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 その部屋は暗かった。取り付けられている窓は全てカーテンが閉められており、光が遮られている。弱まった光が室内をわずかに照らし、ランプの火が困らない程度に灯っている。

 椅子にもたれかかり、天井から吊るしたランプの明かりで本を読んでいた男は、響いたノックオンに顔を上げた。男は面倒そうに口を開く。

「どうした」

「カルザス様。例の少女をお連れしました」

 途端、興味無さそうな目をしていた男の顔が豹変する。口角が吊り上がり、瞳がギラギラとし始める。

「入れ」

 合図で扉が開く。連れてきた男が紅い髪の少女を中に押し込んだ。少女は小さく悲鳴を上げながら中に入りたたらを踏む。

 部屋の暗さに気づいたのか、気味悪そうに周囲を見回している。

「お初にお目にかかります、お嬢さん」

 男は椅子から立ち上がり、ステッキを片手にレイラの前まで移動する。レイラも男に気づき、警戒する目で睨めつけている。

「お綺麗な顔で怖い目をなさる。彼は紳士的にあなたをここまで連れて来ましたか?」

「ええ、とても紳士的なエスコートをして頂きましたわ」

「それは良かった。私の部下の対応の不手際で貴方を不快にさせてしまったかと思いました」

 男の動作はいちいち大仰で、レイラは更に不快感を示して警戒を強める。

「私はカルザス=ジルム=ウェンズと申します。以後お見知りおきを。貴方のお名前もお教え頂けますか? お嬢さん」

「ご丁寧にどうも。私はレイラ=ウェイズ=ミズィアムです。ウェンズ家と言うと一時代前に戦争でその名を知らしめたというあの、名門ウェンズ家の?」

 カルザスは歓喜の表情を浮かべる。暗さのせいなのか、レイラには狂気をすら混じっているように見えた。

「おお、我が家の事をご存知でしたか。その通り、私は軍人名家、ウェンズ家の直系に当たるものです。これはこれは、レイラ嬢にお見知り置き頂けているとはなんと光栄」

「それで、ご用件はなんでしょうか? 我が家はウェンズ家とは面識も繋がりもなかったかと存じます。それに、軍門とは縁のない家系ですよ?」

「汽車旅もまだ道中長いのでしょう? その様に急がなくとも。まあ、かけて下さい」

 用意された椅子に促され、渋々レイラはそこに腰を下ろした。カルザスも向かいに移動された椅子に腰を下ろした。それを確認して、レイラは目で先を促した。

「いえ、大した用ではないのですが、貴方とお話をしてみたくて」

「そうですか。それにしては随分なお出迎えだったと思いますが。昨日さくじつの誘拐未遂も貴方の仕業ですか? ミスター・カルザス」

「なんのことでしょう?」とカルザスは鼻で笑って肩をすくめた。

「お話する気がないのか、本当にお知りでないのかはわかりませんが、お誘いはこの様に急ではなく前もって話を通しておいて欲しいものです」

 レイラは不機嫌そうにそう告げてため息を吐いた。

「これは失礼を致しました。こちらにも少々事情がございましてね。誠に申し訳ない、ミス・レイラ」

 カルザスは椅子に座ったまま一礼する。レイラはそれを冷たい目で受け止めた。

「さて、何を話しましょうか。そうですねぇ、貴方は力を信じますか?」

 レイラの片眉が跳ね上がる。この部屋に来てから不機嫌度指数がみるみる跳ね上がっている。可能であれば早々に話を切り上げてテイルのもとに戻りたい。

「何の話か存じませんが、女性相手にその様なお話は受けないのでは? それとも軍人家の子としての癖でしょうか?」

 少しだけ小馬鹿にしたようにレイラは返す。カルザスも気にした風もなく演技のような所作でこれに応える。

「これは失礼致しました。正しくは――貴方には力がありますか、ですね」

 レイラは先程よりも深いため息を吐く。何の話なのかすらわからないというのに、何をどう答えろというのか。社交辞令の会話にしても、軍門に関係のない家系の人間にいきなりそんな話はまずない。しかも、更に無関係な位置に近い女性に対してだ。

「私の言葉の意が伝わっていないようで残念です。その様な話をされても私には専門外ですので何を聞かれてもお答えすることができません。この後もその系統の話ばかりなのであれば、私はもうお暇させて頂きたく思います」

 声に怒りを込めて口早にそう告げる。そして立ち上がろうとした所で、後ろから肩を抑えられた。不思議そうに後ろを振り返る。男が二人、両脇に立ち、レイラの肩をしっかり抑えていた。

「連れないことを仰らないで下さい、ミス・レイラ。私は貴方に興味がある。貴方の持つ力にね。ご自覚がないのですか? 私の方が残念ですよ」

「――一体、何の話ですか?」

 雰囲気が変わった。カルザスが立ち上がる。レイラも立ち上がろうと抑えこむ手をどかそうと試みるが、まるで動きそうになかった。

 動かす手は止めずに、レイラはカルザスを睨みつける。

 ランプに照らされたその顔は明らかに狂気に彩られていた。背筋がすぅっと冷えていく。

「これは一体どういうことでしょうか、ミスター・カルザス。肩が痛いので離していただきたいのですが」

「ご自分でどうにかされては? 私に貴方の力を見せて下さいよ」

「――っ」

 何を言っているのかがわからない。力? 何のことだというのだ。さすがに男二人を同時に相手取れる程の力は彼女にはない。ならば下から抜けようかと少し考えるが、態勢を取る前に抑えこまれたらそれこそ抜け出せなくなる。

 必死に考えるレイラの耳に、残念そうな溜息が届いた。

「力の使い方すら知らない、自力で発動すら出来ないといったところですか。仕方ありません、少々危険ですがお手伝いしましょう」

 カルザスは手にしていたステッキをゆっくりと。ランプの明かりで朱く照る物がレイラの瞳に映った。

「――ぁ……」

 急に喉が凍りついたように声が出なくなる。カルザスはそれをゆるく振り上げる。切っ先が頂点に達し、振り下ろされる。

 レイラは反射的に目を固く瞑る。怖い……怖い!

「……っゃぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!」

 不思議と先程まで出なかった声が絞り出た。ほぼ同時に、何かを弾く音と鈍い音が周囲で聞こえた。

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