第16話 ■恋のテレフォンナンバー■

この頃の俺の生活は、マイカ中心で回っていた。

朝起きる。前より30分は早起きだ。急いで支度。歯磨きは念入りに。髪をとかして、フケとか出てないか確認。思春期は盛大に出るんだ。櫛できちっとすいてから、わざと手でくしゃっとやる。

「俺、髪型とか気にしてないっすから」

という演出だ。あとニキビのチェック。高一までは、家に帰って制服を脱いで、普段着に着替えるとき、制服は床の上。という事が多かったが、今はきちんとハンガーにかけておく。ヒゲはあまり剃った覚えがないなあ。奥手だったのか。


さて前よりかなり早起きして、俺がどこへ行くかというと、もちろん学校だ。

どうしてそんなに早く学校に行くかというと、もちろんマイカを迎えにだ。家までは行かない。マイカは徒歩通学だが、家は反対方向にあった。

「あ、おはよう」

学校から坂道を下ると大きな三叉路があるのだが、このあたりでマイカに会える様に時間を合わせる。学校最寄りのバス停から学校までは、歩いて10分程かかったが、その途中にこの三叉路はあった。反対の方から歩いて来るマイカをかなり前から待っている。いかにも偶然な振りをして。

「おはよう。今日も可愛いね」

「うふ。メグルくんも、むくむくしてるね」

他愛無い会話をしながら上る5分の坂道が、至福の時だった。

途中で木陰に隠れているつもりの、全長1・75m級のけなげに出会う事もあるが、俺もマイカも敢えて声をかけない。大切なお仕事中(S氏を待ち伏せ)だからだ。

後はマイカの昼練とか俺の放送当番とかがなければ昼にも会える。帰りも大体一緒だったが、急の用事ですっぽかしたりすると、翌日俺だと土下座で謝罪。マイカだと大泣きで謝罪。となる。緊急連絡方法がないのだ。


現代の高校生と、俺たちの頃と、一番違うのは、なんと言っても

「ケータイのあるなし」

だろう。ポケベル、ピッチと移り変わって、一般高校生が携帯電話を持つ様になったのは、実はこの十年ぐらいの事だと思う。この頃は、家の電話にかけるしか自宅に居る彼女と話す手段がなかった訳だが、必ずしも本人が出るとは限らないので、結構ドキドキした。パターン分けすると、

・親父さんが出る。…超気まずい。相手も娘に後で怒られるのであまりぞんざいな対応は出来ないが、

「誰だテメエは」

的な敵意がビンビン伝わって来る。通算5回位。

・お母さんが出る。…基本的に興味津々で探りを入れて来る。娘に彼氏が出来たのが嬉しいらしい。通算10回程度。

・妹が出る。…もう大はしゃぎ。

「おねえちゃ~ん。彼氏だよ~」

電話が鳴ると俺だと思って出たがるので、マイカと廊下を真剣徒競争するらしい。マイカが留守の時は自分が話したがり、中々切らせてくれない。通算20回程度。

・帰省中の兄。…一度だけ遭遇。

「ミナミと申しますが、マイカさんいらっしゃ…」

辺りで、いきなり切られた。お兄さんちょと疲れてませんか?

以上の苦い経験から、俺は電話する時間帯を限定した。


マイカのうちは、

兄が東京で浪人している。

妹は受験の塾(もちろんグリーン教室)で9時頃まで帰らない。

父は仕事で10時ごろ帰宅が多い。

と言う訳で、自然母親と二人で食事する事が多い。

「で、ミナミさんとは、最近どうなの?」

「どうって。別に普通だよ」

「普通のなんなの?お友達?恋人?」

「いいじゃない。なんだって」

マイカは席を立つ。ご飯が終わったら、急がないとこの

「どうなの砲」

の集中砲火を浴びる様だ。塾のない日はこの会話に妹の

「ダンボ耳」

が加わるので、更にやりきれないという。

従って、食事後8時ごろが俺たちのコンタクトチャンスだった。

うちの電話は茶の間にあったので、電話コードをずるずる引っ張って、外の廊下に座り込む。マイカんちは元々廊下に電話がある。

「朱雀です」

「あ、はい桃澤です」

相手が家族の人かも知れない。回りに人がいるかも知れないので慎重にスタート。

「マイカだよね」

「うんメグルくん?」

ここから長電話が始まるが、マイカんちは9時前に妹から塾終わったコールが入るので、大体30分程で切り上げる。どっちが掛けるかは決まってないので、自然に相撲の仕切りで言う、

