第3話 ■始まりはモノクローム■
「メグ!また同じ学校だね!」
ヨッコが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「メグっていうな。俺はメグルだ」
何回も繰り返されたやり取り。
俺の名前は朱雀還流。これで
「みなみめぐる」
と読む。名字だけでも難解で、病院とかでも
「あけすずめさん」
とか呼ばれるのだが、親も名前まで難解にする必要は無かったのではないか?まあ、最近の若い夫婦の無理矢理な命名と違って、めぐるとは読めるのだが。武芸者じゃあるまいし、
「すざくかんりゅう」
なんて呼ばれるのは敵わない。まして小さいときから
「メグちゃん」
と言われ、女の子扱いも多かった。
ヨッコは気持ちのいい奴で、実は中学のとき片思いしていた。黙ってれば水準以上のいい女なんだが、奴と話していると、なんか同性の友達と話している様で、どうしてもそれ以上にはなれなかった(事にしておく)。
「もう部活決めた?」
入学式の日、いきなり柔道部の部室に拉致され、
「ここに名前書いて。あ、仮入部だから。仮ね」
と全日本篠原監督の様な、ゴツい先輩にニッコリ微笑まれた俺は、
「すみませんっ!もう入る部は決めているんで」
とダッシュで逃げた。
当時の俺の身長は177cm(今は数cm縮んだ…)。
ちなみに体重は…まあその、あれだ。
県立のマラソン大会に戦慄(誰が上手い事言えと…)した事で判る様に、運動はまるっきり駄目。正直小学校までは、筋金いり肥満児だった。
いつまでも部活に入らないと、柔道部の先輩に何か言われそうで、どこにしようか、真剣に考えていた矢先だった。
「ヨッコはどうすんだよ」
「あちしは、美人アナウンサー志望だから、もちろん放送部さ」
「自分で美人言うかよ」
「メグも放送部入んなよ」
「メグ言うな。入ったら俺とつきあってくれる?」
「いいよ、槍?フェンシング?」
突っ込む気にもなれない。
「放送部の1年って、かわいい子いるよ」
「うん、入るわ」
このような会話の末、熟慮を重ねず、俺は放送部に入部する事にした。
同期の部員は全部で4人。男は俺一人。後はヨッコとT組の超絶美人コンビ(ヨッコは嘘付いてなかった!)。T組というのはこの学校独自のクラスで、服飾デザインコースだ。戦後復興に尽力した当時の市長が、
「これからはアメリカの文化を学ばねばならん。服飾など繊維関係を学ぶ学級を作ろう。繊維は英語でなんと言うのかね?」
「テキスタイルと言います(当時はアパレルという言葉は一般的ではなかった)」
「よし敵のスタイルを学べだ!」
という親父ギャグ的命名で、頭文字T組となったそうだ。今は男子生徒もいるようだが、当時は女子生徒だけ。校舎も別で、ちょっと
「女の園」
という感じで、おしゃれな女の子が集まっており、俺たちもてない普通科男子生徒には 憧れの対象だった。 部長に頼まれて、俺が部員への連絡でT組に行ったりすると、綺麗なおねいさんに一斉に注目され、どきどきしたものだった。
同期の絶品女子部員、T組のテケちゃんとケップちゃんは、どっちも双子の様に似ていた。顔立ちは似てないのだが、長い黒髪(まだ人工茶髪はいない)をおさげやツインや、その日によって色々な髪型に結ってくる。朝お互いの髪を結い合うそうだ。同じにしなくてもと思うが、両人はいつも同じがいいという中学からの仲良しコンビだ。ちなみにテケちゃんは、
「ひょっこりひょうたん島」
に出て来たキャラからで、小学校のときおでこが広いので付けられたとか。ケップちゃんは、なんでケップちゃんなのかは本人も知らず、幼稚園の頃からそう呼ばれているらしい。ファンクラブ(実在)の調べでは、ケチャップと言えずにそう言ったから、という説と、赤ちゃんの時のゲップ(重要)の音からという2説有り、会員の中でも論争のタネだったらしい。
