく紅桜を継承したのに、これでは何もかも無意味だ。朝歩実の想いも》

「……」

 身体の殆どが䰠の汚れに侵食され、朱雀の巫女装束も加護を食い尽くされてしまっていた。

《もう一度、最後の言葉を思い出せ。朝歩実はお前になんと伝えたのかを!》

「……!」

 師匠の最後の言葉を思い出した時、今までの教えが走馬灯のように蘇った。

「凰鴆、精神乖離の術をやる。サポートして」

《本気か?》

「意識が残っているうちに、早く!」


 呪法が間一髪間に合い、巫女服に黒い穢れが集約し始める。

 聖明依は全裸になろうと構わず、すべてを脱ぎ捨てた。


《よし、瞬間纏いだ!》

「荒御魂よ、我に力を!」

《今だ、復讐鬼を斬れ!》

「うわぁぁぁぁ!」

 穢れた己の影を、横一文字に斬り捨てた。

 影は塵となり討滅された。この剣先には、朱雀の巫女装束だけが斬られること無く残った。

 そのまま倒れ込むように、気を失ってしまった。


 それからしばらくして、聖明依起き上がった。

 呆然と焼けた里を、裸で歩き続けた。装束を左手で引きずっていた。

 宝剣撫士虎も、髪飾りの凰鴆も、歩く途中で捨ててしまった。

 ただ今は、何かを身に着けていることが嫌だった。

 そんな聖明依の瞳には、一滴の涙もこぼれていなかった。


 今朝、告白してきた男の子の死体を見下ろした。

「形が残っている。……あのね、私のお父様とお母様の死体は、一欠片も残ってないから、お墓作れないんだ」

 苦笑して、こう言った。

「……ふたりの顔が思い出せなくなっちゃった」


 燃え盛る里を見ても、父や母の遺体があったであろうところを見ても、何も感じなくなってしまった。


 聖明依の心から、恨み・憎しみ……復讐という心が消え去っていたのだった。



 ――喪が開けて、数ヶ月後。

 17歳を迎えた聖明依は、蒼い鎧が凰都に現れたとの情報を掴んだ。

 宝具の捜索を他の者に委ね、天空を討たせてほしいと、桃源神宮で生き残った帝や大宮司たちに掛け合った。

 現状、天空に対抗できるのは聖明依の紅桜唯一人。桃源神宮は仕方なくそれを飲んだ。

《聖明依、行くのか》

「そのために、修行を重ねたんだから!」

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