「立ち会いが合わない」

状態になる。掛けていいものか。くどい奴と思われないか?もうちょっとしたら向こうから掛けて来るかも。なんか

「先に電話したら負け」

みたいな心境。俺は8時ごろになるとソワソワする。そして9時になって電話がないと、部屋に戻って、しくしく泣く。

「やっぱり俺から掛ければ良かった…」


マイカも似た様な夜が多かったと、後から妹に聞いた。

「まったく、いつもあたしには威張ってるお姉ちゃんが、もう廊下をうろうろしちゃって。可愛いったらないの」

この妹には酷い目にあった事がある。

「もしもし…ミナミですが、マイカさんおられますか?」

「はい、マイカです」

「あ、マイカ?なんか声違う様な」

「風邪ひいたみたい。ミナミ君(苗字呼び?)に治してほしいな」

「俺医者じゃないすから。お見舞いいこうか?」

「うん、来て来て。今から来て」

「今はちょっと無理だよ」

「マイカのお願い、聞いてくれないの?エーン」

この辺りで完全に気づいたが、面白いのでもう少し遊んであげる。

「じゃ明日行くから」

「本当?ミナミ君がくれば、マイカすぐ治っちゃう」

「風邪なんて俺に伝染せば、なおるさ」

「そうだね。いつもみたいにキスしてくれれば、伝染るよね」

あららマイカさん、そんな話妹にしてるの?

「ははは。それはいい治療法だね。明日やってみよう」

「後ね。マイカ熱があると、体中いっぱい汗かくから、ミナミ君に拭いて欲しい」

いいとも。なんてエロい妹だ。その時、受話器から、

「ぱこっ!」

という音がして、本人に代わった。後ろで

「痛ったーい。なにするのお姉ちゃん」

という声がした。

「ミナミメグルさんですか?今わたしの妹と、なんのお話をしておられたか、また最後のお願いには、なんと答えるつもりだったか、400字詰め5枚以内にまとめて、明日提出して下さい。ガチャッ」

まるで青梅綸子さん(@女秘書モード)の様な冷徹で事務的な声で、電話が切れた。

俺、どうしたら…。

ちなみにキスについては、

「知ってましたよ。ミナミ先輩とお姉ちゃん。いっつも家の前で、チュウチュウしてましたよね?もう恥ずかしい」

だそうだ。こっちが恥ずかしい。


勉強が手につかないではまずいので、電話は緊急の時以外控えよう。と2人で話し合った結果、代りに週末にはたっぷり電話で話そう。と言う事になった。電話する土曜の夜は、深夜1時からに決めていた。うちは結構宵っ張りだったが、流石に11時回ると、

「そろそろ寝なきゃね」

と言う事になり、俺も一旦部屋に引っ込む。1時前にそーっと居間に戻り、真っ暗な中、居間の籐椅子に座る。マイカは座布団持参だったらしい。中坊の頃は、この体勢で、イヤホン付けて深夜テレビ(本当に普通におっぱい出てたなあ)を見ていたのだが、もうそんなもの要らないさっ!

マイカの方が可愛いからね。


家族が起きない様にベルがなるかならないかで、受話器をとる。まるで仕事熱心な営業マンだ。

「もし…もし」

スターの寝起きどっきりの様に声が小声になる。

「マイカ?起きてた?」

起きてるから出るんだけど…。

「でね。綸子がさぁ。もし佐竹様が○○だったら、綸子は□□になるのって」

これが当時マイカと綸子の間でよく交わされた会話らしく、毎回マイカは笑いながら言う。実は佐竹と聞いただけで、俺はじわじわと込み上げるものがあったが、マイカにしてみれば、いかに綸子が佐竹を好きかと言う事を俺に言うことで、

「自分は気がない」

事を示すつもりだったのかも知れない。

綸子にしてみれば、あの喧嘩以来、自分がどんだけ佐竹を好きか、懸命にアピールして、マイカの心が佐竹に傾かない様にしてたのだろう。けなげな子…。俺の事も歯が浮く位褒めるとマイカが言ってた。

「マイカちゃんと、相性ぴったりな素敵な殿方ね(貴女はミナミにしときなさい、の意)」

とか(照れるね)。しかし俺は佐竹の名を聞くだけでカチンと来る。心の狭い男なのさ。


ちなみに○○と□□で、一番印象的だったのは、

「佐竹様が捨てられて雨に濡れた子犬なら、綸子は半分にちぎれた魚肉ソーセージになる」

だった。ちょっと解説が必要だな。学校の裏門の前に駄菓子屋があったが、ここで人気があったのが、10円の魚肉ソーセージ。細長い方ね。これを5円づつ出して買って、2人で両端を握って体を回転させ思い切り捻る。引っ張るのは失格。ひたすら2人で逆回りにねじる。あの赤いビニルはかなり強靭で、簡単にはちぎれないが、10分も捻ると、やがて2つに折れる。手に残った部分が取り分で、多い程勝ち。という、まあ高校生男子にありがちなノリだ。