期待させて申し訳ないが、放送部と言うのは厳密な放送当番のローテーションで動いており、1年の頃はあんまりこの2人とは話す機会がなかった。慣れてたので、俺はいつもヨッコと組んだし、この2人はもちろんコンビ。コンクールにラジオドラマを出品する時だけ、T組まで行って出演を依頼したりする位だった。
あとはクラスの末松くんに、つき合いたいから紹介して欲しい、とか言われた位しか、彼女達との接点はまだなかったな。この時、口利きをした俺は彼女達からしばらく恨まれた。
末松の告白は、なんと
「テケちゃんかケップちゃん、どっちかとつき合って下さい」
で、いくら疑似双子コンビでも、馬鹿にすんな!と瞬殺だったそうだ。
「あわよくば、どっちかと…」
と考えていた俺は、ちょっと反省した。
1年生の一学期は、殆ど何もなく終わった。
夏の合宿で、星空と、慣れない清涼飲料水(です!)と、俺の前では無防備なヨッコの
「風呂上がりノーブラTシャツぽっち付き」
で、すっかりその気になった俺が、ヨッコに告白しようとした事など、良い想い出だ。
ああそうだとも。
まあ、当時の会話だけ記録しておこうか。
「あのなヨッコ、俺…」
「メグ、あちしさあ、ちょっと聞いて欲しい事が…」
来たか?これは来たか?
「メグ言うな。ヨッコ先に言って」
「あちしさあ、O野(仮名:でいいか)くんに告白された」
「!!あ…そう。良かったじゃん。で、どうするの?」
「まあ試しにさ」
O野(仮名)と言うのはサッカー部で、1年からいきなりレギュラーという逸材。まあそんなにレベルの高い部ではなかったが、結構目立っていた。
「良いんじゃない?まあ振られたら俺の胸で泣かせてやるぜ」
清涼飲料水(です!)も一瞬に醒めたおれは、心でちょっと泣いた。
さてさて俺としては一刻も早く、彼女との出会いを語りたいのだが、俺の中の
「女神ユースティティア(裁判所に天秤持って立ってるローマ神話の公平の女神)」
が、こう告げる。
「あんた、中学ん時の顔も忘れた子の毛糸のパンツまで言うなら、あの件飛ばしたら駄目でしょ」
ああそうだった。モノクロ画面の様な高校1年の記憶に、残念ながらフルカラーとは言えなくとも、
「256色インデックスカラー」
程度の輝きを見せた一瞬があった。これを語らなきゃ、申し訳ない。と言う訳で、話は1年の新学期である。
俺がヨッコの誘いで放送部に入った時、3年生の先輩は2人しかいなかった。殆どの部は2年が終わると受験に備え引退、という感じで、放送部も例外ではなかった。部長と副部長だけ、なんか
「沈み行く船に最後まで残った船長と航海士」
みたいな塩梅で、残っていた訳だ。
残っていた最大の理由は、次期部長候補と目された2年生の先輩が、夏で姿を消した事だった。この先輩は(まあ後から登場しないので名前はいいか。)、サッカー部と掛け持ちだったのだが、1年に入って来たO野(仮名)と同じポジションだったため、危機感を感じたらしく、
「じゃぁねー、後頼むわ」
と俺に告げて、合宿後に退部してしまった。
2年は女子の先輩が3人(まあ後から登場しないので名前はいいか。)だけになり、結局3年が2人、2年が3人、1年が4人。これが放送部の当時の構成で、男は俺と部長の2人だけ。という訳だ。
「ミナミ!この原稿清書しとけつっただろ!指導部の鬼頭の字は読めんぞ!」
「すみません。すぐ」
「2年間もアナやってて、それ位読みなよ。プロでしょ?」
「るせい、てめぇはすっこんでろ!ミナミの為を思って指導してんだ」
「はいはい。早く放送して」
二人はいつもこんな感じだった。なんだか口喧嘩しているのが、基本と言う感じ。
「ったく、部長は甘ぇんだよな。ミナミには。あいつオカマじゃねえの?お前、ケツに気をつけろよ」
部長が帰った後、副部長の杉野先輩はこう言って毒づいた。こう言う場合のお約束なのでお判りと思うが、べらんめえなのが、副部長の杉野りり子先輩。穏やかにたしなめるのが、部長の宮田衛先輩だった。
