第8話 ■天国と地獄■
マイカは、街中が嫌いな子だった。デートで繁華街に行った覚えはほとんどない。街には映画を見に行っただけで、買い物につきあわされたり、
「あそこの何とかが食べたい」
なんていう事も無縁だった。
T組には珍しく、普段着も派手ではなく、なんかふわふわしたものを着ていた印象が強い。制服はもとより、デートの間もスカート姿しか見た事がない。俺はこの頃178cmあったのだが、彼女は自称153cmで、俺と歩くと肩位までしかなかった。
「今度、ここ行こうよ」
と、彼女は近郊のハイキングコースとか、景色のいい観光地に行きたがった。結果屋外の、ひと気の少ないとこでデートが多かったから、ファーストキスのチャンスは意外と早く来たわけだ。
2回目のデートの時、彼女の妙な癖に気がついた。
ガムをかむのだ。
くちゃくちゃ音をたててガムをかむのは嫌だが、彼女は
「もぐもぐ」
と言う感じで、リスかなんかの様で可愛かった。でも、ガムをかむのは口寂しいからで、
「実は普段煙草を吸っているのではないか?」
と、つい疑ってしまった。
当時たばこを吸うのは結構普通で、クラスでも半分位の男子が親に隠れて吸っていたと思う。女子も意外な子が吸っていた。
「マイカはタバコ吸う人、どう思う?」
「好きじゃない。父は吸わないから、タバコの匂い気持ち悪くなる。ミナミくんは吸わないよね。匂いしないもん」
匂いがわかるまでに、接近出来る様になったって事です。
「俺は何の匂い?」
「うーん…。しっかり日向に干した日の、おふとんの匂い」
母さん、いつも洗濯物干してくれて、ありがとう。
このガムのことについて、ヨッコにも相談してみた。
「ばかだねメグルは。女の子がガムかむって、どういう意味かわかんないの?」
「なんだそれ。ガムに何の意味があるんだよ」
なんだか判らんうちに、次のデートがやって来た。
電車を3回乗り換えて(最後のは”よくこんな電車が残ってたなあ”というような、古い車両だった)、山奥のダム湖にデートに行った。
湖には貸しボートがあって、マイカの作ってくれた弁当を食べてから、午後一杯ボートに乗って遊んでいた。俺は後ろを向いて漕ぐ。ボートが揺れると頑張ってミニスカートはいてきたマイカの足がひらいて、気になってしかたなかった。縞か・・・。
「ミナミ君もガムかむ?」
「うん、ありがと」
スペアミントガムだった。子供の頃、辛くてこれ喰えなかったなあ…。そのうち、さすがに話題も尽きてしまい、二人、ただ黙ってガムをかんでいた。突然マイカが言った。
「疲れたでしょ?こぐの替わってあげようか?」
いいよと断ったのだが、いいからと、彼女はボートの上で立ち上がり、前に替わろうとする。俺も腰を浮かして移動しようとしたとたん、ボートが大きく揺れた。俺は外に投げ出され、止めようとしたマイカも一緒に湖に落ち、
いや、落ちそうになった。
「きゃっ!」
と短い悲鳴を上げて、ボートに尻餅をついた俺の上に、彼女が倒れ込んで来た。普段は胸の辺りにあるマイカの顔が、俺と同じ高さにある。
俺はここしかチャンスはないと思い。しっかりマイカを抱きしめる。女の子って、なんでこんなに柔らかいんだろ。マイカは、なにか愛しい子犬でも抱く様に、俺の頭を抱きしめ、
そして、始めてのキスをした。唇と唇が触れ合う、幼いキスだった。
マイカがガムをかんだのは、いつキスされても良い様に準備していたのだと、その時やっと気付いた。(当時お口のエチケット用品は、せいぜい仁丹。)マイカは俺の肩に頭を乗せたまま、ちょっと疲れたのかしばらくじっとしていた。
ボートを返し、帰りに駅に向かう山道には誰も他にいなかった。
「マイカ?」
「ん?」
