9

 しばらく固く目を瞑っていたが、何時まで経っても衝撃が来ない、それどころか先程よりも肩が軽くなっている気がする。不思議に思い、戸惑いながらもレイラは片目を開けた。

 暗い部屋を凝らしてみる。目の前にカルザスの姿が見えない。慌てて両目で室内を見回す。

 後ろに立っていた男二人も近くにいなくなっている。探すと、カルザスは彼が座っていた椅子の更に向こうに倒れ込んでいる。手にしていた仕込み武器はさらにカルザスとわずかに違う方向に転がっている。彼女を押さえ込んでいた男二人は出入り口の方で床に倒れ伏していた。壁際に待機している使用人と思われる人々は口を抑えて恐怖の目で彼女の方を見ていた。

「な、何……」

 何が起きたの――と言いたくて、最後まで言葉にならなかった。

 使用人達がレイラを恐怖の対象として見ているのだ。ならば、彼女がこの状況を作り出したに他ならない。人間の感情は時にひどく素直なのだから。

「なん……え?」

 混乱する頭で必死に考える。とにかく、今、することは――。

 レイラは出入り口に駆け寄って扉を開いた。その向こうには人影があった。

「てい……」

 最後まで名を呼ぶ前に、手首を掴まれ、一目散に廊下を先頭車両の方に走りだす。

「テイル……痛い……」

 弱々しく手首の痛みを訴えると、テイルは「ごめん」とは謝ったが手は離さなかった。

 だいぶ前の車両まで来ると、ようやくテイルは立ち止まった。

「大丈夫だった、レイラさん」

「う、うん……」

「嘘だ。大丈夫って顔してないじゃないか」

 レイラは嘘をつけずに視線を地面に落とした。

「でも、ごめんなさい。私も何が起きたのか、よくわからなくて」

「とりあえず、あいつらにヒドイことされたんだな。ごめん、オレが離れたりしたから」

「ううん。付いていった私も悪いから、お互い様よ」

「わかった。それで、これからどうする? このまま同じ汽車にいるのは、あんまりいいとは思わないんだけど」

「――ごめんなさい。ちょっと頭が混乱していて、考えられない」

 レイラの弱々しい姿に、テイルは「そっか」とだけ呟いてそれ以上は何も言わなかった。代わりに外を見る。先程と変わらずすぐ横を川が流れている。

「ねえレイラさん、今どの辺かわかる?」

 レイラは目を瞬かせてテイルの顔を見た。彼の真面目な横顔がそこにあった。

「えっと、たぶん、シイラの国の郊外、国境辺りじゃないかしら」

「そこからベルマークシティまでどの位?」

「汽車で、後二駅だから、道程半分はもう過ぎているはず」

「じゃあ、歩いてってもそこまで遠くないかな」

「は?」

 テイルには何か考えがあるらしいが、会話の端々から彼女には不穏な気配いしか感じない。何か声をかけようとした時、後部車両の扉から「いたぞ!」と声が轟いた。

 二人が扉の方を振り向く。相変わらず黒いスーツに身を包んだ男たちが複数どかどかと足音を鳴らしながら車両内に入ってきた。あまりよろしい雰囲気ではない。ここは個室ではなく、ボックス席が通路両脇に並ぶ車両だ。座っていた乗客達が悲鳴を上げて立ち上がり、車両から逃げ出していく。

