第11話 ■誰も知らない小さなエスパー■

マイカはその後も学校を休んだ。

今なら携帯メールで、

「大丈夫か?」

なんて打てば、一定の改善が見られるんだろうが、会いに行くのはもちろん、電話も気が重かった。逢いたい。声を聞きたい。でもマイカの声を聞くと、きっと悪い妄想をしてしまうから…。俺の心の中には、

「保留」

と言うポストイットが、沢山貼られていた。


初七日が過ぎた頃、マイカから電話があった。

「田岡先生の下宿に来て」

一週間ぶりに見たマイカは、先生の遺品を片付けていた。ちょっとやつれている。俺も黙って手伝った。なんか沈黙のまま時間が過ぎるので、耐えられなくなって俺から口を開いた。でもマイカと田岡先生の事は、聞く勇気がなかった。

「みそのさんは、大丈夫?」

「うん。私が、”先生の研究誰が引き継ぐの?”って言ったら、”そうだよね。”って言って、立ち直ったみたい。後を追わせてあげたかったけどね。それは駄目だから。それから、みそのさんと二人で、ちょっと旅行に行ってたの」

「そうか。先生の研究って…??」

マイカは俺の問いに答えずに、

「ミナミくん。先生の眼鏡取って」

先生が勉強していた机は塾から貰って来た、生徒用の奴だった。体裁を気にしない田岡先生らしい。その上に、先生の度の強い眼鏡が置いてあった。レンズが割れていた。事故にあった時のものか。

俺は立ち上がって、眼鏡を取ろうとした。


「ありがとう」

眼鏡をいとおしそうに持って、マイカは微笑んだ。

俺は机の傍で立ちすくんだ。

俺は立ち上がって、眼鏡を取ろうとしていた。


眼鏡はマイカが持っている。


どういう事だ?


「マイカ…。眼鏡を…。え?」

「ミナミくん。私は歩いて机まで行って、眼鏡を取って、またここに戻ったのよ」

俺の頭の記憶装置と演算回路が激しく点滅し、SF小説の記憶を呼びさます。

「もしかして、テレポーテーション?」

「違うの。時間を戻す事が出来るの」

幼稚園の頃、手塚治虫原作の漫画をNHKが

「ふしぎな少年」

というドラマにして、その中の決め台詞、

「時間よ、止まれ!」

と叫ぶのが園庭で流行った。言われると、みんなピタリと止まらなければならない遊び。それか…。

いや戻せるなら、もっと凄い能力だ。

「君はタイムトラベラーなのか?」

「時をかける少女(筒井康隆)」

は、やはりNHKでドラマ化されていた。

「そんな大それた能力はないの。過去にも未来にも行けない。出来るのはたった8分程、時計を巻き戻す事が出来るだけ」


この能力。強いて名付ければ、タイムリバース。マイカは小さいときからそんな事が出来たらしい。でも誰にでも出来ると思っていたので、気にも止めなかった。

小学校2年の夏、マイカは公園で変質者に襲われそうになった。

公衆トイレの中で服を脱がされそうになった彼女は、時間を巻き戻してマイカを連れ込もうとした男から逃れ、交番に逃げ込んで、

「変なおじさんにトイレに連れ込まれた」

と警官に告げた。すぐに変質者は逮捕された。男は、

「連れ込んでない」

と主張したが、未遂でも罪は罪。マイカは、恐ろしさのあまり何が起こったかを説明出来ず、小2の子なら無理もない事と、誰も細かくは聞かなかった。この事件がマイカのトラウマになり、その後、この能力の事をマイカは最近まで誰にも言わなかった。

「みそのさんは大学院で物理を研究していて、田岡先生と一緒に時間理論の新しい仮説を証明しようとしていたの。たまたま私がその能力の事を話したら、とても興味を持って実験させて欲しいって」

そりゃそうだろう。身近に世紀の大発見が転がっていたのだから。

両親はマイカが姪の変な実験に付き合わされて、受験の大切な時期に影響が出る事を心配したが、先生が自分の講師してる塾で面倒を見るからって説得したという。

マイカ自身も塾は歓迎だった。マイカには行きたい高校があった。


マイカの家は俺たちの高校から歩いて15分の所にあり、小さいときから 体育祭や文化祭も見に来ていたので、大きくなったらあの”丘の上の学校”に行くと決めていたそうだ。2つ上の兄も同じ学校だった。1年の時お噂だけはお聞きしていたが、うちの学校始まって以来の秀才という3年生がマイカの兄だったのだ。今年は受験に失敗し、東京の予備校で東大を目指して勉強中。

2つ下の妹は地元の中三だが、俺たちが3年の時、本当に入学して来た。

マイカは結局少し内申が足らなくて、もう少し偏差値の低い他校普通科を担任に勧められたが、この学校に来たくてTクラスにしたそうだ。

マイカの父上はかなり厳格な人で、マイカの学力が上がらなかった事を理由に、みそのさんは出入り禁止になったとか…。


「私はこの能力が、他の人には無いらしいと判った時、死のうと思った。わたしは化物だ。父はこんな変な能力を決して認めてくれないと思うし」

俺は幼い少女が真っ暗な闇の中で、どんどん自分を追いつめて行った過去を想った。それは死にたくもなるさ。

「先生達は、もう決して他の人には喋っちゃいけないと言って、実験に協力してもらうのは、自分たちの仮説に裏付けをするためで、君の事は決して公表しないと約束してくれたの」

