第三話 デリランテ

「なんだって?」佐藤は身を乗り出してきた。「もちろん、見ているぞ。もしかして、お前も?」

「ええ。私も、見ているのよ」

「そうなのか!」佐藤の顔が、ぱっ、と輝いた。「いやあ、嬉しいなあ、同じ作品を見ている人間に出会えるとは。俺の周りには、アニメが趣味の人間がいなくてさあ」

 それから檸檬と彼は、スカーレット・チルドレンについて、語らった。各話の感想を述べたり、伏線と思しき描写の考察を披露したりした。

「──だから、最新話で出てきた三匹の蠍は、元々は一匹だったと思うんだよ、俺は。あっ、そうだ、最新話と言えば……大丈夫だろうか、唐子は」

「大丈夫だろうか、って?」

「ツインテールだよ。ほら、敵の魔術師が放った炎魔法で、片方の髪に火が燃え移っちまったじゃないか。そこで話が終わってしまったから、その後どうなったかはわからんが……あれじゃ、消火したとしても、髪が短くなってしまうんじゃないか? もしかしたら、ツインテールじゃなくてサイドテールになっちまうかも──」

「そう言えば、そんな引きだったわね。でも、まあ、大丈夫でしょう、仮に片方が焼けてしまったとしても」

「大丈夫でしょう、って」佐藤は心外そうな表情になった。「大丈夫じゃないだろう」

「いえ、それが大丈夫なのよ。だって、あのツインテール、ウイッグだもの。新しいのを着ければ、済む話よ」

 佐藤は、目と口と鼻の穴を全開にした。「……本当かよ、それ?」

「本当よ。まあ、今のところ、原作でしか描写されていないから、アニメから入ったなら知らなくても仕方ないと思うけれど。なんなら、調べたら?」

 佐藤はスマートホンを取り出し、慌ただしく弄り始めた。数十秒後、肩を、わなわな、と震わせ始めた。

「クソがっ!」突然、叫び、立ち上がった。「偽物のツインテールだと?! 騙しやがって、クソがっ!」

 そう喚くと、スマートホンから唐子のシールを剥がし、近くの壁に貼りつけた。そしてそれに向かって、サブマシンガンを、ばばばばば、と乱射した。

 やがて、弾丸が出なくなった。どう考えても、底を尽いたのだが、佐藤は、その事実を認められないかのように、ガキッ、ガキッ、と、トリガーを引いていた。

 彼は、構えていたサブマシンガンを下ろすと、ぺっ、と唾を穴だらけのシールに吐きかけた。ベストから新しいマガジンを取り出し、入れ替える。その後、どすん、と不機嫌そうに、席に腰掛けた。「クソが……ふざけやがって……」と、ぶつぶつ呟いている。

(大変な事実が、発覚してしまったわ)

 佐藤は、ウイッグによるツインテールは、大嫌いらしい。

(絶対に、知られてはいけないわ──私のツインテールも、ウイッグによるものだ、ってことは)檸檬は、ごくり、と唾を呑み込んだ。

 しかし、同時に、有益な事実も発覚した。

(サブマシンガンの銃声は、当然、運転席にも届いているはずだわ……にもかかわらず、ドライバーが、何があったのかと様子を見に来る気配はないわね)

 もしかしたら、佐藤が激昂したり、サブマシンガンを乱射したりするのは、日常茶飯事で、慣れっこになっているのかもしれない。これなら、彼を焼殺したところで、気づかれないのではないか。

 佐藤は、じっ、と檸檬に目を向けていた。睨んでいる、というよりは、何かを注視している、というような印象を受ける。よく見ると、ツインテールを凝視しているような気もする。

(まさか──疑われているのかしら? 「この女のツインテールも、偽物かもしれない」と……)

「なあ、空上」

 佐藤はそう言って、立ち上がった。その拍子に、アサルトスーツのポケットから、ライターが座席の上に落ちたのが見えた。

 檸檬に、近づいてくる。彼女は、「は、はい?」と返事をし、体を少し仰け反らせた。

「寒くないか?」

「えっ?」

「いや、このトラック、クーラーがガンガンかかっているが、お前さんは寒くないか?」

「う……うん」にこっ、と愛想笑いをした。「ちょっと、寒いけれど……でも、大丈夫よ」

「そうか」そう返事をしてからも、佐藤は檸檬を見続けてくる。「やっぱり、綺麗だよなあ、お前さんのツインテールは。唐子のウイッグなんかとは大違いだ」あろうことか、彼女のウイッグを弄り始めた。

