5.夜明けをまとって(2)
お芝居にいくならそれなりの格好をしていきなさいとアウルにいわれ、クロウとリリィは連れ立って青蜥蜴館を訪れた。青鷺館とおなじ娼館であり、見世物小屋でもある。そのため歌や踊りに使うさまざまな衣装を揃えていた。かつてスネイクが在籍していた館でもある。
クロウが姿を見せると大柄な体躯の旦那の手で素早く着替えさせられてしまった。そのあいだクロウにはボタンひとつ留める隙もない。ごらんなさいと旦那に促されて鏡の前に立つと、そこには見覚えのない少年がいた。
銀の糸を織り込んだゆったりとしたシルエットの白いブラウス、ふくらはぎが隠れる半端丈の黒いズボン、その丈に見合う編み上げの黒革ブーツ。シャツの裾は無造作にズボンから出して着崩して、赤いスカーフを巻いた黒いハットが合うよう髪も整えてもらった。
シャツに触れると花びらのようにしっとりとしていた。普段着ているコットンのシャツやズボンとは違った着心地のよさがある。
「思ったとおり、よく似合う」
クロウのうしろに立って旦那は満足げに微笑んだ。そうしてすこし寂しげに目を細める。
「ロビンが恋しくなるわね」
「こういうの着てたんだ」
「そうね、動きやすいからって」
母のことを覚えていないクロウに、まわりはさまざまなロビンを教えてくれる。ほとんどが性格や気性に関することばかりで、服装について聞くのはこれがはじめてだった。話者の主観が入らないのでよりはっきりとロビンという人が感じられた。おさないころならあれこれと質問攻めにしたところだが、いまさら知りたいと思うこともない。知ったところでクロウの心のなにが埋まるわけでもなかった。
フックにかかるベルトやネクタイの束から、細いリボンタイを手に取る。
「いいと思うわよ」
旦那はにっこり笑ってもうロビンのことには触れなかった。
リボンの結び方に苦戦していると鏡のなかで奥のドアがひらいた。振り返るとリリィが顔をのぞかせていた。
「あら、そっちも準備できたかしら」
旦那の呼びかけにリリィはふるふると首を振る。着替えを手伝っていたお針子の女が嘘おっしゃいと笑いながら一喝してリリィを追い出した。つんのめるようにして出てきたリリィは顔を真っ赤にしていた。女はリリィの背後からスカートを広げてみせて得意げな目をした。
「どうだい、あたしの見立ては」
何色といえばいいのかクロウはとっさに思い浮かばなかった。インクが滲んだ黒にも、深い井戸の濃い紫にも映る。大きくひらいた胸もとでは薔薇のつぼみのコサージュが息をひそめ、生地をたっぷり使ったスカートはふんわりと膨らんでほんのすこしの動きにも大きく揺らいだ。夜明けのドレスだとクロウは思った。
リリィは恥ずかしげに目を伏せながらクロウに歩み寄り、右手の人差し指をそっと握った。
「変じゃない?」
「そんなことないよ」
きれいだと思っているのに、そのたったひとことが伝えられない。声に出してしまえば自分の気持ちが抑えられなくなりそうだった。約束もリリィの想いも無視をしてこの手で彼女を抱きしめてしまいたくなる。
「きっと喜んでくれると思うよ」
それがいまのクロウの精一杯だった。
「そうかな」
「そうだよ」
「ねえ、それならお化粧はクロウがして」
「え、でも……」
旦那に目で許可を仰ぐと、快く鏡台を使わせてくれた。見たことのない化粧道具を前にして戸惑っているとお針子の女がいくつかを選んでくれる。リリィが椅子に座って目を閉じたので、クロウは筆を手に取った。
部屋の外からは賑やかな音楽と笑い声、舞台を踏み鳴らす振動が響いた。思わず踊りだしたくなる陽気なリズムにつられ、リリィの表情に普段のやわらかさが戻る。ドレスに負けないよういつもより濃い陰翳をまぶたに描いて、口もとはコサージュの薔薇にあわせてすこし沈んだ真紅にした。
「もういいよ」
リリィは目をひらいて鏡をのぞく。はっと息をのんだようだった。
「すてき。これなら彼につれなくできそう」
強い化粧がリリィの頼りなさげな表情をいっそう引き立てた。張りつめすぎた虚勢は隙になる。隙は無防備なままはかなげな色香を放った。
スネイクの好みは知らないけれど自分ならきっと、と思う先の言葉はクロウの胸のうちでさえ決してかたちにはならない。
「そうだね」
クロウはそれだけを言って先に部屋を出た。
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