第15話 ■恋せよ乙女■

恋は後悔していた。

「私とした事が…不覚だった」

凛綸組一番隊長、礒野恋。

隊長と言っても隊員がいる訳ではない。凛綸組に入った順に、勝手にみんな隊長を名乗っているだけだ。案外民主的な組織なのであった。

恋は剣道をやっていた。と言っても昨日今日綸子様に憧れて剣道部に入部した、

「にわか」

ではない。綸子と恋は同門の姉妹弟子。小学1年で老師の元に入門した時、1つ上の綸子はすでに入門3年目で、小学生では誰も歯が立たない程の天才だった。

「綸子姉様(憧れの目)」

と恋はそれからずっと綸子を目標に、剣道を続けて来た。才能では追いつかなかったが、努力と姉様への憧れは誰にも負けないつもりだった。綸子を追ってT組に入学したとき、同級生が2年の綸子の存在に色めき立ち、

「ファンクラブ」

を結成しようとした。恋は怒ってその組織を潰しに行った。

「あなたたちの様な浮わついた気持ちで、綸子様に迷惑をかける事は私が許さない」

級友達は恋に圧倒され、恋の下で、綸子様の居られる高みに少しでも近づける様、日々精進する組織、

「凛綸組」

を結成した。恋が一番隊長なのは、そういう事情である。


ところが、最近組織は大きな困惑に陥り、隊員達は勉強も剣道も手につかなくなってしまった。

異変に最初に気づいたのは、二番隊長の牧野ブレネリである。スイス人の母を持つこの娘は、再三恋が止めても、どうしても綸子の後をつけてしまうストーカー性癖があり、後番隊長への示しがつかないと、恋はある日、ブレネリを呼んで叱責した。

「恋さん、あたしどうしても我慢が出来なくて…。気をつけます。でもこの間つい綸子様の後を追っていたら、綸子様がなんと殿方と…」

「なんですって?それは誰?まだ他の人には言っていないわね?」

「ええ、はっきりは判らないのですが、廊下で殿方と二言三言言葉を交わした後、綸子様は全力疾走で剣道場に戻り、素振りを百回されたの」

綸子の素振り用木刀は、三尺八寸。赤樫製の黒塗りで、断面は八角形。重さは五斤(3kg)程ある。大人の剣士でも持て余すこの無反りの木刀を、綸子は軽々と振り回す。

「偶然ではなくて?」

「いえ、次の日も、その次も、同じ事が…」

「雑念を払う為の素振りね」

「嫌な男に声をかけられたからかしら」

「逆だと思うわ。しかし、まさか綸子姉様が恋を…」

動揺した恋は、つい子供の頃からの呼び名で呼んだ。

綸子の感覚は鋭いので、ブレネリの尾行も10m以内には近づけない。相手が誰なのかは、確認出来なかった。

「判ったわ。調べが終わるまで、この事は2人の心にしまって起きましょう」

ところが、一番隊長ともなると、同級生に恋の熱烈なファンもおり、その子が隠れて聞いてしまっていたため、じきにこの件は全隊員の知る所となった。


綸子の片思いの相手が普通科2年の佐竹である事は、すぐに判った。恋は佐竹を自分の目で確かめるべく、天文倶楽部の周辺を探った。

六尺三寸を越える偉丈夫。

鍛え抜かれた体。

美男子ではないが、まるでインディアンの若き酋長の様な落ち着いた風貌。

無口だが、口を開けば的確な助言をくれる。

誰に聞いても悪い評判を聞かない。皆に慕われ、尊敬され、男女問わず惚れられる。

「何か武道をやって居られる。剣か…。いや槍かも知れぬ」

綸子様が慕う殿方とは、こういうお方か、と恋は悔しいながらも腑に落ちる思いであった。


隊員を集め、

「女性と生まれし以上、殿方をお慕したいするのは、天然の摂理と申せましょう。佐竹様は綸子様のお相手として相応しい殿方。綸子様は我らに、凛々しく乙女の戦さの手本を示しておられる。くれぐれもお邪魔はせぬ様に」

と通達した。隊員の中にはレズッ気の強い子もいて泣き崩れていたが、殆どは

「さすが綸子様」

と得心し、この恋愛が成就する様に、学校近くの神社に皆で祈願参りをした。ちなみにこの神社、恋愛ではなく安産祈願で有名な神社であることは、彼女達の知るところではなかった。