「あの二人、ああ見えて仲いいのよ」
とヨッコは言うが、俺にはとても信じられない。
まあ2こ上の先輩の事など、どうでもいいっちゃいいのだが、問題はこの2人が、俺にとっては憧れの対象になってしまった点だ。とにかく2人ともえらく格好いいのである。
まず宮田先輩。
身長は俺と同じ位だが、無駄な肉が無い。当時の若者に多い肩までの長髪。女生徒を振り向かせる甘いマスク。声はあくまでもソフト。放送コンクールアナウンス部門で、2年連続全国大会進出の偉業。これだけでも尊敬に値する。
趣味はフォークギターで、高田渡とか中川イサトのコピーをよくやっていた。
最初は優しいだけの先輩と思っていたが、仕切りの凄さにも驚いた。当時先輩は生徒議会の議長をしていたが、議会の時は、普段の口調と異なり声も張りがあり、進行を完全にリードしていく。当時の社会主義国家で、議長とか書記長とかが政治の実権を握るのは、こういう事なんだろうな?という感じ。じゃんけんに負けて、一学期クラス議員だった俺は完全に心酔し
「もし俺が女だったら、抱かれたい(性的な意味で)」
とまで思った。
一方の杉野先輩は、親は開業医との事でお嬢のはずなんだが、この人は本当にがさつな人だった。
「ミナミおめえ、ヨッコのこと好きなんだろ。押し倒しちゃえよ」
とヨッコの前で、毎回ガハガハ笑うのは序の口。一学期の頃は俺もまだ
「止めて下さいよ。そんなんじゃないんです(そんなん希望)」
とか返す余裕があったが、ヨッコがO野(仮名)と付き合い始めてからは、これは結構堪えた。ヨッコは終始にやにや笑っていたが、こうなると本当にO野(淫獣)に押し倒された体験を、
「思いだし笑い」
してる様に見えて、泣きたくなった。
練習で間違えたりすると、容赦なく愛のスリッパでひっぱたかれる。実力のある先輩なので、この体育会系しごきも受けざるを得ない。
まだ全国には行ってないが、県大会では朗読部門で毎年ベスト4に入っていた。朗読部門の女子は、大抵母が子供に話しかける様な優しい作品を選ぶが、杉野先輩は軍記ものを好む。特に合戦部分などを読ませると抜群に上手い。熱が入ると芝居がかってしまい、
「りりさん、講談じゃないんだから」
と部長に駄目出しされていた。
こんな男っぽい先輩のどこに惚れたかと言うと、それは、はっきり言って容姿だ。先輩はT組ではないのだが、あのテケップでさえ、
「あの人は隠れ全校ナンバー1美人」
と認めていた。普段はピンクのフレームで下半分が透明と言う、
「新学期セール。学生セット1万円!」
みたいな野暮な眼鏡をしていたが、疲れた時なんかに眼鏡を外すと、どきん!とする程色っぽい。一重まぶただが眼は大きく、彫りは深い。身長は160cm位か?髪は長いが、いつも一本のおさげにまとめて左右どっちかに垂らしていた。なんでどっちかに決めないか聞いたら、
「いっつも同じ方に引っ張ると禿げるんだよ」
と笑っていた。体型は一言で言えば、
「豊満」
朗読の練習の合間にお茶やお菓子を飲み食いするとき、原稿を置く場所がなく、
「胸の上に載せていた(ヨッコ目撃)!」
というほどの逸品の持ち主であるが、ウエスト周りは大いに残念。
「なんでもっと節制しないかなあ…」
と俺は思った(お前に言われたくない!と言われるだろうが)。とにかくお菓子が手放せない人だった。
動作ががさつゆえ、目のやり場に困る事も多く、その点でも眼の離せない先輩だった(結局俺がスケベなだけか…)。とにかくスカートを穿いている事を全く気にしない。
「あー、暑い暑い。なんでこの学校冷房無いかねえ」
と人前でスカートをパタパタする。すっごく大人の太ももから、パンツまで全部見えてしまう。残念ながら、先輩はブルマ愛用者だったので、そんなに色気は感じなかった。