「ちょっ、ちょっとっ」檸檬は、声が震えそうになるのを、必死で堪えた。「触らないでよっ」

 ウイッグは、軽くテープで固定してあるだけだ。少しでも強く引っ張られると、簡単に外れてしまう。

「いいじゃねえか、触るくら──」

 言葉を遮り、スカーレット・チルドレンのオープニングソングが流れ始めた。佐藤の、スマートホンが音源のようだ。

 彼は、檸檬のウイッグを握ったまま、携帯電話を右耳に当てた。「もしもし。おう、誘拐しているぜ、ハイスクールのスパイを一人」

 そして、なんということか、そのまま彼女から離れ始めた。必死に、上体を佐藤のほうに傾け、引っ張られまいとする。

「今のところ、反抗の意思は見られねえ。大人しいもんだ。ああ。そうだな、尋問、いや拷問の用意を。ああ──」

 佐藤は、立ち止まる気配も見せず、どんどん離れていった。ウイッグのテープが、ぺりぺりぺり、と音を立てた。

(こ、ここまでかしら──)檸檬は目を瞑った。

 直後、きゃんっ、という鳴き声が、彼女の鼓膜を劈いた。これには、佐藤も驚いたようだった。会話を中断して立ち止まり、後ろを振り返る。

 檸檬が座っているのと同じ側にある席の下から、ペットのメウが出てきた。メウは、そこで蹲ったまま、じっ、と佐藤を見つめていた。

「──あ、いや、大したことじゃねえ。ああ。ああ。じゃあまた、後で電話してくれ。それじゃ」

 佐藤は通話を終えると、檸檬のところに戻ってきた。「なんだ、あの犬は?」ウイッグから手を離し、対面に腰掛ける。

「ハイスクールで飼っているペットよ。メウ、っていうんだけれど」

「なんで、そのメウが、こんなところにいるんだ?」

「知らないわよ、そんなの。戦闘のどさくさに紛れて、乗り込んだんじゃない?」

「そうか。気づかなかったな」佐藤はメウを、じろじろ、と眺めた。「まあいいか、放っておいても。大した脅威ではなさそうだし」

「そうしてあげてちょうだい」

 そう言うと、檸檬は、メウに向かって、ウインクした。メウは相変わらず、佐藤を見つめていた。

「そうだ、空上」彼は檸檬を、じっ、と凝視した。「お前は、スカチルのどの話が好きなんだ?」

「そうねー……やっぱり、第五シーズンの十六話目かしら」

「ああ、あの、魔王軍の幹部の城を襲撃する話か。あれは俺も好きだぞ。特に、玄関扉をぶち破るシーンが──」

 佐藤は、一方的に喋り始めた。檸檬は、彼の話に合わせ、適当に相槌を打っていた。

(──あっ! あああああっ! しまったわ!)彼女は心の中で叫んだ。

 その、十六話では、魔王軍の幹部が、「ローア・オブ・サラマンダー」という炎魔法を使うのだ。

(そして、靴に隠している火炎放射器を作動させるキーワードも、「サラマンダー」……)

 言うまでもないが、この状態で作動したら、足が大変なことになる。仮に、靴を脱いで火炎放射器を外に出したとしても、確実に佐藤に見つかるだろう。

(なんとしてでも、炎魔法の名前を言わせないようにしないと……!)

「俺が思うに」佐藤は饒舌になっていた。「一番の見どころは、幹部の使う炎魔法、ローア──」

「そっ、その前の十五話目でさ、王宮に忍び込んだ暗殺者を捕まえるエピソードあるじゃん? 私はあれ、冗長だったかなーって思っているんだけど」

「そうなのか? 俺は別にそうは思わないけどな。それでだ、炎魔法ローア・オブ──」

「わーっわーっ、ねえどう思う? 昨今の政治家の天下り問題についてどう思う?」

「別に。で、ローア・オブ・サラマン──」

「わーっわーっわーっわーっわーっ、わ、わ、私のー存在はあなたにとってー幽霊みたいかもしれないけどー」

 檸檬は、スカーレット・チルドレンのオープニングソングの一番を、その後一分間に亘り熱唱した。佐藤は最初、見るからに呆気に取られていたが、徐々に、曲に合わせて首を軽く振るようになった。彼女が歌い終えると、大きな音を立てて拍手した。

「上手いな。実は俺もよく、一人でカラオケに行った時とかに歌っているんだよ。そうだ、せっかくだし、聴いてくれ」

 佐藤はそう言うと、オープニングソングを一番から五番まで、七分かけてすべて熱唱した。とても音痴で、歌声も耳障りだった。彼女は歯を食い縛り、目を力強く開閉させ、それに耐えた。

 その後も佐藤は、アニメについて喋り続けた。例の、炎魔法の名前が出そうになるたびに、檸檬は別の回のエピソードを持ち出したり、登場人物の物真似を披露したりして、話を逸らした。

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