「レイラさん、オレたちも」

 レイラの手を取ろうとした彼の手を、しかしレイラはやんわりと止めた。

「ねえ、テイル。あなたは、ケンカは得意な方?」

「え? いや、出来ないわけじゃないけど、真っ向勝負は強くないよ」

「そう、わかった」

「え、あの、レイラさん?」

 テイルが戸惑いがちに引きとめようとするも、レイラはそれをするりと抜けて前に出た。

「どうせ逃げてもすぐに追いつかれるなら、ここで一度気絶させてしまった方がいいわ。それに、体を動かしてスッキリしたい」

 最後が本音だろうとテイルの頬が引きつる。

「私を捕まえに来たのではないの? 私はあなた達に無抵抗で投降する気は一切ありません」

 テイルは額を抑えた。堂々と宣戦布告までした。

「そうだな。後はその後ろの坊主の口封じか」

「はっ!?」

 いきなり自身もターゲットにされて、素っ頓狂な声を上げる。

「レイラさん、いきなりこんな」

 訴えようと近づこうとした所で、レイラに突き飛ばされる。

「へ?」

 態勢を崩した顔の真上を何かが通り過ぎた。黒い細長い影で腕だと理解する。本気で冷や汗が出てきた。冗談じゃない。

 背中から地面に衝突して少し呻くが、痛みを堪えてすぐに起き上がる。見ると、レイラが既に一人を飛ばして数歩後ろにステップを踏んで距離を取っていた。

「まじっすか……」

 自分で呟いておいて呆然とする。それを見たレイラから叱責が飛ぶ。

「ぼさっとしない!」

「は、はい!」

 返事をしたのも束の間、レイラの意識が一瞬テイルに逸れた隙に、一人が座席を乗り越えてテイルの方に向かってきた。

「いっ」と呻き声を上げてテイルは後ろに数歩下がる。男が付き出した右手を避ける。その手にはナイフが握られていて更に背筋がゾッとする。

 その時、急にテイルをめまいが襲った。視界がノイズ混じりに黒く染まっていく。頭がグラグラとするのを堪えながら、テイルは男の動きを遮がかかる視界で必死に追い縋る。無意識に右手を前に突き出していた。彼の額に光が生まれる。

 パンッ――と乾いた音が響いて何かに弾かれたナイフが男の手を離れた。同時に、テイルの視界も元に戻っていく。テイルは意識を保つように声を上げながら男の顔面に拳をねじ込んだ。狙いどころが良かったのか、男は後ろにたたらを踏んでそのまま倒れこむ。

 テイルも座席に背中を預けて、まだ少しだけグラグラする頭を抑えて上がる息を落ち着かせようとした。

「な、何だ、今の」

 レイラの方からは相変わらず鈍い音が響いている。完全に元に戻った視界でその光景を捉えると、正直彼女が怖くは感じる。大の男相手にして全く寄せ付けてないどころか実力が上回っているのはどうなのだろうか……。今も綺麗に蹴りが相手に決まった。称賛したいほどの綺麗な蹴りだ。

 レイラがこちらに気づいて目を見開いた。

「テイル、横!」

 テイルは言われて視線を前に戻す。目の前にさっき倒れたはずの男が立っていた。テイルは振り下ろされるナイフを凝視しながら無動作で力を発動させる。ナイフは彼に届く前に何かに阻まれて空で止まった。ギリギリと男は押し通そうとするが、敵わず逆に勢い良く跳ね返される。

「ふーん」

 額から六芒星が消え、テイルは何かに納得したように自分の手を見つめた。

「なんだ、お前」

 目の前の男から訝しげに問われる。テイルは肩をすくめて「さあ?」と返す。

「オレも知らないよ、そんなの」

 テイルの答えに、男は「くだらない」とでも言うように鼻を鳴らした。

「気味の悪いやつだ」

 男は呟くと唐突に右手を自身の顔の左側にかざした。丁度そこにレイラの肘が入ってくる。

「うそっ」

 レイラが小さく悲鳴を上げる。そのまま彼女は前の扉の方に放り投げられた。

「レイラさんっ!」

 テイルはそれを見て慌てて彼女を追う。空中でなんとか姿勢を取ろうと身体を捻ったレイラは、そのテイルの背にナイフを突き立てようとしている男の姿を見た。自分の事も忘れてレイラは再び叫ぶ。

「テイルっ!」

 彼女の声でテイルが後ろを振り向く。そこでようやく気づいたようで、驚いた拍子なのか後ろに態勢を崩した。


 ――ダメ、間に合わない!


 レイラの額に赤い光が浮かぶ。その形は五芒星。瞬間、乾いた破裂音と共に、彼女を中心に衝撃波が巻き起こった。男もテイルすらも力まかせに吹き飛ばされる。空気に静寂が戻った頃、どさ、と小さくレイラが床に落ちる音がした。

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