継承の儀

 鬼煌帝継承の儀のことは、両親にも話してならないと言われた。

 しかし、聖明依は誰かに言いたくて仕方がなかった。まだ十を超えたばかりの少女である。初めての喜びを伝えずにいられるはずがなかった。


 真っ先に両親に伝えようとしたが、それは叶わないことだ。山奥で雪も積もる季節だ。一度迷子になって思い知らされた。

 一人で山を降りるなんて怖くてできない。


 師匠の朝歩実が狩りの当番をこなしていた日、聖明依は小屋で薪割りをしていた。

 すこーん、すこーんといい音を立てて丸太が割れていく。

「うわー、すごーい」

「誰?」

 聖明依が驚きの声に反応すると、自分と年の頃が近い少年が一人で太い木の枝に座っていた。目が大きく、ややツリ目のおかっぱ頭だ。神官用白衣びゃくえを来ていて、袴の色は藍色だった。この辺りの子なのか、見かけない装束だった。

 少年は降りないまま、拍手を送っていた。

 首を傾げながらも、もう一度尋ねた。

「あなたは誰?」

「薪割り上手いね。ねぇ、ここも桃源神宮なの?」

「里のお山だって聞いたけど、それがどうしたの?」

「ふーん」

 質問ぜんぜん答えない少年に構ってられないと、残りの薪割りのため斧を振り上げた。


「良いこと会ったの?」この言葉に振り下ろした斧が寸止めとなった。

「どうして?」

「だって嬉しそうだもの」

「うん! すっごい良いことがあったの」

「どんな?」

「私ね、紅桜を貰えるの!」

「紅桜って何?」

「鬼煌帝の鎧だよ」

「……、……。そう、すごいね」

「でしょ?」


「ただいまー」

「師匠、おかえりなさい。あっ……」

 朝歩実の声を聞いた時、はっと口を手で塞いでしまった。

 すぐに木の枝に向き直ると、少年の姿は消えてしまっていた。言いつけを破ってしまったことをとても後悔した。

「どうした、聖明依。まだ終わらないのか」

「ごめんなさい、もう少しです」

 とにかく今は薪割りしなければ。聖明依は胸の奥からこみ上げてくる初めての痛みにはち切れそうになった。


 翌日の深夜、丑三つ刻。

 寒空の下、丸い月が出ていた。

 松明の明かりと合わさり、中央が昼間のように明るくなった。


「聖明依、これから鬼煌帝朱雀が《紅桜》の継承の儀を始める」

「はい」

「おまえは今から、この剣《撫士虎ナデシコ》が生み出す火花によって身を焦がす。それが成す業火におまえが耐えきれなければ死ぬ」

「あの、師匠」

「どうした、怖気づいたか?」

「いえ、そんなことは」

「ならば始める。刻は限られている」

「分かりました」


 淡い桃色の光を放つ白い剣で、聖明依を中心に地面に真円を描き始めた。

 その剣先は火花を起こし、火花は桜の花びらに変わり吹き荒れていく。

 それが渦を巻き、聖明依を囲んだ。


 朝歩実が円の外に出て、剣を立て構え呪言を唱えた。

「朱雀の御霊たる凰鴆おうちんよ、この者に紅き桜の洗礼を与え給え。急々如律令きゅうきゅうにょりつりょ!」

 すると聖明依の身体が桃色と赤色の業火に包まれた。

「いやぁ! 助けて!」

「聖明依、その炎に認められなければお前は鬼煌帝を継承できない。凰鴆の心に耳を傾けろ」

「そんな⁉ だってあれはただの伝承では?」

「それが出来ないならば、ここで焼け死ぬだけだ」

 聖明依は師に助けの手を伸ばしたが、目を伏せて無視されてしまった。

 その間際、朝歩実の手が震えその握り拳から血が滴っていた。

 それを見た聖明依は、伸ばした手を反対の手で引き戻した。


 業火は収まるどころか、更に燃え盛った。

 耐えられず這いつくばり身体が焼けただれて行くのを見ながらも、師匠を裏切ったことを後悔し続けた。

「ごめんなさい……。言いつけを私は破りました。男の子に鎧のことを話してしまいました。ごめんなさい……。ごめんなさい」

 これで心置きなく死ぬことが出来ると目を閉じた。

 期待に添えなくてごめんなさい、と付け加えた。


《聖明依……、聖明依よ》

 沈む意識に、低音でいて胸を貫くような声が響いた。

「誰……」

《我こそは凰鴆。我が声が聞こえたか、聖明依》

「聞こえる。聞こえるよ」

《ならば感じよ。目を閉じて、我が炎を感じてみよ》

 言われるがまま、目を閉じた。

 すると、先程の熱さが嘘のように何も感じなくなった。

「ううん、感じる。これは霊力⁉」

《そうだ。我が炎は霊力、そしてお前は我のそれを感じ取った。聖明依、お前を鬼煌帝朱雀が紅桜の継承者として認めよう》


 炎の桜が竜巻に払われるかのように散り去った。

 聖明依がゆっくりと立ち上がると、朝歩実が駆け寄って抱きしめた。

「良かった……。よくぞ、よくぞ耐えた。信じていたぞ」

 涙が聖明依の頬に伝わり、自分の涙と交わった。

「師匠、ごめんなさい。私……」

「ああ、聞こえていた。だが、継承の儀は無事に済んだのだ。もういい。許してあげる」

「それから師匠、私を助けてくれたのは凰鴆でした」

「なに⁉」涙を拭わないまま、朝歩実が聖明依を見つめた。「声が聞こえたのか?」

「はい。はっきりと」

「す、凄い。凄いじゃないか聖明依。凰鴆が声を発したのは数百年ぶりのことだぞ」

「でも、師匠あのとき」

「あれは儀式の祝詞だ。私だって声を聞いたことはないの」

《改めて、初めまして。朝歩実》


「この声は?」

「師匠、この声こそ凰鴆です」

《我は聖明依の魂に導かれ、声を発した。朝歩実よ、聖明依を次期紅桜継承者として認めよう》

「ありがとうございます、凰鴆」

《敬語は不要だ。今の我が主はお前なのだから》

 朝歩実は、はい、と大きく頷いた。


 それから聖明依は髪飾りを渡された。孔雀の尾の輪郭を象っていてとても綺麗だった。

 それをつけると、そこから凰鴆の声が聞こえた。

《我の魂は撫士虎に置かれている。これはいわば通信機のようなものだ。しばらく鬼煌帝は朝歩実が担う。あいつがお前に鎧を託した時、撫士虎がその手に渡るだろう》

「はい」

《敬語は不要だ》

「うん」

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