(祈願後、神社の参道で大きなお腹を抱え、それにも匹敵する巨大な胸を見せつける様なマタニティドレスを着た”小椅子の聖母”の如き超美人妊婦が、宝塚男役トップスタアの様な長髪美形夫のエスコートで歩いて来るのとすれ違い、ついそっちも拝んでしまったが、それも綸凛組には関係のない話であった。)


この様に真摯に綸子の幸せを祈ったにも関わらず、まさかあのようなドロドロな乙女の戦さが2Tで繰り広げられていようとは、隊員達には知る由もなかったのだが、とりあえず隊員達の動揺は、一応の収束を見た。

対応に終われ、来る初段への試験の練習も出来なかった恋が、久しぶりに道場に姿を現し、たっぷり汗をかいたある夕方の事。

「誰そ彼?」

とは良く言ったもの。釣瓶落としの秋の陽がようやく薄闇を招き入れ、白熱電灯の小さな灯が、いかにも頼もしく感じられる逢魔が時…。

恋は道場に一礼し、帰宅しようとしたが、その日の夕刻、級友と待ち合わせがある事を思い出した。

「しまった!うちに帰ってシャワーを浴びる時間がない」

老師の個人道場には、そんな洒落た施設はない。

男の門弟は、裏庭にある井戸で水を汲み、下帯一つで浴びる。恋も小さな時はここで素裸になって水浴びしたものだった。

「もう誰もいないし、いいか」

恋は素早く道着を脱ぎ、着替えを用意して水を汲んだ。地下水は冷たく、気持ちがいい。下着の替えもあるので、全部脱いで、片膝を付き、何回も水を掛けた。

発展途上にある胸の円錐の間の汗が流れて落とされて行く。

「気持ちいい…」


「ガラン!」

バケツの転がる音がした。恋が顔を上げると、薄やみに人が立っていた。

「恋さん」

「誰!?」

恋は、近くに置いた袋入りの竹刀を取ろうとして立ち上がった。慌てていたので竹刀を落としてしまい、ひろったり、焦って手拭いで体をかくしたりしている間、つまりはたっぷり1分近く、井戸用の電灯を照明に全裸を披露したも同じだった。

「ごめん、居るの気づかなかった」

「さっ…?」

それは”さっちゃん”こと青梅幸哉。綸子姉様の弟である。恋とは同門の弟弟子。

中学三年生。二人は子供の頃から仲が良く、稽古後は風呂だの水浴びだの、散々裸の付き合いをしてきた。しかし無論もう何年もそんな事はない。

「見た?」

「ごめん。全部見た」

幸哉は真っ直ぐな性格だった。今回同時に初段に挑戦する2人だったが、試合をすると3本に2本は恋が取った。ただ老師は

「幸哉ほど太刀筋が真っ直ぐな者は稀じゃ、竹刀ではまだ恋に分があるが、真剣ではどうかな?」

と看破し、自らの古武道流派に伝わる型を幸哉に学ばせていた。


恋は無言で着替えると、友人の待つ場所へ去った。

その日から恋の頭に、綸子よりも幸哉が浮かぶ様になった。

恋は後悔していた。

「私とした事が…不覚だった」

古い付き合いなので、裸を見られた位、どうと言う事はない。と自分に言い聞かせたが、自分の体が未熟ながら女になってしまった事を幸哉に見られたのは、余りにも恥ずかしかった。道場の隅に拭き残しがある事に気づいた幸哉は、ぞうきんがけの水を汲みに来ただけで、決して覗きに来たのではない。

しかし結果的に自分の全てを見られてしまった。

幸哉にとって、自分は同門の友達に過ぎないのだろうか?筒井筒(幼なじみ)の、女になった裸を見られて

「ラッキィ!」

なだけなのだろうか?

少なくとも自分にとっての幸哉への気持ちが、そんなに軽いものでないのは判っている。低学年までは一つ下の幸哉を弟の様に可愛く思っていたが、中学に上がり学校で逢えなくなった時、道場で幸哉に逢うと妙に心が弾む自分がいたこと、後を追って幸哉が入学して来たとき、学生服姿にときめいた事に、心の奥では気づいていた。高校に入ってからは、あの子達に祭り上げられて、綸子様ばかりになったけれど…。

この気持ちはどうしたらいいのか?

