6

 いつまでも出入り口付近にいるわけにはいかないため、固まったまま動かないテイルを引きずってレイラはとりあえず個室の座席へと移動した。彼を向かいに立たせて軽く肩を下に押してやると、そのまま力が抜けたように彼は向かいの席に腰を下ろした。彼女も向かい合うように腰を下ろす。

 横目で窓の外の景色を見る。どこを見ても山並みしか見えない。カーナシティを囲む壁を抜けてしまえば、その外は山や森といった大自然が広がっている。一昔前にあった戦争の戦火を逃れた自然達だ。旅人のために国道や街道など道は整備されているが、汽車からはその道は見えないようだ。

 レイラは一つ息を吐いて、テイルに声をかける。

「テイル、現実を受け止めなさい」

「乗車賃……払えないのに……」

 両手で顔を押さえてうなだれている。ここまで落ち込まれると本当に持ち合わせがないのだろう。確かに、汽車は金持ちの乗り物というのがまだ世間一般の常識だ。しかし、汽車が登場した当初よりは乗車賃は下がっているし、一般階級の人達にもだいぶ手が届く値になってきているのだが。

 レイラはもう一度ため息をつく。

「私がお父様に掛けあってみるわ。あなたの分も支払ってもらえるよう。だから、そんな落ち込まないで外の景色でも見てみてはどう?」

 テイルはのろのろと顔を上げる。

「関係ないオレの分も払ってもらえるのか?」

「関係なくはないでしょう。あなたは私がお世話になった人よ。それとも、たった一日の付き合いではあなたと私は知り合いにすらなれない、赤の他人のままなのかしら?」

「いや、そういうわけじゃ」

「じゃあ、遠慮しなくていいのよ。人との縁は恩を貸して返すだけでなくなるものじゃないのよ。ただ、私は掛け合うだけで後はお父様次第だってことは忘れないで。まあ、厳しい人ではないし、たぶん出してもらえるとは思うけれどね」

 テイルを安心させるように言葉を選ぶ。実際、乗ってしまった以上もうどうにもならないのだし、いつまでも変えようのない事実に落ち込まれている方が彼女としては迷惑だった。

「少しは元気がでた?」

「あ、ああ。ありがとう」

「どう致しまして。でも、道中一人は正直退屈だったから、話し相手が出来たのは私も嬉しいわ」

 にこりと柔らかく微笑む彼女を見てテイルは慌てて視線を外に逸らした。レイラがきょとんとしているのを余所に、ようやく外の流れる景色が視界に入ってきたのか、テイルは窓側ににじり寄った。

「どこまでも景色が緑だ。街の外ってこうなってたのか」

「本当に街の外に出たことがないのね。そのうち集落や別の街が見えてくるはずよ」

「本当か! うわぁ、楽しみだな」

 相変わらず初めて世界を見た幼子のように目をキラキラとさせている。

「あっ、そうだ」

 何かを思い出したのか、テイルは窓から視線を外してレイラの方を見た。

「レイラさんが通っている学校ってどういうところか聞いてもいい?」

「コバルト学園について? 別にいいけれど」

「やった。結構有名な学校なんだっけ」

「そうね――」

 レイラは自身の通う学校について説明するのに、どこからどの程度説明したらいいのかと少しだけ考えをまとめる。

「コバルト学園は私みたいな良家の子や名家の子が通う、お金持ちの家の子が通う学校ね。だから、家柄と“ベルマークシティ”って聞けば大体はこの学校かと聞かれるわね」

「身分で行ける学校って変わるのか?」

「あなただって、孤児だからって学校行けなかったでしょう?」

「え、いや。オレは単純に学費払えないから行けなかっただけで、学校の事自体はよく知らないし」

 レイラは数回瞬きをする。学校に通う彼女にとっては学力、身分、学費で通える学校が変わるのは常識程度の知識だったのだが、意外と、常識と思っていることは経験則な所があるのかもしれない。

「というか、学費を街や国が負担したりしてくれなかったの? カーナシティなんて観光名所として財政は潤っているでしょう?」

 逆に聞き返すとテイルは視線を下に向けて黙ってしまう。何か痛いところを聞いてしまったのかとレイラは眉根を寄せて考える。

「もしかして、また私、あなたに失礼なことを聞いてしまった? 言いたくないのなら、別に答えはいらないわ」

「ごめん、ありがとう」

 テイルは小さく答えた。

「先程のあなたの質問だけれど、身分に寄って進学する学校は変わるわ。自然と同じ環境の人間が集まるようになっているの。これもお金の問題ね。入学費、学費が出せさえすれば本来は誰だって好きな学校に入れるわ。それから、学力。学校ごとにどの程度の学力の人間が集まるのかが大体決まってる。これはどうしてそうなったのかしらね? 大体入学試験というのがあって、各学校の水準に値する学力があればその学校に入れるわ。私の通うコバルト学園は入学時にそこまで学力は気にしていないようだけど、クラス分けでガッツリ学力別に分けられるわね」

