第20話 ■つぶやき熊の秘密■

翌日、俺は塾長に会いに行った。

昨日みたいな事が今後も続く様だと、俺たちだけではちょっと手に余るので、詳細を言わなくても協力してくれる大人に相談した方がいい。と言うマイカの提案はもっともだと思ったからだ。

塾長が、細かい話抜きで協力を快諾してくれるかどうかは判らないが、田岡先生がかなり風変わりな研究をしていた事は塾長も知っていたし、実験に協力していたマイカがそのせいで危ない目にあっている。と言うのは説得力があり、なんとか詳細説明なしで協力してくれるのではないか?と言うのが俺たちの賭けだった。


塾に行くと、塾長はプランターの花に水をやっていた。この塾の入り口には所狭しと植木鉢やプランターが並べられ、さながら下町の玄関先の様な有様になっている。

教育機関としてどうかと思うが植物は道路に溢れ、どう考えても道路の違法占有にあたるのではないかと思われた。前に

「良く近所から苦情が来ませんね」

と聞いたら、

「いやあ。こんだけ鉢を置いとけば、塾生が自転車置かないので、近所の評判はむしろいいんだよ。緑の力は偉大だね」

と、なんか的が外れた事を言っていた。それは緑の力とは言わんだろ。


「やあミナミ君じゃないか。久しぶりだねえ。もうマイカ君と学生結婚して、子供の3人もこさえたかね?」と、かなり鋭いのか痛いのか判らん挨拶が飛んで来た。

「なわけ無いじゃないですか。そのマイカちゃんの件で、ちょっと塾長に相談があるんですが…」

「そうか。ただあまり今日は時間がないぞ。あと10分で大切な私用があるし、その後は警察の事情聴取だ」

「塾長!とうとうやっちゃったんですか?横領ですか?それとも贈賄?」

「バカ言っちゃいかん。失敬な奴だなあ。私の様な高潔な教育者が、犯罪を犯す訳がなかろう。実は先週塾に空き巣が入ったんだよ。馬鹿な奴だ。月謝は銀行振込みだし、最近は教室も減ってうちは火の車だ(この頃、テレビCMをがんがん打っている”菊花学院”が全国展開を始めており、単立の地方学習塾はかなり苦しい展開になっていた。塾長の塾もいくつかの教室を畳んだと、噂には聞いていた。)」

被害はなかったが窓ガラスを割られ、机ロッカーは滅茶苦茶に荒らされたと言う。

「判った。警察は7時に来るから、それまで話を聞こう。だが、ちょっと30分程待ってくれ。本当に大切な用があるんだ」

塾長は明らかにソワソワしていた。まさかこの40男に遅い春が?


「あ、そういえば散乱したものを片付けてたら、いいものを見つけたよ」

塾長が持って来たのは、懐かしい代物だった。長さ30cm程の木彫りの熊。塾のクリスマスパーティーのプレゼントコーナーで、田岡先生が出品した物だ。

「えーこれは、私が学生時代、北海道を自転車で旅行した時のおみやげです。

ふつう北海道の木彫りの熊と言えば一刀彫ですが、これは珍しく寄せ木細工になっており、ほらくわえた鮭のしっぽをこう捻って、熊の左耳を時計回りに3回、右耳を反対回りに4回回して口の中のレバーを引くと…」

おおーーと言うどよめきが会場を埋め尽くした。全く継ぎ目がない様に思えた背中がぱかっと開き、丁度葉書が入るくらいの空洞が現れた。

「ここへ、例えば密書などをしまっておけば盗まれたりしない訳です」

科学者らしい、理性的なしかし間延びした説明に、俺たちは大いに盛り上がった。こんな置物が北海道の民芸品にあるとは聞いた事がないので、先生がこの日のために自作した物に違いなかった。先生はスバル360の、もう販売終了した部品を真鍮やアルミの塊から削り出す程の器用な人なのだ。


俺たちは先生が大好きだったので、この貴重な一点ものをなんとかして入手したいと思った。しかもエロ本は無理だが、点数が悪かったテストとか隠すのに最適だ。ヨッコたちも大盛り上がりだ。女子は秘密が大好きだから。