「もいっかいキスして良い?」
彼女は立ち止まって、つま先立ちになって、腕をおれの首に巻き付けた。 唇がふれあった後、俺は思い切って舌を差し込んでみた。少し、抵抗があった唇は開き、俺の舌はマイカの歯にあたる。しばらく俺の舌先はマイカの歯を行ったり来たりした。
これだけでこんなに気持ちがいいのか・・・。
「ああ、今日はここまでで充分幸せだ」
と思ったとき、
「んんん・・」
とマイカが小さな声をあげ、歯がゆっくり開いた。そしてマイカの舌が、おずおずと俺の口に入って来る。2匹の動物の様に、俺たちの舌はめまぐるしく場所を変え、巻き付き…。俺たちは時間が経つのも忘れて、舌を絡め合った。痺れる様な快感。
俺は思い切ってマイカの胸に手を伸ばし、ブラウスのボタンをゆっくり外す。純白のブラに包まれた、マイカの白い胸が飛び出した。
最近なら初キスの後、これ位はいきなりやるんだろうが(右2行サービス妄想シーンでした。)、当時は案外
「ABC」
という段階を守っていたような気がする。まして俺はマイカの裸の胸を見てしまっていただけに、まるで既得権みたいに、彼女の体に触るのは嫌だった。
「ファーストキス…。嬉しいよ」
「私も。はぁ…。恥ずかしい」
その日は、帰りまでもうキスはしてくれなかった。
うちまで送って、マイカの家の前で、軽いお別れのキスはしたけど。
でもその日からいつも、マイカは黙ってガムをくれる。
それがキスの合図だった。
当時の女子高生は制服はもちろん、私服でもはっきりわかる化粧はしていなかった。T組はファッションショーがあるため一年中化粧は研究しており、テケップ辺りは和裁のおばあちゃん先生に怒られない程度のメイクはいつもしていた様だが、とにかく今時の女子高生の付けまつげが風を起こす様なメイクのセーラー服は、当時は女学生キャバレーにしかいなかった。特にマイカはデートの時もスッピンに近い。T組に入ってからは授業もあり、それなりに基礎的なメイクはしてたらしいが、根が目立つのを嫌う性格なので、派手さは全くない。グラビアモデルの様なテケップに比べると、マイカは
「デビッド・ハミルトンの少女写真」
みたいな紗の掛かった美少女だった。
当時はモデル体型が全盛、長身でスレンダーな美女がもてはやされていたが、150cmそこそこの身長で、しかも胸が大健闘な子は、ある意味永遠の男の理想ではないだろうか?(彼女はいつも体型が目立たない服を好んだが、熟練した男達の眼はごまかせない。)その上頬がピンクの子はそんなにいない。
俺(元肥満児。現在体重=身長マイナス100)が彼女と歩いていると、男性からの
「なんでお前がビーム」
をいやと言う程浴びるし、女性からは、
「信じられない。(ありえないという言葉は当時まだ無かった)」
というヒソヒソが聞こえた。
人間信じられない事が起こると、 なんとか合理的な結論を得ようとする。この場合、大方の逃げ込む結論は、
「残念な兄ちゃんと、可愛い妹さん」
というところだろうか?だがしかしマイカの仕草は、完膚無きまでにそういった仮説を叩きのめす。例えば俺が通り過ぎる人をぼんやり見ているとする。
「なに見てるの?」
「いや別に」
「今歩いてった人綺麗だったね、すらっと背が高くて…」
「そ、そうだっけ?」
「ふぅん…。ミナミ君、ああいう人がタイプなんだ…」
マイカは明らかに機嫌が悪い。
「見てません。私はマイカ様しか見てないです」
なぜか俺は敬語になる。
マイカは背伸びして俺の顔をこっちに向けさせ、真剣な顔で
「心配なんだからね」
大丈夫です。マニアは貴女だけ。俺はマイカのこういう嫉妬が、可愛くてたまらなかった(まだこの頃は)。