今思えば、我々の世代が、現代の男子学生諸君に唯一自慢出来る事は、
「体育の時の女子のブルマ姿」
だろう。最近よくあのブルマの起源は、
「東京オリンピックの東洋の魔女」といわれるが、これは間違い。日本女子バレーチームの当時のユニフォームは、完全なちょうちんブルマであった。むしろ宿敵ソ連チームの真っ赤なぴっちりブルマに、多くの日本国民が、
「試合で勝ってブルマで負けた」
感を抱いた事は否めない(小学生の俺でも思った)。
「日本女子スポーツの近代化はブルマから」
と学校体育関係者が思い、その後急速にぴっちりブルマが普及したのは確かであろう。あのブルマはよく見ると、
「股上の深いパンツ」
に異ならないと思うのだが、
「これは体操服なので、エッチじゃないよー」
という暗黙のコンセンサスがあったと思う(その幻想を打ち砕いたのは、言うまでもなく後のブルセラショップである)。当時の俺たちは、体育の授業でうろうろしている女子のブルマ姿(高校生だから、もう大人な人も多い訳で)は、当たり前すぎて何の関心も持たなかった。スカートが風で翻って、膝あたりまで捲れるとドキドキするくせに…。だから杉野先輩のむっちむちのブルマが見えても、
「なーんだ、がっかり」
でしかなかった訳だ。あの体操着が絶滅した現在、考えれば勿体ない話である。先輩は椅子の上にあぐらをかき、ブルマが見えようと平気であった。4限が体育だったりすると、上がセーラー服、下がブルマのみ(理由:暑い)という奇態な格好で放送室に現れる。さすがにこの格好には、倒錯した何かを感じたが…。
ある日など、
「ミナミ、背中痒い。掻いてくれ」
と言われて、いきなり上着を脱ぎ出したのには呆れた。ブラジャーから零れそうな巨乳をぷるんぷるん言わせて、
「早く掻いてくれ。ん?ブラあると邪魔か?」
と言われ、いきなり背中に手をまわしたので慌てて止めた。後で思えば外して貰えば良かった。でもその時は、なんか男扱いされてない気がして、ムッとして眼をつぶって先輩の背中を20回位バリバリ引っ掻き
「こらこらミナミ、乙女の柔肌に何をする。痛ってぇだろうが!」
と言う声を後に放送室を飛び出した。乙女の柔肌が聞いて呆れる。背脂付き過ぎだぜ。あとでヨッコに話したら、
「杉野先輩にからかわれたんだよ。”ブラ外して下さい”なんて言ったら、またスリッパではったおされてたね」
と笑われた。ヨッコは更に
「あんな杉野先輩でも、好きな男の前では女の子になるのかねえ」
とぼんやりした目でつぶやいたが、俺には判っていた。自分がO野(仮名)の前ではそうなんだろう。その晩の夢に、杉野先輩が、凄く色っぽい姿(詳細極秘)で現れ、
「ミナミ君、お姉さんが教えて、あ、げ、る」
と言う、まあ典型的な妄想が出て来た。
でも次の日、ちょっとあがって原稿読みを失敗した俺に、
「てめえ、しっかりしろい。チンコ付いてんだろが!」
と怒鳴る鬼の姿の方が現実だった。
話は戻るが夏休み前に放送コンクールがあり、宮田先輩は全国へ、杉野先輩は忠告も空しく
「セリフ部分が芝居がかり過ぎている」
という審査員の選評で、またしても全国を逃した。
「セリフを生々しくやって何が悪い。これがあたしのスタイルだ」
森鷗外作、阿部一族の決め台詞、
「逃げはせぬ。腹を切るのじゃ」
をぎりぎりまで、ためて演じた杉野先輩は、悔しそうだった。表彰式から帰ってきた宮田先輩は、
「りりさん、もっと妥協しないとだめだよ」
と正論を吐いた。
「今年こそ、僕と東京行こうって約束したのに…」
「ハモてめー、なんだよ偉そうに。おめーみたいなもやしと、東京なんか行きたかねーよ!」
ちなみに宮田先輩を
「ハモ」
と呼ぶのは、同じ中学から来た同級生だけである。当時は森下君は仁丹、津村さんはバスクリン、江崎さんはグリコと例外無く呼ばれていた。同様に、宮田少年は