大盛況なじゃんけん合戦に勝利し、獣の様な雄叫びを上げたのは末松だった。俺は決勝で末松に破れ、地団駄踏んで悔しがった。末松は一生の運をここで使い切って、あんな高校時代を迎えたのだろう。塾長は、この2年前の光景をはっきり覚えていた。


「あの次の日、末松君が泣きながらこれを返しに来てね。親に家では飼えないから返して来いと言われたらしい」

俺は末松の両親が怪しい新興宗教にはまった事を聞いていた。なんでも

「本尊以外の偶像を拝んではいけない」

という教義らしい。で、本尊を300万くらいで買わされる。と。まあ偶像扱いされるほど田岡先生の木工が迫力あると言う事だろう。で塾長は次点に渡しとくね、と言って、しまったまま、

「すっかり忘れていてねえ。いあやぁすまんすまん」

あの日の熱狂は醒めていたが、大切な恩師の遺品が手に入った事は嬉しかった。

「じゃあ、私には大変重要な私用があるから、30分程待っててくれ」

覗いちゃ駄目だからね。と塾長は言い捨て、塾長室に籠った。


ほどなく、アコースティックギターとストリングスの流れる様な伴奏に乗ってゆったりとした女性ヴォーカルの美しい声が、塾長室から聞こえて来た。

「しまった!今日だったか、最終回」

間違いなくNHKの少年ドラマ

「つぶやき岩の秘密」

の再放送だ。まあいいか。俺本放送全部見たし。これが俺たちの緊急依頼をすっ飛ばす程の

「重要な私用」

というのは納得いかなかったか?と言えば、俺も知っていれば間違いなく時間をずらしていただろうから、しかたのない事だ(まだベータもVHSもない時代だった)。


塩せんべいと渋茶を用意して、授業中も見た事の無い真剣な態度で、テレビに集中する塾長の後ろ姿を扉の隙間から見て、一緒に見たいとは言えず、俺は仕方なく、熊を手に取った。ずっしり重い。

「エーと、鮭捻って、右耳3回だったっけ?左は何回?」

何回か試行錯誤して(手順を間違えて口の中のレバーを引くと、熊に噛まれる。かなり痛い)、やっと蓋が開いた。中から

「朱雀還流サマ(はあと)」

と書いた、少女雑誌の付録

「魔法少女テケップときめきレターセット」

と思われる封筒が出て来た。

俺は震える手で封を切った。


前略 朱雀還流殿


この手紙を君が見る頃には、ひょっとして僕はこの世に居ないかもしれません。

僕の研究は秘密にしていたのですが、当事者の君達と僕以外に知っている人が

一人居ます。マイカくんには誠に申し訳ないが、従姉妹のみそのさんです。

彼女は僕の同級生ですが、最初から僕の研究にただ乗りしたい、あわよくば

横取りしたいという黒い意図を感じました。にも関わらず婚約までしてしまった

のは、僕の不徳の致す所。彼女の美貌とセクスィなあれやこれやに、完全にKO

されたからです。30歳まで童貞だった僕を許して下さい。


彼女は研究を、アメリカかソ連の機関に売ろうとしています。

僕は卒論ゼミのレポートを教授に借用され、彼が学会で賞賛されてから、

発表直前まで、論文を頭の中にしまって置く事にしています。

被験者Mの実験記録のある、やばい日誌は処分しました。

彼女が目に出来る唯一の研究メモは、僕がマイカくんに会う前、

「時間移動は絶対に存在しない」

というテーマで論文をまとめていた時期に残したメモで、今回の様な事が起こる

用心に、あえて放置したものです。

したがってあのメモの内容を専門家がいかに釈迦力に検証しても、

「時間移動は絶対に存在しない」

という結論しか出ません。


マイカくんに会って、僕は研究の方法論を全く変えました。問題ありません。

アメリカもソ連も僕の事は薄々気づいていた様ですが、みそのさんの事は全く

信用していないでしょう。

みそのさんの行動だけに注意してください。


みそのさんが、僕の愛車の回りを時々うろついている事は気づいています。

運転前には十全な点検をして、万一に備えることにします。


19●●年 ●月●日(↑事故の5日前の日付だった)

                        田岡亮二

(ここから便せん2枚目)


マイカくんについては、君がしっかり守って、彼女の愛を引き受けて

くれれば、世界は平和です。

大げさではありません。

彼女は実験段階で、約8分(472秒)という結果をコンスタントに出したので、

それだけしか巻き戻せない。という暗示を、あえてかけておきました。

実は彼女の時間移動能力は測りしれません。


君は中学3年の冬、マイカくんに破廉恥な事をしたでしょう?

