第7話 ■ハニーフラッシュ■

繰り返す。俺とマイカの交際は順調だと思ってた。

しかし、その後すぐその道のりが決して平坦でない事がわかった。いわゆる一つの、ほらよく言うではないか、

「人生谷あれば沼有り」

なんかしっくり来ないなあ、ま、いいけど。


マイカは手紙が好きで、いっぱい手紙をくれた。今ならメールなのだろうが。

俺も頑張って返事を書いたが、彼女のパワーには敵わなかった。一日に3通来た時は俺もかなり驚いたが、母親は今風に言えば、

「グッジョブマイサン!」

て感じで大喜びだった。マイカによると、前の日に書いた手紙を学校に行く時ポストに入れ、学校で書いて帰りにポストに入れ、帰ってから書いた手紙をその夜ポストに入れたとの事で、それが郵政省の諸事情で、まとめて届いたらしい。

ニヤニヤ笑いながら手紙を渡す母から、”特に興味ないねえ”みたいな顔で3通の手紙を受け取り、居間を出てからダッシュで自分の部屋に行き、手紙を開ける訳やね。手紙の内容は、別にラブなレターではなく、日常の事や読んだ本の感想、デートに行きたい場所といった、ありきたりなものだったが、気になったのが1通目の手紙に、

「勉強しながらぼんやり、どうやったら楽に自殺出来るか考えています」

というところがあり、2通目の追伸には、

「前の手紙で、変なこと書いてごめん」

3通目には、

「本当に忘れて下さい。私馬鹿ですね」

とやっぱり追伸してあったこと。図書館を思いだして気になった。

ラブラブに付き合ってるのに、どうして死にたいの?


次のデートの時、そのことを聞いてみた。

「うーん…。時々そう思う事があるの」

「俺だって、辛くて堪んない時、死にたいと思った事、あったけどね」

「ミナミくんもそういう事あったの?」

うん。そうなんだ。俺は中学1年の冬、一言多い性格が災いし、友達だと思ってた奴ら全員に裏切られて不登校になった。ヨッコたちに支えられて、なんとか2年から登校出来る様になったけど、あの時は本当にきつかった。

「今でも騙されてんじゃないかと、不安になる時あるよ」

「そう…。なんだ…」

マイカの顔が曇った。


「マイカ!ハンカチ落としたよ」

「あ…。ごめんなさい」

一回りして来た鬼に気づかず、ポンと背中を叩かれた時みたいな顔で、マイカはハンカチを受け取った。

「マイカは何で死にたいの?俺と付き合ってても?」

その本当の理由を、その頃の俺は想像もできなかった。

「俺と付き合うの…、嫌になった?」

「違うの!絶対に違うから。もっと前からなの。ごめんなさい。失礼だよね。もう考えない事にする。ヨッコにもよく怒られるんだ」

ヨッコは小学生のとき、乗っていた観光バスが土砂くずれにあい、ヨッコの乗っていたバスは助かったが、すぐ前のバスが谷底に転落して沢山の方が亡くなった、という経験をしている。普段どんな冗談でも(猥談でも)うまく流すヨッコが、生き死にの話になるとシャレにならんぐらいマジになるのは、友達仲間では有名な話だ。


友達仲間では?


「マイカってさ。ヨッコと話したことあんの?」

「あ…。こないだのファッションショーで仲良くなって」

「こないだのファッションショーで仲良くなって?そんで、もう死にたいとか、そんなディープな相談してんの?」

マイカはただ首を振り続けるだけだった。

俺はしまった!と思った。

「これ以上追いつめちゃいけない、死にたいなんて考えてる子を…」

俺もマイカも無言で、マイカの家までの道を歩いた。家に入る前、マイカが小さな声で、

「騙してごめんなさい」とつぶやいた。


近くのタバコ屋に飛び込み、俺は手持ちの金を全て10円玉に両替してもらった。店の外の赤電話から、握りしめた10円玉を一つ一つ入れながら、俺はヨッコの家に電話した。

「マイカと友達って、どういうことだよ」

「アチャー、あいつしゃべっちゃったの?相変わらず正直もんだなあ」

「ふざけるな、2人で俺をはめたのか?中学ん時俺が騙され、裏切られてどんな目にあったか、一番知ってるヨッコがそんな事するのか!」

「本当にごめん。しかけたのはあちし。でもあれは事故だったんだよ」

「事故だぁ~。なんだか判んないぞ」

「順番に話すね。あちしとマイカは小学生のとき、ピアノ教室で知り合って友達になったの。あの子、ちょっと男の趣味がおかしい所があって、まそれで、メグが好きなんだけど」

「余計なお世話だよ。あとメグ言うな」


「ごめん。マイカとは小中は別だったけど、同じ高校に合格して喜んでたんだよ。そしたら入学式の日、あの子があちしに、 ”ヨッコぉ~。高畑君見つけちゃった。”って言うじゃない。誰だって良く聞いたら、なんとメグルの事だって」