「ハモニカ」
と呼ばれていた。俺の知ってる宮田先輩はミヤタハーモニカではなく、ホーナーの
「マリンバンド」
全スケール揃いを持っており(それを全部挿せるガンマンのホルスターのような革ベルトも)、格好いいブルースハープを吹く人だったが…。
中学になって、宮田先輩は、
「ハモニカ」
は結構エッチな隠語であることを知り、皆にそう呼ばない様、頼み込んだそうだ。結果は予測出来るが、中学生ならますます面白がる。イジメになりかねないので担任の若い女教師が、学級会で
「宮田君をハモニカと呼ぶのはやめましょう」
と言ったところ、
「ハモニカのどこが悪いか説明して下さい」
「先生はハモニカされた事がありますか?」
と火に油を注ぐ結果になり、立ち往生する場面もあったらしい。その時杉野先輩が立ち上がり、
「宮田は、ひょろっと細長いから、略してハモでいいじゃん」
と言って収拾したとか。思えば幼なじみだったんだ…。
宮田先輩は悲しそうに首を振って立ち去った。杉野先輩は、
「ふん…。おまえと一緒に東京行ってどうするよ。東京タワーで”努力”の置物でも買うんかよ」
とぶつぶつ言いながら、大きな目から悔し涙がポロポロ落ちる。なんでこんなに仲悪いのに同じ部に残ってるんだろう?
その後も二人は、顔を合わすと言い争っていた。
「りりさん、もっと女らしくしないと、お嫁の貰い手がないよ」
「ほっとけ!縁談は降る様にあるんだぜ。おめえこそ、暗い夜道でモッコリに襲われない様に気をつけろ!」
モッコリはジャージの前の形から付けられた渾名で、男色の噂のあった体育教師だった。
やっぱ、ヨッコの”仲がいい”は信じられん。
2学期終わり頃のある日、杉野先輩が、
「ハモいる?」
と放送室に入って来た。
「先輩は来てません。ずっと補講だと思います」
と俺は答えた。この頃宮田先輩は、全国大会も終り受験勉強に打ち込んでいた。ちょっと眼が虚ろなのが気になったが…。杉野先輩は”勉強嫌いだから”と短大推薦を決めていた。
「そう…」
珍しくおとなしい感じで杉野先輩は答え、窓際に立った。ちょっとやつれたんじゃないか?
「ばか…せっかく…お護り…」
とぶつぶつ言うのが小さく聞こえた。
杉野先輩はいつもとは全然違う、なんかせつなそうな女の顔で、じっと校庭を窓から見ていた。その時、
「あ、先輩ちわーっす!」
とヨッコが入って来たが、入り口にあった先輩の鞄にけつまずき、どたっと派手に転んだ。ヨッコからすれば、もう藁をも掴む気持ちで、何かで体を支えようとしたのだろうが、転んで行くヨッコの手が掴んでいた物は、先輩のスカートだった。
「きゃっ!」
スカートは膝まで下がり、窓を向いていた杉野先輩のお尻が完全に露出した。
「きゃって…。あんたいつもブルマでうろうろしてんじゃん。今さら…」
と心で失笑しながら、先輩のお尻を見ると、え?
「ブルマじゃない」
黒い事は黒い。でも小さい。大人の女の人のパンティ。しかも透けてる。後ろ向きだから、お尻の割れ目が見えるだけですんだが、前だったら…(鼻血)。あれ?なんかベルトが垂れてるぞ、その先は黒ストッキング…って、これ
「ガーターベルトだとぉ?!(心の叫び)」
起き上がったヨッコも、漫画的表現で言えば、眼ん玉が飛び出る程驚いていた。
放心していた杉野先輩は、はっと我にかえり、慌ててスカートを直した。
「ミナミ、今なにか見たか?」
「い…いえ、見てません」
「そうか、もし何か見えてもそれは気のせいだ。その…。あたしはブルマ穿いてたよな?」
「あ、はい」
「先輩スカート脱がしてごめんなさい。ブルマ見ちゃいました」
ヨッコも口を合わせる。
「それならいい。さて、先にハモんちで待つか。渡す物があるんでな」
「先輩、宮田先輩に受験のお護りですか?」
俺は余計な事を言う。
「まあそうだ。奴は長い戦友だからな」
それを言うなら、敵に塩を贈るだろ?