この能力の厄介なのは、誰も信じてくれないと言う事だ。時間が巻戻るので、本人以外その8分の記憶はほぼ上書きされてしまう訳だから。

さっき目の前で見せた奇跡は

1.”眼鏡取って”で、机の上の眼鏡を俺にはっきり印象づける。

2.ごめん、やっぱり自分で取る。と言ってマイカが取って元の場所に戻る。

3.トータルで8分(正確には472秒)経ったとき、時間を巻き戻す。

4.眼鏡をもったマイカが、”眼鏡取って”の直後に戻る。

という手順なわけだ。マイカ自身が肉体以外に運べる物(着ている洋服も含めて)には限度があり、例えば人間など生き物は無理の様だ。

戻った時には、そこにも例えば同じ眼鏡があるはずだが、マイカが戻ると眼鏡は手の中だけで、机の上からは消えている。未来のマイカが8分前のマイカに割り込んで、上書きされる感じだ。

「意識だけが戻るのではないと…」

その辺のタイムパラドクスの自動解決も含めて、マイカの能力のユニークさは田岡先生を熱くさせたと言う。

実験で472秒を測定した先生達は、マイカに472秒を計るタイマーを持たせ、繰り返しマイカにこの時間を覚えさせた。今ではプラスマイナス1秒の誤差で、巻き戻せると言う。


「あ…。あのボートで」

「そう。あの時は自分も落ちて慌てたから、水に触れる前にすぐに巻き戻したの。それから、もう一度わざと湖に落ちない程度にふらついて。もしかしてミナミ君の記憶、ちょっとおかしい事になってなかった?」

上書きされる前の記憶の、消えたはずの部分がデジャブの様に残る事がある事は、田岡先生も観測しており、重要な研究テーマになっていた。だから湖に落ちたような気がしたのか。

「ごまかすためにキスしたわけ?」

「馬鹿。それは別」

マイカは真っ赤になった。

少なくとも世界一可愛いエスパーだ。

「でもさ、何で俺なんかに話す気になったの?」

「ミナミくんがいい人だからだよ」


でも…。

俺はマイカの考えは甘いと思った。俺が

「土井まさるのスーパージョッキー。奇人変人コーナー」

の賞品、白いギター欲しさに、マイカを売らないとどうして判る?そんなことより、金儲けに利用しないとどうして判る?田岡先生とみそのさんに話したのだって安易過ぎる。

「みそのさんにはね。小さい頃に話しちゃったの。警察沙汰になって、もう絶対誰にも本当の事を言っては駄目と、忠告してくれたのもみそのさんよ」

「でもいくらみそのさんの婚約者だと言っても、田岡先生にも話したんだろ?」

「それは大丈夫。田岡先生は私の初恋の人だから」

やっぱし。現恋人の前で、なんて事言うんだ。この女。

「大好きな従姉妹のみそのお姉さんの恋人じゃなきゃ、私が奪ってた」

おとなしくて、可愛くて、控えめで、物静かなマイカさ~ん。何処へ?


「今は同じ位。ううん、それ以上にミナミ君の事が大好きだからね」

「俺、マイカの事が全部判って嬉しいよ。俺も大好きです」

まあ、全部だと思う訳だ初心者は。女心はそんな単純じゃないけどね。

他ならぬ田岡先生の住まいで、こんな事は不謹慎だけど、俺たちは半月ぶりのキスをした。初めての日のキスがマグロの赤身だとすると、中トロ位は行ってたと思う。

マイカは俺の傍で、静かに、まるで眠っているかの様に、じっとしていた。

「良かった…。振られるかと思った」

ずいぶん悩み、考えて、今日を迎え、俺に告白したのだろう。そのための勇気は、体育館の階段で裸で体当たりした時よりも、富士山からダイブしたときよりも、自宅の門の前で待ってた時よりも、沢山振り絞らなければならなかったろう。激しいレースの後の陸上選手の(実際巻き戻しをした後は、半端じゃなく疲れると言う)クールダウンの様に、マイカは俺に寄り添って、じっとしていた。


「この子と、この誰も知らない小さなエスパーと、生きて行こう」

マイカの肩を抱きながら、俺は心に誓った。でも、俺みたいなもんが勝手に決めても本当にいいのかなぁ。返事が怖いけど聞いてみる。

「なんで俺なの?」

こんな素直な(真っ直ぐに恐いのも後で判ったが…。)美人で、可愛くて、エッチなバディで、しかも超能力者が、なんで俺みたいなかっこ良くもない凡人の恋人に?

マイカはもう一回キスをせがんだ後、答えになってない答えを小さくつぶやいた。

「だって大好きなんだもん」

いまいちはぐらかされた様で、まだちょっともやもやしていたが、凄く幸せだったので、つい気持ちを口に出してしまった。

「ま、いっか」

「それ小学校の時、散々言われた名前ギャグ」

「あ、ごめん、そんなつもりじゃ」

「わかってるよ。ミナミくんにも、そんなのあった?」

「うーんとね」

俺は指で目を一杯に開き、

「メグルの目、ぐーるぐる」

久しぶりにマイカの笑い声を聞いた。

「ねえ、これからメグルくんって呼んでいい?」

いいとも。初めて名前で呼ばれて、ちょっと感動した。

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