車内でちゅーをするような高校生はまだ当時はいなかったので、ラブラブ度としては、これが当時MAXの破壊力だったろう。これを見せつけられては反論の余地はなかったはずだ。
とにかく当時の俺は、情けない程びくびくしてた。
これは今も変わらないと思うが、幸運にも、自分には不釣り合いなほど可愛い彼女が出来ちゃった男は、随分に用心深くなるものなのだ。
「チキン」
と言われるなら仕方が無いが、別にこんなところで、
「ビーフ」
ぶりを発揮しなくてもいいと思った。むしろ長嶋茂雄氏の様に、堂々と
「I'm a chicken!」
と宣言したい位の気持ちだった(機内食の種類を問われ、こう答えたという長嶋伝説)。
学校の帰りに歩いている時、なんかの道順の話をしていて、
「こっちの方にさ」
と指差したとき、マイカが急に身を乗り出したので、偶然俺の人差し指が、マイカの胸の頂上を、”ぷにゅ”っと指してしまった事がある。
「あ…。ご、ごめん!わーっ」
俺は完全にパニックだった。いつもぎゅっとハグして、マイカの完璧な胸を俺の完璧な腹で感じているのに、手はまた別だった。心は土下座モード。
「いいよ…。偶然だから…。大丈夫…。野犬に噛まれたと思えば…」
冗談なのは判るが、マイカさん、それは言い過ぎじゃ…。
とにかく順調に大人の階段を登っていく感じなので、ヨッコにも中間報告した。
「お前のおせっかいには困ったもんだけど、今回は結果オーライだな。とりあえず世話になった。ありがとう」
「なんか自身満々だね。あの子昔のトラウマがちょっとあったから、あんまり調子に乗って、エッチな事しちゃ駄目だよ」
「えっ?どんな?」
この指が覚えてゐる…。俺は自分の人差し指をじっと見つめる。
「はっきり言わないけど、なんかいやらしい事された事があったみたい」
「小さいときに?」
「聞いても、はっきりは言わないけど…。そう言えば、あんたも通ってた塾さ」
「うん」
「あの子グリーン教室だったんだけど、合宿の時もへんな事あったとか…」
「え…」
俺たちの塾(ヨッコが誘ってくれた)は、学区別にいくつかの教室があり、色分けされていた。俺たちはオレンジ教室。
「合宿で痴漢にあった?」
「いやそれはよく判んないけど。あの子、男をそそるええ乳しとるからね(ヨッコの同性評論はおっさん)。しかし、あの塾にそんな最低な変態がいたとはね。今からでも犯人捜せないかな?」
「いや、もうその人も反省してるんじゃ…」
「甘いねメグは。そういう奴は懲りないんだよ」
合宿での話題は、もうヨッコに振る事が出来なくなってしまった。
合宿の時のへんな体験。痴漢のトラウマ。小柄な女の子。大きな胸。
「やっぱり俺か?」
なんで気づかなかったのだろう?
マイカは俺があの時の変態だと、判っているのだろうか?
マイカはいつも、俺とのスキンシップを望み、キスをせがむ。判っていたら、今の俺にそんな接し方はしないと思う。第一そんな奴と、つき合いたいとは思わないだろう。
うん、気づいてないんだよな。
ダマッテイタホウガイイ。
あんな絵に描いた様な状況で、誘惑に負けてしまった俺は弱いが、後悔はしていない。でもあの子が(おそらく)マイカだと判ってしまった今、それを正直にマイカに謝らずに、何事もなかったかの様につきあえるか?
でも言ったら、間違いなくマイカは幻滅するだろう。
ダマッテイタホウガイイ。
それでお前は平気か?
チキンと卑怯は違うんじゃないか?
ダマッテイタホウガイイ。
本当にそれでいいのか?言わずに真っ直ぐマイカを見つめられるか?
心が痛い。心が張り裂けそうだった。
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