「天神さんのお護りですか?」
ヨッコが当然の発想で聞く。
「ばーか、道真公も皆に頼られたら、誰合格させていいか判らんだろ、戦場に赴く友に、乙女が渡すお護りってったら、昔から決まってんだよ」
放送室を出て行く杉野先輩は、振り返ってニッコリ笑った。
この人黙ってたら、やっぱり日本一の美人じゃないのか?
「毛だよ、毛護り」
バタンとドアが閉まって、俺らは本当に漫画的表現で言えば、顎が床に着く感じだった。
「毛って…。髪の毛じゃないよね。この場合…」
「そういうものって、友達からは渡さないよね。恋人とか奥さんとか…」
三学期、宮田先輩は6大学連戦ツアーに出発した。なんでそんなに…。しかも全部医学部って…。医者になりたいとは聞いてなかったが…。
結果、打率5割は立派だと思う。杉野先輩の毛のご利益か。念願適って第二志望だが、地元市立大の医学部に行くらしい。
「優しいだけじゃなく、ギター上手いだけじゃなく、格好いいだけじゃなく、頭良かったんだ!やっぱ宮田先輩すげえ。抱かれたい」
とヨッコに言ったら、
「彼女できないからって、簡単にそっちに走っちゃいけないよ」
と真顔で忠告された。冗談だって…。俺は圧倒的に女が好きだっつうの。
杉野先輩は卒業式に来ず、俺は仕方なく杉野先輩の為の薔薇を、宮田先輩の胸にヨッコが付けた薔薇の横に付けた。
「よっ!ご両人!よりそう二輪の薔薇!」
とヨッコが冷やかすので、俺はそっちの気は無いのだが、赤面してしまった。
「よせよ。まるで僕がホモセクシャルの仲間みたいじゃないか」
先輩、俺も違うっす。
其れにつけても 、杉野先輩は卒業式にも出られないわけがおありか?
うちの学校の3年の出席日数判定は緩く、この当時は受験が1月末(関西私学)~3月末(国立二期校)に及ぶ為、3学期は概ね出なくていいのだが、さすがに卒業式は顔ぶれが揃うのが普通だった。
先輩は一体如何なる道に進まれるのだらう。剣呑な事になってゐなければ良いのだが…。
ヨッコによると、短大も行かないらしい。
「やっぱ芸能界でセクシー女優かなぁ?そんでマグマ大使の奥さんになるという…」
とマニアックな妄想(注:当時のセクシー失神女優、應蘭芳の事)をヨッコはしていたが、俺も杉野先輩なら女優として大成功する、と疑わなかった。
杉野先輩の謎は、じきに解けた。
新学期になって、俺は番組用素材レコード(まだCDはない)を買いに、俺たちの街一番の繁華街にあるレコード屋に出かけた。歩道を歩いていると、
「おーい!ミナミ!」
と元気な声が聞こえた。杉野先輩だ!と振り返ったが、姿が見えない。あれ?と思ってキョロキョロしていると、いきなりパシッと頭をはたかれた。
目の前の、女優真っ青、お尻みたいな胸を大胆に開けた襟元から見せつける、死ぬ程奇麗なお姉さんに。
久しぶりに見る杉野先輩はまた進化してた。ダイエットしたのか、全体に以前よりすっきりし、目は…。あれ?二重???
「あーコンタクトにしたんだよ。目?整形だよ」
当時コンタクトレンズは高卒初任給位したし、整形だって普通の人がやるもんじゃない。やっぱり芸能界か…?。
「あ?言ってなかったっけ?うち眼科やってんの、叔父さん美容整形科医だし」
親戚リフォームですか…。それにしてもとんでもなく化けるなあ。元々美人だったけど、化粧も上手だ。
「先輩今どこに住んでんですか?」
「どこってお前、家にいるよー、家事手伝いさ」
へ?なんで?