「高畑って、まさか?」

「そう”エスパー魔美”の高畑君だよ。あんなに可愛いのに、なんでそんな趣味なんだろ」

それで”ミナミくん”なのか…。

「俺、あんなに太ってないよ」

「良く似たもんだよ。そんで、あの子全然メグルに近づけなくて、じゃ放送部入れば?っていったんだけど、新体操部入っちゃうし」

「言ってくれれば、モノクロの1年間が天然色だったのに」

「マイカは妙に固いとこがあって、男とつきあった事なかったんだよ。 そんであの子が今度のファッションショーの音響担当になったんで、んじゃまかせろって、ちょっと仕掛けをしたのよ」

「んだと~っ」

「まま、冷静に。あちしの描いた絵はさ。上手のジャンパ線一本抜いて、”メグル~、助けて~”って下から呼べばさ。あんたスケベだから、モデルの着替見られるし、すっ飛んでくると思ったからさ」

「そうだよ、おれはどうせスケベだよ。ホント結構なもの沢山見せてもらった。ありがとな」


「そんで、メグルがかっこ良くジャンパ線直して、マイカが感謝、見つめ合う二人。二人はラブラブ・・・って計画だった訳」

「ふむぅ・・・良く出来ている」

「息子がやけに反抗的な食通のおっさんか、あんた。ところが計画通りいかなくてさ、ジャンパ線抜く前にテープは巻き込んじゃうし、なんだかマイカは突然モデルにさせられて、居なくなっちゃうし…。そうこうしている間に、勝手にあんたたちが出会っちゃった訳」

「話としては解った。でも結局俺ははめられたんだろ?なんか割り切れない気持ちだよ。悔しいよ」

「今のメグルにはマイカが必要だって思って、あちしが強引にすすめちゃったからさ。悪かったと思ってるよ。本当にごめん」

珍しくちょっと泣きそうな声だった。ヨッコは、俺がいつまでもヨッコへの気持ちを引きずっている事に気づいていたのだろう。

「でもさ、あのスタッフジャンパー、あの子が全部縫ったんだよ。またミナミ君に会えます様にって、想いを込めて」

滅茶苦茶嬉しかったが、でもモヤモヤは晴れなかった。

「ともかく、もう一度本人に聞いてみるよ」

「早い方がいいよ。きっとマイカはメグルを待ってると思う」

俺はタバコ屋の軒下を飛び出し、走ってマイカの家に戻った。


マイカは本当に門の外で待っていた。今思えば、ヨッコが電話してくれたのかも知れないが、その時は運命だと思った。

「ヨッコに概ね聞いた…」

「騙してごめんなさい。全部話すから、許せなかったらそう言ってね」

近くの小さな神社の境内で、俺はマイカから詳しい事を聞いた。


あの日お祖母さんが危篤という先輩の代役モデルになったマイカは、次の衣装がどれかも判らなくて、それこそおっぱい丸出しでうろうろしてたらしい。 そしたら俺が走って調整室に帰ろうとしてるのが見えたので、衝動的に体当たりしてしまったそうだ。

「もうこれ逃したら、卒業までチャンスがない様な気がして…」

同じクラスのテケップが、いつも、

「恋は体当たりよ」

と皆に言っているのを思い出し、今しかない!と思ったそうだ。

「テケップに、思い切りぶつかりなさい。と言われたのでぶつかったんだけど」

という公園での発言は、富士山からの事ではなかった訳だ。


「わたしって、ふしだらな娘だわ(彼女は時々表現が時代錯誤だった)」

マイカは顔を覆って泣き出してしまった。

「ふしだらって…。上裸なの、忘れてたんだろ?」

やっぱり俺は一言多いことが欠点だ。ここは聞き流すべきだろ?普通。

「気づいてた。でも服着る時間無かったし…、ううん違う、違うの…」

マイカはまた泣き出した。俺はそれ以上話しかけなかった。しばらくして、ようやくマイカは話し始めた。

「もう、ミナミくんに、嘘付くの苦しいから、正直に言います。あの時、ミナミくんに私の事、覚えてて欲しかったから…。今なら顔だけじゃなく、わたしのむ…、胸も見て、忘れないでいてくれるかな?って…。咄嗟に思ったの…。ふしだらだよね?わたし」

マイカは声を上げて泣く。

「信じられないよ」

「こんなふしだらな女、信用できないよね、さようなら」

マイカは泣きながら、帰ろうとする。俺はマイカの腕を掴む。

「違うんだ。こんな俺なんかのために、すごく恥ずかしいのに、そんな想い一つで裸で飛び込んで来てくれて。俺、信じられないくらい幸せだよ」

「ビダビぐん、ごべんだだ~い」

大泣きしながら、マイカが俺の胸に飛び込んで来た。

柔らかい、いい匂いの小さな女の子を抱きしめながら、俺はマイカの心に一歩近づいた様な気がした。もうTシャツの胸はマイカの涙でびしょびしょだったが、十七年間生きて来て、こんなにも可愛い生き物を抱きしめたのは初めてだった。地が固まるための大雨が、俺の胸に降った訳だ。


でも同時に、ちょっと女を恐ろしく感じた。

「スパイ大作戦」

みたいに、用意周到なヨッコの罠。

マイカが咄嗟に仕掛けたハニートラップ。

「俺って結局、お釈迦様の手の上の孫悟空なんじゃないかなあ」

でも捕まっちゃってこんなに幸せな罠なら、マイカの手の上のピグミーマーモセットでもいいのかもな?

俺の腕の中で、まだくすんくすん言っているマイカを抱きしめながら、そんな事を考えていた。

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