すみません。巻き戻しの過去例として、みそのさんのいない所で、詳細まで

聞いてしまいました。


・君がマイカくんの胸にけしからん行いをし、

・パジャマのズボンを膝まで降ろし、

 (彼女は優しいので、君には言ってないそうですが)実はパンツまで

 脱がしかけ、

・半ケツ状態の彼女に起きられて、あわててズボンとパンツを戻し、

・土下座して誠心誠意謝った。

これだけの時間が8分な訳がない事は、火を見るよりも明らかです。

彼女は気づいていませんが、男の僕には君がエロな行為に、いかに時間を

かけたか共感できます。

しかもチキンな君の事だから、迷いながらでしょう?


彼女はその気になれば、おそらくかなり長い時間を巻き戻せます。

彼女の時間移動能力は測りしれません(大事な事なので二度言いました)。

もしかしたら、本当のタイムトラベラーになるかもしれない逸材です。

この事が大国に知れると、彼らはマイカくんを手っ取り早い時間兵器に

仕立てる可能性があります。が、彼らは何も解っていない。

暴走した時間のひずみがもたらすエネルギーは、僕の計算では、地球どころか

この島宇宙を軽く消し去る程のポテンシャルがありますから、世界の

いや宇宙の危機なのです。

少なくとも冷戦が終わるまでは、彼女の事は誰にも知られてはなりません。


彼女には今までどおりの事を信じ込ませ、君の愛の力で、なんとか

これ以上巻き戻しをしない様(↑赤ペンで二重傍線)、監視してください。

宇宙の平和のためです。

まだ実機はないはずですが、時間のひずみを検出できる計器を開発出来ると

思われる天才科学者が、アメリカとソ連に一人ずついます。

彼らに気づかれてはなりません。

この手紙の2枚目は、必ず読み終わったら燃やして下さい。

1枚目はマイカくんに見せて、安心させて下さい。


佐竹君にはもう話しましたか?

彼は塾の生徒ではありませんが、母校で去年夏に高校生むけ講座をやった時、

宇宙と時間について熱心に語り合いました。

彼なら僕にもしもの事があっても、僕の時間仮説を完成出来るかもしれない。

マイカくんが重荷になったら、彼に預けても良いでしょう。

研究者と被験者のカップルは、情実が混じるので、あまり好ましく

ありませんが、判断の的確さと情緒の安定は、君より彼の方が上でしょうから。

はい、朱雀君にも暗示をかけました(頑張れ!)。


みそのさんに殺されるのではないかと、気になっていますが、これは

仕方のない事です。

僕は彼女の腹黒い性格を恐れていますが、それだけでない優しさを

愛しています。

まして彼女の美貌とセクスィなあれやこれやについては、ぞっこん。です。

マイカくんを愛し続ければ、君も多分何べんか命の危険を感じる

でしょう。

相手は彼女の秘密を奪おうとする敵かもしれないし、彼女自身かも

(くれぐれも浮気はしない様に。彼女のジェラシーも測りしれません)。

物理学者の僕にも仮説は立証出来ませんが、

愛とは、殺されてもいい。と思う程の感情の有り様だと思います。


19●●年 ●月●日                  田岡亮二


「いやぁすまなかったね。あいゃぁ!なんだその灰皿の火は!ミナミ君、いつから煙草を吸う様になったんかね?からだに悪いからやめたまえ」

両切りのピース缶を2日で吸い尽くす塾長が叫んだ。

「相談は解決しました」

と言うと、塾長はきょとんとしていたが、思えばこの後警察に会う塾長に、

「マイカが危ない」

なんて言う話をしなくて良かった。と後から思う。

「そうか…。マイカ君を大切にな。ちゃんと君が守ってやるんだよ」

この人は的外れの様で、いつも核心をついてくる。まだ何かいいたげな塾長に別れを告げて、俺はマイカの家を尋ねた。

マイカは30分程泣き、それから二人は、一枚目の手紙を庭で燃やした。

佐竹には教えてやらんもんね。

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