その時、俺たちの横に真っ赤な小型スポーツカーが止まった。珍しいな、トヨタS800じゃないか。大衆車パブリカベースの800cc2気筒エンジンながら、580kgしかない軽量ボディと空力デザインで、レースでも大活躍した車だ(俺たちの世代男子は基本車好き。浮谷東次郎とか言って知らない奴はオトンか、じっちゃんに聞け。たっぷり語ってくれるであろう。)。もともと少なかった生産はとっくに終わっているので、現物見たのは久しぶり。こんなマニアックな車に乗ってるのは、どんな奴だ?
「りりさん。大丈夫かい?」
レイバンのシューティンググラスを取ったドライバーの顔は、み、宮田先輩デスカァ?
「はい、経過順調ですって。うふ」
その時の俺の顔は、漫画的表現で言えば、白抜きの丸い目だったろう。なんか貴女、高校時代の話し方とじぇんじぇん違がかろ?と思う優しい口調で、杉野先輩は速度制限違反50kmオーバーでも白バイ警官が”気をつけて下さいよ”だけで許してしまいそうな笑みを浮かべ、
「あなた、ミナミくんよ」
”あなた”だー?
「あ!なんだ。知らない男と話してるから、嫉妬に狂うところだったよ」
と宮田先輩は笑う。杉野先輩は俺だけに聞こえる声で、
「うちは一人っ子だから、何とか医者の婿を捕まえろと、親がうるさかったの。高一から縁談持って来たり。でもあたしは、ハモじゃなきゃ絶対嫌だったから、色仕掛けで医大受けさせたのよ。あたしの肉体を餌に、本当に美味しい魚が釣れたわ」
よく考えると、かなり腹黒い陰謀の内容を、杉野先輩は
「今夜から旅行ですので、燃えるゴミ、今から出させて頂いていいかしら。ごめんなさい」
位の軽さで、さらっと言ってのけた。
「しかも赤ちゃんまで…4ヶ月なのよ」
綺麗になっても、ウエストは変わらんなと思ったが、妊婦だったか…。なんか大人の話過ぎて、ボクにはわかんないや。でも、4ヶ月って…。合格どころか、受験前じゃん。丁度毛護りの頃か…。宮田先輩、高打率どころか打点まであげてたとは、隅におけんのう、この炬燵め。
「マグマ大使じゃなくて、マモル少年の嫁になったか…」
俺は、完全武装超弩級妖艶ファッションで、宮田先輩の家で待ち伏せした豊満美女の情熱と陰謀を想い、文字通り(エロい意味と怖い意味両方で)身震いした。
一言多いのが俺の欠点である。宮田先輩に聞こえない様に、
「先輩の毛のご利益抜群ですね。俺の受験の時も、先輩の毛貰えませんか?」
思い切り妊婦用ローファーで頭をはたかれた。
「調子に乗るんじゃねえ!んなのはヨッコに貰え!」
だからヨッコはO野(仮名)と…。しくしくしく。しかも頼めば恵んでくれそうな所が、余計哀しい…。
急にトヨタS800のパタパタというスポーツ車らしくないエンジン音がして、通称ヨタハチはゆっくり発進しようとした。
「あ、マモルさん、嘘よ嘘。りり子は、もう昔のりり子じゃ無いの。待って~」
医者一族の血脈を守る為の、姑息な小芝居に見えない事もないが、杉野先輩はよよと崩れ落ちた。マモルさんも、もちろん愛するりりさんと、愛の結晶(なんか化学実験的でいっそ嫌らしい)を置き去りにするはずは無く、ドアはすぐ開いた。
「ダーリン!ごめんなさい!寂しかった!愛してるわ!」
杉野先輩は助手席に飛び込み、俺が見てるのも構わず、当時の日本が提供出来る、おそらく最強の美男美女カップルは、フランス映画の様な長いキスを始めた。
お幸せに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます