第二話 トロツィヒ

 目が覚めると、直方体の部屋にいた。しばらくして、振動や音などから、車の中ということが分かる。大きさからして、教室に突っ込んできた、あのトラックと同一だろう。

 運転席に面する壁と、それの反対側の壁のそれぞれに、カーテンつき小窓のある扉があった。また、進行方向に対し左右の壁にも、大窓が取り付けられていた。そこからは、水田や山といった、田舎の風景が見える。堂々と外を走れているということは、トラックの先端についていたドリルは、今は外しているのかもしれない。

 左右の壁に沿うようにして突き出た板を、等間隔に並ぶ柱で下から支えているような、簡素な座席が設置されていた。檸檬はそれの、進行方向に対して左側にある席の真ん中に座っていた。また、大量のハンガーが、両方の壁、上のほうに取り付けられた長い棒に、吊り下げられていた。彼女の目前の壁にある、それらのうち三つに、ベストと目出し帽、ヘルメットが、雑にかけられている。

(やっぱり……私の首に突き刺さったあれは、麻酔弾だったのね)檸檬はそう心の中で呟いた。(注射器と矢を組み合わせたような形状だったから、もしかしたら、って思っていたけれど)

 足首と、背中に回された手首には手錠がかけられ、腰はベルトで固定されていた。肩から先と膝から先を多少動かし、上半身をわずかに捩ることしかできない。試しに、がちゃがちゃがちゃ、と全身を暴れさせてみた。しかし、拘束具はびくともしなかった。

 しばらくして諦め、体の動きを止める。すると、かちゃり、と音がして、運転席側の扉が開いた。

「目が、覚めたんだな」

 スキンヘッドの、ダンディな壮年男性だった。アサルトスーツを着ており、右手には小型のサブマシンガンを握っている。彼は、檸檬の目の前に座った。

「今、お前さんが一番知りたいであろうことを、教えてやろうか?」

「……そうね」檸檬は頷いた。「お願いするわ」いったい今、自分がどういう状況・立場に置かれているのか、把握したい。

「佐藤、だ」

「はい?」

「俺の名前だよ。佐藤っていうんだ。よろしく」

 檸檬はため息を吐いた。「どうでもいいわよ。それよりも、私は何の目的で誘拐されているのか、教えてちょうだい」

 佐藤は、くくく、と笑った。「そう、焦るなよ。せっかく、お前さんの緊張を和らげようと思ったのに。──目的は、尋問だ。いや、拷問かもしれんがね。うちの上司が、ハイスクールのスパイに聞きたいことがあるそうだ。それで今は、SCRSのアジトに向かっている」

 檸檬は辺りをもう一度見回した。「私一人に、トラックをまるまる一台充ててくれるなんて、贅沢ね」

「ちょうど、空いたからな、まるまる一台」佐藤は檸檬を睨みつけた。「お前さんが、グレネードで班を一つ壊滅させたせいで」

「あらあら、悪かったわね」

「おい」佐藤は檸檬にサブマシンガンの銃口を向けた。「あまり、調子に乗るなよ? 上からは、『攫うのは、余裕があれば、でいい』と言われているんだ。別に、ここでお前さんを射殺してもいいんだぜ。『反抗されたので、やむを得ず』とでも報告すればいい」

「はいはい。そんなことより、もう一つ、訊きたいことがあるんだけれど」

「……なんだ」

「どうして私を、尋問──拷問だったかしら? それの対象に、選んだの?」彼女は首を傾げた。「私よりも、もっと重要な情報を知っていそうな人はいたと思うけれど」

「なんでお前さんを選んだか、だと? 決まっている。それはな」佐藤は檸檬を見据えた。「俺が、ツインテール萌えだからだ」

 彼女はしばらくの間、口を半開きにした。やがて、我に返り、「どういう意味よ、それ?」と訊いた。

「そのままの意味だよ。俺がツインテール萌えだから、ツインテールのお前さんを誘拐したんだ」よく見ると、佐藤の視線は檸檬の髪に向いていた。「上からは、『誰でもいいから攫ってこい』と言われていたからな。誰でもいいなら、俺の個人的な趣味で選んでもいい、ってわけだ」

 趣味というより、性癖ではないのか、と彼女は思った。どうやら、見た目に反し、わりと軽薄な性格のようだ。

「あっ、でも、調子に乗んなよ」佐藤は檸檬を睨みつけた。「お前さんがツインテールだからって、甘やかしたりしねえからな」

「わかってるわよ」

「拷問も、えげつないものをさせてもらう。アジトに着いたら、すぐに、だ。このトラックが、お前さんの最後の平穏、ってところかな。せいぜい、たっぷり味わっておくことだ」

「はいはい」

(最後の平穏ね……)檸檬は、顔がにやけそうになるのを、必死に堪えた。(まだ私には、この窮地をくぐりぬけることのできる、「起死回生の手」が残されているわ。最後になるかどうかは、わからないわよ)

 その、「起死回生の手」は、二つある。

(一つ目は──火炎放射器)

 本部の、兵器開発室の倉庫で手に入れたものだ。現在は、檸檬の右の靴で、足の側面との間に挟まっている。

(廊下で、弾丸が首に命中した時、それの形状から、「麻酔弾じゃないか」と考えたわ。もしそうなら、殺されるのではなく、生かされたままどこかに連れ去られる可能性が、非常に高い)

 そこで、目覚めた時、たとえ拘束されていても、いずれは攻撃できるよう、火炎放射器を靴の中に隠したのだ。手持ちの武器の中で、上手く隠せそうなものはそれしかなかった。

(麻酔弾が刺さった後、私はすぐさま、兵器開発室に戻って、放射器を靴に仕込んだ後、倒れ込んだわ。そのおかげで、仕込んだところは、SCRSには見られなかったみたいね。案の定、体に着けていた武器は没収されたけれど、靴の中までは調べなかったらしいわ)

 音声操作機能がついているから、手が拘束されている状態でも、作動させられる。機会を見つけ次第、放射器を靴の外に出して使用し、佐藤を焼殺してやるつもりだ。

(二つ目は──発信機)

 檸檬の体に埋め込まれているものだ。これにより、ハイスクールの本部では、彼女の居所を把握しているはずだ。

(当然、東京支部が襲撃を受けた、ということは知っているでしょう。もしかしたら、私が誘拐されている、ということも、聴いているかもしれないわ)

 スパイを生きたまま攫う、その目的が尋問の類いであろうことは、本部も察せるはずだ。いくら訓練されているとはいえ、実際に拷問を受けて、機密を喋らずにいられるかどうかは、分からない。そこで、情報流出を確実に防ぐため、檸檬を助けにくるはずだ。

(つまり、火炎放射器でやつを焼殺するか、トラックがアジトに到着するまでに助けが来れば──私は生き残れる、ってわけ)

 問題は、佐藤を殺した場合、悲鳴や音、振動などで、そのことが運転手にばれないか、ということだ。扉の小窓のカーテンが閉まっているから、直接目撃される心配はないのだが。

(まあ、こればかりは、気づかれないことを祈るしかないでしょう)

 佐藤は、檸檬の目の前に座り、彼女を睨みつけていた。視線に気迫が籠っている。

(なんとかして、やつを油断させられないかしら?)

 檸檬は、その手がかりを探して、彼の体を隅々まで眺めた。そして、アサルトスーツのポケットから、スマートホンがはみ出しているのを見つけた。そこには、深夜アニメ「スカーレット・チルドレン」のサブヒロイン、唐子のシールが貼ってあった。

(あら、佐藤は、スカチルを見ているのかしら?)

 だとしたら、その話をすれば、食いついてくるのではないか。さらには、檸檬が、同じアニメを見ていると知ったら、仲間意識を持って、油断してくれるかもしれない。

 彼女は意を決し、佐藤に話しかけた。「ねえ」

「なんだ?」

「あんた、もしかして──スカチルを見ているの?」

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