ある日部活帰り、凛綸組を引き連れて、アイスを食べにきた綸子に、命知らずにも3年の男子剣道部員がソーセージ勝負を挑んだ。勝負事には嫌と言わない綸子は男子部員と戦い、大半を得ると言う大勝利であったと言う。

「美しい綸子姫が、顔を真っ赤にして体をくねらせ、細長い棒を奪い合う様は大変結構だった。その後戦利品をあの美しい口で頬張るかと思ったが、それはなくて残念だった」

と、偶然通りかかって(嘘つけ)目撃した末松特派員は語る。

綸子は凛綸組にこれを渡して、恋と帰宅。ブレネリ以下ミーハー隊長達は、すぐさま家庭科実習室に戻り、人数分に切り分けて十字を切って食べたとか。聖餐式か!

ちなみに男子剣道部員の手に残った方は、末松が記念に100円で買ったらしい。

馬鹿ばっか。

で、雨に濡れた哀れな子犬にあげるものとして、綸子はこれを思い出した様だ。


俺は、マイカとの会話のNGワード、

「佐竹」

にちょっと気を悪くしていたので、つい反撃してしまう。話を中学までのヨッコとの想い出に持っていく。今度はマイカが不機嫌。しかし再反撃してくる。

「ヨッコと言えば…。最近O野(仮名:亀井でもいいか)君とはどうなの?」

「いいんじゃないの?」

俺は痛いところを突かれて、ちょっとうろたえる。ヨッコとO野(仮名)の話題は、

「お姉ちゃんが、彼氏とエッチしてるところを見ちゃった弟」

の様な気持ちになるので、本当は”キーッ!”となる話題だが、敢えて平気なふりをする。

「もう大分進んだみたいだよ」

「進んだって…。どどのくらい?」

結構興味津々。

「え、知らねえよ。O野(仮名)の腹筋がどうとか、ヨッコの肋骨がどうとか言ってたから、そういうの見せ合う仲にはなってんじゃないの?」

マイカは完全に動揺している。

「は、裸の…。裸体を…。おた、お互い…。曝け出して…。嫌らしいっ!なんてふしだらな。そ、そういう破廉恥はわたくし好みませんの」

え?あなた一度見せてますけど。というと泣くので突っ込まず、

「じゃあマイカは好きな男にも裸見せないんだ」

「今は考えれないわ」

「これからもずっと?」

「うるさいわね!時期が来たら見せるわよ」

お約束、いただきましたぁ。あまり深入りするとマイカはすぐ、

「巻き戻そっかなー」と言うので、やめておく。


他にも色々とりとめもない会話が続く。

まあ佐竹&ヨッコネタが出なければ、概ね(大胸)平和。

「テレホンセックス」

なんて考えもしなかった(嘘ですすみません。俺は妄想しました。でも言い出せる訳が無い)し、

「電話でキス」

もしなかったと思う。当時の深夜ラジオでお色気女性DJが、電話に出たリスナーに

「ちゅっ」

とプレゼントするのがあって、それをマイカにリクエストしたが、断固断られた。

でも次に会うと、

「メグルくん、はいガム」

と、遠回しにリアルキスをせがむのは、一体どういう了見だ?


夜はどんどん更けて行き、

「もう寝た?」

「起きてるよ」

「私ちょっと寝てた」

「知ってるよ、ずーっとマイカのいびき聞いてた」

「嘘!意地悪。いびきなんかかかないよ」

「ごめん嘘。でも可愛い寝息は聞こえてた。はやく一緒になって、隣で寝息を聞きたい」

「それはわたしも思うの。メグルくんと寝たいなあって」

「ええっ!イインデスカ?いつでもパンツを脱ぐ用意はありますけど」

「いや…。寝るって…。もうメグルさんのエッチぃ!変な意味じゃないのよ。単に一緒に抱き合って、同じお布団で愛を確かめたいだけで」

弁解すればする程深みにはまる。マイカ様は時々、

「メグルくんと寝たい」

だの、

「抱いて…」

だの童貞高校生には刺激の強い事を宣う事があらせられたが、それは単に

「同じ布団で、ぐーすか寝たい」

「ハグして欲しい」

の意味に過ぎず、その度に鼻血が出そうになる俺は、密かにマイカの事を

「桃澤の文字通り姫」

と名付けていた。


ここまでお読みの皆様は、

「この二人、こんなに長電話して、後から親にこっぴどく叱られる話があるんだろうなあ。電話代いくら使ってるんだよ」

と、はらはらしているかも知れない。

ご心配無用。我々の青春時代、赤電話はすでに3分10円だったが、家電話の市内電話は1通話7円で、時間制限がなかったのである。携帯もメールもなくて不便な時代だったが、この点は良い時代だったと思う。

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