親に相談するのも恥ずかしい。母は古風な人だから、

「乙女が裸を見られたのなら、それは嫁ぐ約束をしたのと同じです」

などと言い出し、結納を持って青梅家に乗り込みかねない。

やはりお姉様に相談すべきか?

同じ恋心をもつ乙女として、相談にのって下さるかも知れない。

恋心?私のさっちゃんへの気持ちは、本当に恋心?

判らないまま、綸子姉様の家を訪れた。


綸子は、一所懸命縫い物をしていた。

「姉様」

「ああ恋か…。いや幸哉のやつ、また背が伸びてね」

袴の裾を直していたのだった。

「幸哉様のことですが」

「恋が弟の事を幸哉様と言うのは初めて聞く。はっ!何かあったのか?」

観念した恋は、井戸での出来事を包み隠さず述べた。

「恋が恋とは…。しかし羨ましいな」

「どうしてですか?」

「この青梅綸子、怖い物などないが、流石に想い人に裸をお見せする勇気はない。例え偶然とは言え、全てを見せたお前が羨ましい」

「佐竹様ですね」

「知っていたのか。ややっ、存外恥ずかしいものだな」

「恋するお姉様にお聞きします。わたし本当に幸哉様に恋しているのでしょうか?」

「それは私にはわからない。私は時々佐竹様が私の前からいなくなったら、他の女の元に走ったら、と考える事がある。我ながら情けないが、大泣きしたくなる程、弱気になる。そんな時は…」

「そんな時は?」

「素振りをする」

「なるほど」

「そうだ、お前と同じ様な体験をした女が、身直にいるぞ。私にとってはライバルだが…。話を聞いてみたらどうだ?」


「あなたは…凛綸組の…恋ちゃんだったわね?」

恋はマイカに自分の気持ちを述べた。

「偶然体を見られた位で、恋愛とは恐れ入るわ。わたしはあなたとは違う。いい?わたしはね。自分で見・せ・た・の・よ。恋は体当たりなの。わたしの心が、”この人だ!この人しかいない!”って叫んで、わたしの乳房が”この人に見て欲しい!”と叫んで、わたしは素肌を見せた。あなたはどうなの?好きなの?単に友達なの?わたしはこの学校に入る前から、私の運命の人はここに居るって判ってた。入学式の日に一目見た瞬間に、”この人だ!”って火花が飛んだ。それが恋なのよ。恋する恋ちゃん。がんばって!」

マイカの情熱に雷に撃たれた様な気がして、恋は走り出す。

青梅家に戻る途中に公園がある。その手前で、見慣れた背中を見つけた。

ちょっと丸まってきた背中。くたびれた黒い鞄を持って…。

「お父さん」

「ああ恋か。どうした涙いっぱいためて。失恋でもしたか?」

「失恋って…。その前に恋が出来ない!恋なのに恋がわからない」

恋は子供の時の様に、父に縋り付いて泣いた。


「お父さんとお母さんはね。見合い結婚だったんだよ」

志村喬みたいに公園のブランコに座って、父は語り始めた。初めて聞く話だ。

「結納も終わった時に、召集令状が来た。お父さんは船に乗って南方に出航した。途中で船が沈められてね。運良く浮かんでたブイに捕まって3日も漂っていた。軍服のポケットには、お母さんの写真が入っていて、それを見ながら頑張った。3日目に敵の船に助けられて、終戦後復員した」

父は映画のシーンの様に半生を語る。

「故郷に帰って来た時、お母さんはお父さんの墓にお参りしてた。彼岸花がいっぱい咲く中で、あの写真の妻が、結納を交わしただけで手を触れた事もない夫の墓に、線香をあげていた。お父さんとお母さんは、その時から恋人になったんだよ。中々子宝に恵まれなかったけど、やっとお前が生まれたとき、お父さんとお母さんは、この子の時代にはちゃんとした恋が出来る様にって、お前を恋って名付けたんだよ」

小学校の頃から、からかわれ続けて来たこの名前が、急に世界一に思えた。

「失敗してもいいから、一生懸命恋をしなさい。あの戦争で結ばれなかった恋人達の為にも」

「お父さんありがとう。この名前、一生大切にするね」

理屈で考えるのは、もうやめよう。やっぱりあたしはさっちゃんが大好き。一緒にいたい気持ちが恋なんだ。恋は青梅家に走り出した。


幸哉は、恥ずかしそうに出て来た。

「殴っていいよ。それとも僕も裸になろうか?」

「そんなことじゃ無いの」

二つ目の提案には心が動いたが、今日は自分の気持ちを伝えに来たのだ。

「あたし…。幸哉君が大好き。だから裸見られても後悔しない。ずっと一緒にいたい」

「え?…僕も恋さんの事大好きです。でもその前に片付けなくちゃならない気持ちがあるんだ…。僕には、恋さんよりもっと好きな人がいる」

目の前が真っ暗になった。

「いけないとは判ってるし、恋ではない事も判ってるんだ」


一言も聞き逃すまいと、両手を堅く握りしめる恋の前で、幸哉は語り出す。

「うちさ。僕が4年の時に母さんが死んだろ?それで中一だった姉さんが、母さんの代りをしてくれたんだ。5年の時だった。母の日の日曜参観授業があって、”お母さん、ありがとう。”という作文が宿題だった」

「あたしも6年の教室にいたよ」

「来ているお母さん達の前で、みんな作文読まされて。僕だけ去年までの母さんの思い出を書いた。みんなもらい泣きして。先生も褒めてくれた。でも帰りの下駄箱で、”死んじゃった人にはかなわねぇよなあ”という声が聞こえた」

「ひどい…。悔しかったでしょう?」

「悔しいって言うより、みんなは、今自分のために一生懸命なお母さんへの感謝の気持ちを書いてたのに、今必死にお母さん代わりをしてくれる姉さんの事を書かずに、後ろ向きな事を書いて褒められて。姉さんに申し訳ないと思った。家に帰って姉さんの顔見たら、色々な想いがいっぱいになって大泣きした。姉さんは黙って僕を抱きしめてくれた」


幸哉は、ちょっと顔を赤くして、

「夕飯の後、いつものように音(妹の”のん”ちゃん)をお風呂に入れてたら、姉さんが入って来たのでびっくりした。姉さん中学行ってから、お風呂は僕と別だったからね。音が”おねえちゃん、おっぱい大きくなったね。もうすぐお母さんみたいになるかなあ。”って言ったら、姉さんは”今日だけお母さんの代りよ。”って音に吸わせた。音は”おっぱい出ないよぅ”って当たり前の事を言って…」

「綸子姉様のおっぱいを…?、のんちゃんが吸った…!」

「それから布団敷いて、寝ようとしたら、音を寝かしつけた姉さんが僕の部屋に来て、布団に入って来て、”のんちゃんには右をあげたから、さっちゃんにはこっち。”って言って、左のおっぱいを出して僕に吸わせてくれた。母乳は出なかったけど、僕の体に幸せがいっぱい入って来た」

恋は息をのんだ。

「”今夜は私がさっちゃんのお母さんよ。明日からは、お父さん、お姉ちゃん、幸哉、音の4人で、頑張って生きて行こうね。”と姉さんは言って、朝まで添い寝してくれた。それから僕は母さんがいない事で、絶対泣き言を言わなくなった。おっぱい吸ってから、僕にとって姉さんは姉さん以上のものになってた気がする。母乳をくれる母さんのおっぱいと、恋しい人の憧れのおっぱいの区別もつかないまま…。女の子に告白されても、つい姉さんと比較してしまう。僕は姉さんに恋してると思ってた」

ああ、綸子姉様には勝てる訳が無い…と恋は落胆した。しかし幸哉は続ける。

「でも恋さんのおっぱい見て、本当の恋しい人への気持ちが、少し判って来た気がする。恋さんは道場ではずっと僕のお姉さんだったから、どっちも姉さんのおっぱいなんだけどね。もう少し待って。姉さんへの気持ちがうまく整理できたら、大好きな恋さんと、僕はお付き合いしたいです」

「もう、恋って呼んで。待ってるよ。なんなら私のおっぱいも吸う?」

「いやそれは、いいです。付き合ってからで」

幸哉は真っ直ぐな漢であった。 完


「と、いうわけなんだが。我ながらいい出来かと」

現国の女教師、

「浪花の吟遊演歌詩人」

こと古手川綾香教諭の夏休みの宿題は、

「恋愛小説 原稿用紙10枚以上。ポロリもあるよ」

だった。自分とマイカのこと書くと、末松辺りに呪い殺されそうなので、マイカに相談したら、

「素敵なラブストーリーが最近あったの」

と紹介してくれた恋ちゃん、幸哉くんと何度か個別に会って、いろいろ聞き出した。

もちろん小説なんで、脚色を加えたが、大筋は聞いた通りである。ようやく完成したので、2人と綸子を呼んで感想を聞いてみた。

暫くの沈黙の後で、

「弟の気持ちが判ったのは嬉しかったが…。私は佐竹様に裸を見せたいなど思ってはおらん!それでは色情狂ではないか!」

「ちょっとエロすぎますよ。大体井戸ではちらっと見られただけです。脚色しすぎです。あと幸哉くんの裸見たいなんて考えてません」

「姉さんのおっぱい吸った事はオフレコって、あれ程言ったじゃないですか!最後も僕が恋さんのおっぱい吸いたいみたいに。これじゃ僕おっぱい魔人です」

俺は、不敵に微笑んだ。

「綸子さん。もし佐竹が見せてくれといったら、見せるでしょ?だったら同じ心があるのです。色即是空。自分のエロを素直に認めるのも修行の一つですよ」

「幸哉くんからは、ばっちり全部見えてたと言う裏を取ってありますよ。それに恋ちゃん、嘘はいけません。女の子だって、彼氏の裸見たいはずです」

「幸哉くん、男はみんなおっぱい魔人だよ。お姉さんのおっぱい吸って、危うく近親相姦に堕ちそうな所を、恋人の恋ちゃんのおっぱい吸って、正しいエロの道に目覚める。素晴らしいストーリーじゃありませんか。ここ抜いたらこの作文だいなしですよ」


「ミナミくーん!(人前では苗字呼び)」

向こうからマイカが走って来る。通常走る時、人は曲げた肘を体側に平行、またはやや脇を開いて腕を振るのだが、この時のマイカはむしろ脇を閉じ、肘から先は開き気味に振っていた。女の子走りのお約束だ。そしてなかなか到着しない。遅いのもお約束なので、みんな仕方なく待っている。

「わざとだ…」

マイカは一応運動部なので、足はそこそこ速いはずなのだが…。余程言いたくない事があるに違いない。

「はぁはぁはぁ…。ミナミくんプリント!」

「え?何の?」

「この間私の家で、作文の構想について熱く語ったとき、忘れてった夏休み課題のプリントだよ。よく見て!」

「なんだよ。”恋愛小説 原稿用紙10枚以上。ポロリもあるよ。”だろ?あ…!」

説明しよう。当時この手のプリントはコピーではなく、輪転機で印刷、紙は藁半紙だった。当時の藁半紙ってやつは、究極の再生紙みたいな茶色い紙で、結構ゴミみたいなのが混ざっていたのだが、テストの時など、数字の読み間違いなどの悲劇が起こったのだった。

「あ……。”恋愛小説 原稿用紙10枚以上。ホロリもあるよ”なの?うそぉ」

浪花節人生を生きる古手川教諭らしい出題だが、書き方が紛らわしい。

「まあ、変だと思ったのだがな、宿題にその様な破廉恥な出題は」

「公園のとことか、姉さんのとことか、確かにホロリもあったけど。残念ですね。ポロリが多過ぎで」

「良かった…。この作文を人知れず始末出来るなら、ひと安心だわ」

「うううぅぅぅ…」

俺は頭を抑え、うずくまった。俺の2週間の努力を返せ…。

うずくまる俺の背中に、3人は励ます様に優しく足を置いた。あたかもPKのボールの様に…。

「どかっ!がすっ!ぼこっ!」

親にも蹴られた事ないのに…。でも俺を蹴る恋ちゃんと幸哉君の手が、しっかり握られているのを、倒れながら俺ははっきり見た。俺の作文が、二人の恋のお役に立てたかな?古手川先生。これが文学の力なんですね?だが俺の達成感は長続きしなかった。


「ミナミくん、大丈夫?」

と棒読みで言いながら、特に俺を助けようともせずに、散乱した原稿用紙をご親切にも拾い集め、マイカは読み始めた…。

「”自分で見・せ・た・の・よ。”ですか、ほぅ…」

この後の事は、とても書けません。もう勘弁して下さい。

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