第18話 ■蝉時雨■
マイカはあまりテレビを見ない子なので、昨日見たテレビの話題はできるだけ振らない様にしていた。近所のお金持ちの家に、みんなでテレビを見に行ったり、家にテレビが来て、踊り回って喜んだ経験を持つ最後の世代である我々には、珍しい子だった。なんでテレビ見ないの?と聞いたら、
「ごはん、食べて。その後兄は勉強しに行く。妹は父の膝に乗る。私は居るとこないから、台所で母を手伝って食器を洗う」
淡々と桃澤家の風景を描写する。なんか泣きそうになって来た。
そんなマイカが唯一熱心に見ていたと言うのが、
「早く人間になりた~い」
の妖怪人間ベムだった。超能力を使って魔物を倒して善行を積み、やがては人間になりたいと願う三匹の妖怪人間が、人間に受け容れられずに彷徨うという、哀しい物語。どうしても自分の境遇が重なるマイカは、布団の中でこっそり
「ウガンダー!」
と呟いていたと言う。駄目だ、俺そういうの弱い。布団の中の小ちゃいマイカに、
「負けるな!俺がついてる!」
とエールを送りたくなる。所詮届かない事は判っているが。
その後例の
「エスパー魔美」
に出会ったらしい。まだアニメになってなかったこの作品が話題になったのは、やはりヒロインの魔美が、画家のお父さんの為にヌードモデルになるシーン。このころは巨匠と言われる作家でも、結構エッチなシーンを書いていた。子供が本能的にエッチな事を好み、それは成長にとって大事だと言う事を、先生方はご存知だったのだろう。最近の状況を考えると隔世の感がある。その他藤子先生には、ご存知しずかちゃん入浴シーンがあり、手塚先生の”不思議なメルモ”なんかも、かなりエッチだ。
ある日、みそのが魔美の単行本を持って来て、
「これ面白いから…」
と置いてったそうだ。マイカの能力はみそのだけが知っていたので、みそのは彼女なりに、マイカのメンタルケアをしたつもりだったのだろう。結果、マイカは、
「わたしにも高畑君がいてくれたら…」
と願う様になり、ヨッコに言わせると、
「男の趣味が変」
に。結果的に俺に出会うのだから、俺の恩人はみそのさんと言う事になる。
マイカはようやく自分を化物と思わなくなったが、その代わり、どうしたらこの能力を役立てられるか、真剣に考え始めていた。俺は超能力など使えなくてもいいと思っていたが、それは彼女のアイデンティティを否定する事なので、黙っていた。
ただ、佐竹ならどうするだろう。とはいつも考えていた。佐竹は尋ねると、いつも短いが役に立つ助言をくれる。しかしマイカの事だけは相談する訳には行かなかった(秘密保持的にも、おれのチキンハート的にも)。
この能力は、8分間と限定されているので、使い道があまり思いつかない。
例えばホームから転落した酔っぱらいがいたとして、マイカが8分前に行って落ちない様にフォローしようとしても、その人は、
「何すんでい、こら」と怒るだけだろう。かといって、電車が来る直前に線路に飛び降りて、その人を救おうにも、タイマーは本人にしか効かない。線路に飛び降り、その人が轢かれない様に突き飛ばして、自分は電車に轢かれる前に8分前に戻る。でもその8分前に別の電車が来ていたら?
まてよ、突き飛ばしたとして直後にマイカが巻き戻すと、結局酔っぱらいは8分後にまた落ちるのか?それとも電車に轢かれる、嫌ーな偽記憶だけが残るのか?謎だな。
田岡先生は、起こってしまう事件を巻き戻して取り消す事で起こる時間の歪み、つまり未来が枝分かれしていく危険性も心配していた。こう言うタイムパラドクスは当時のSF好きの少年には容易に理解出来る概念だったので、俺は出来るだけマイカに超能力を使わせたくなかった。
実は田岡先生も、実験の時以外は能力を使わない様にと、マイカに命じていたと言う。ボートの時は緊急事態なので、止むなく使ったが、それでも報告を受けた先生は、
「マイカくんが危険な目に合うよりは、水に濡れた方が良かった」
と、珍しくマイカを責める様な言い方をしたと言う。巻き戻しは、溺れそうになる以上に危険があるのか?
「マイカが能力を持ってるからって、俺は変に思わないし、それで別れようなんて絶対言わない」
「うん」
「マイカがこれからこの力のせいで、辛いめにあったら、俺が絶対守る」
「うん」
「マイカはこの能力を何かに使おうなんて、考えなくてもいいと思う。別に使う使わないで、マイカの価値は変わらない」
「ん…。メグルくんわたしねえ」
「なに?」
「小さいときから、何にも取り柄がない子だった。お兄ちゃんみたいに賢くないし、妹みたいに可愛くないし」
「マイカは充分可愛いじゃないか。俺には世界一可愛い」
お世辞でもなんでもない。が、次の年入学して来た久しぶりに見るきららちゃんを見て、思わず
「これは……」
と思ってしまった事実は白状しよう。いやでも、やっぱりマイカが最高だ。
「わたしね。お母さんが近所のおばさんに”マイカも無事丘の上の高校に入れました。T組ですけど。”と言ってるの聞いちゃって、ちょっと部屋で泣いた。わたし馬鹿なんだって」
「俺たち普通科より、T組の方が輝いて見えるけどな」
「うん、今では入学して良かったと思ってるよ。綸子やテケップ達、クラスのみんなに会えて本当に良かった」
「そうだね。高畑君にも会えて良かった?」
「それ一番だよ。メグルくんがいるから、マイカは生きて行けます」
マイカが俺の腕をぎゅっとつかむ。
「でもね。マイカに自慢出来る何かがあったら、もっと生きてて良かった。と思うんじゃないかと。あー田岡先生が生きてたらなあ…」
俺はマイカの手から腕を離して立ち止まる。
「やっぱり…今でも好きなの?」
「違うの。メグルくんを大好きだからなの。田岡先生が生きてたら、メグルくんにあの力の事言わないで済んだ。メグルくんにこんな気苦労させないで済んだ」
それはそのとおりだ。先生が生きてたら、マイカも、もっと普通のボーイフレンドとして、俺と付き合えたのかも知れない。
俺は先生から、
「マイカの守り手」
という立場を引き継いだ自分に、まだ自信がなかった。
でもメグルがやらねば、誰がやる…。
「マイカ、俺はマイカと苦労がしたいんだよ」
「ありがとう…。大好き」
もう一度マイカが俺の腕をぎゅっとつかんで体を預ける。と言う様な、
「今回は電撃はなし、ビバ!ラブラブ回!」
感覚溢ふるる中、くそ暑い8月のある日、俺たちは田岡先生の新盆のため、墓参りに行った。墓に着くと、誰かがうずくまっていた。みそのさんだ。
「泣いてるのかな?」
「しーっ」
とマイカに叱られた。近づくとみそのさんはゆっくり立ち上がり、
「あなたたち。もうここには来ない方がいいわ」と小さな声で言った。
「田岡君の研究メモが出て来ないの。盗まれたのかもしれない。あれには被験者Mと言う名で、特殊な能力を持った協力者が居た事が書かれているはず。田岡君の周辺でイニシャルMなんて探って行けば、すぐたどり着けるわ」
最初何を言っているのか判らなかったが、時間の研究は少しでも解明出来れば、莫大な富を生み出し、世界を支配する事だって出来ると言う。
「使い道、ないよねえ」
と呑気に考えていたマイカの能力は、普通なら大変な集中力と体力を必要とするので、一回使うと半日は使えなかったが、何らかの方法で強制的にチャージ出来れば、8分ごとに例えば100回の飛び石的な巻き戻しだって考えられる。800分。約13時間20分戻れれば、かなりの事が出来てしまうだろう。
ただしそんなブーストをかければ、被験者の体と心はぼろぼろになり、もう修復不可能な怪物になってしまうだろうけど。と、みそのさんは淡々と語る。
どちらかと言うと、田岡先生より、言い方が科学者然としていて客観的に過ぎ、冷たい様に感じた。
田岡先生は、だからこそマイカの能力を、もっと先の遠い時間仮説の証明だけに使おうとしていたのだが、そんな悠長な事を考えない人々もいるのだと、みそのさんは言い、
「田岡君の死だって、事故だったんだか」
と最後にみそのさんは吐き捨てる様に言った。
科学者と言うものは、恋人の死までこんなに冷静に疑うものなのか…。
「好きな人と引き離されて、死んじゃうってどういう気持ちかな?」
セックスしたい、子孫を残したいというアブラゼミの絶叫の中、麦わら帽子をかぶった
「夏の妹(主演:栗田ひろみ、監督:大島渚、主題歌:井上陽水”夢の中へ”)」
みたいなマイカは、ゆっくり歩きながら俺に聞いた。
「メグルくんは中学時代の変態行為をわたしに白状して、もし振られたら死んでた?」
本当には許してないな?こいつ。
「死んだとは思わない。マイカのおっぱいに会えなくなるのは悲しいけど」
「あーどうして毎度そういうぶちこわしな事を言うかなあ」
マイカは苦笑して続ける。
「わたしは、あの力の事を告白して、ミナミくんに化物だって振られたら、今度こそ死んでたと思う。メグルくんなしでは生きて行けないから」
嬉しい事言ってくれるじゃないの。
「メグルくんの、お腹のお布団なしでは」
ぶちこわしだよ。
そのうち、前に見たウッドストックの話になって、ジミ・ヘンドリックスは凄かったけど、もう死んじゃってる。俺たちは映画の中で生きてる凄いプレイを見て
「ジミヘン格好いい!」
て賞賛するけど、その賞賛は生きてたジミヘンには届かない。それでもジミヘンは生きてる頃からスターだったけど、ビンセント・ヴァン・ゴッホなんて、生涯たった一枚しか絵が売れず、死んでから一枚何億円の値が付いている。そんな名声、ゴッホは欲しいのだろうか?
「幸せな時が生きてる間に来るだけ、わたしたちはいいのかもね」
マイカが立ち止まり背伸びして手を俺の首に回す。俺は夏の妹に口づける。
リバースタイマーらしく時間と死の問題を語りながら、ラブラブな俺たちは、とぼとぼと帰宅した。
家に帰ってシャワーを浴びたら、海の分と、今日の分と、
全身の皮が一気にぼろぼろ剥けた。
そしてその日の夜。
みそのさんは失踪した。
みそのさんもイニシャルが
「M」
なことに、僕たちは後から気づいた。
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