「じゃあ、お金さえあれば入れるのか?」

「そういうわけでもないわね。振る舞い、言葉遣い、知識などの一般教養が重視されているから。世間に出た時に必要な学力を身につけることと、他家とのコミュニティを築くことも学校を出た後はとても大事なの。むしろ繋がりを作ることの方が目的だったりするかもしれないわね。そのために共同の学校生活を平穏に過ごすために社交辞令っていう力が必要なのよ」

「えーっと、つまり?」

 うまく噛み砕けないのか、テイルは難しい顔をしている。表現が固かったとは思わないが、もう少し噛み砕いた言い方にするにはどうすればいいだろうかと思い悩む。

「親同士のコミュニティが子供にもそのまま継がれる訳ではないってことかしら。だから、学校に通っている間に自分のコミュニティを築くの。そうすれば、学校を出た後でも持ちつ持たれつの助け合いができるのよ。お金があっても家一つで世を渡っていけるわけではないから。だから、そういう関係を築くのに必要な教養が身に付いているか学校側は見るのよ。なければ学校に入った所で弾き出されるだけで学校に通う意味がほぼなくなるからね」

 彼は納得したのか、「ふうん」とだけ感想を漏らした。ここでレイラも「あっ」と小さく声を上げ、先程彼が表情を暗くした理由に気づく。思ったままがそのまま口をついて出た。

「さっきの、もしかしてテイル、最初は学校に行っていたの?」

 テイルは虚を付かれたように驚いた顔をする。

「あ、えっとその。掘り返すようで悪いのだけど。あ、合っているかどうかは答えなくていいわ。だから、その、学校で――弾き出されていた……の? それで、学校に行くのを、やめた、とか……」

 自ら切り出しておいて、口にする度にどんどん気まずくなってくる。最後には尻すぼみとなって上目遣いに彼を伺う。一方の彼は苦虫を大量に噛み潰したような、苦しそうなそれでいて気まずそうな顔をしていた。

 大きな溜息を一つ吐くと、テイルは「そうだよ」と彼女の推測を肯定した。

「本当は、学費は負担してくれてたんだ。でも、オレはあの場にすごく居づらくて、孤児院の先生に泣いてお願いしてすぐに学校に行くのをやめたんだ」

「ごめんなさい……」

「別に、謝らなくていよ。レイラさん悪くないじゃないか」

 レイラは答えず、視線を床に落とした。たぶん、昨日の見せてくれた力が原因なのだろう。子供なら尚更自分と違うことを気味悪がって攻撃的になるのかもしれない。

 そこで、ふと彼女は彼の矛盾に気づく。それほど嫌な思い出があるのなら、なぜわざわざ彼女の通う学校のことについて聞いてきたのだろう。

「テイル、もしかしてあなた……」

「ん、何?」

「本当はすごく学校に通うのを楽しみにしていたりしたの? というよりも、今も本当は学校に通いたかったって思っているんじゃなくて?」

「え……」

 毎回さらりと流すテイルが珍しく濁音付きで固まった。

「な、なんでそんな話になった?」

「だって、学校をやめるほど嫌な思いをしておいて、普通学校のことを聞く? いくら好奇心が強いといっても、トラウマの場所の話まで聞きたがるのは少し妙だわ」

 レイラの理由に、テイルは押し黙って視線を泳がせる。しかし、それも束の間、観念したように頷いた。恥ずかしいのか少しだけ頬が赤くなっている。

「――そうだよ。学校っていろんな器具とか揃ってて、孤児院での勉強だけじゃわかんないこともいっぱい勉強できるんだろう? そりゃ、気になるし、知りたいし、行きたいよ。生活するのに精一杯で金なんてないけど、行きたいって思っちゃダメなわけじゃないだろ?」

 ぼそぼそと口の中だけでしゃべるように愚痴をこぼすと、本当に恥ずかしくなってきたのか、彼は「あーもう」と大きな声を上げた。

「今のナシ! 聞かなかったことにしてレイラさん。ほら、えっと他に学校のことは。あ、いやレイラさんの家ってどういう家なの? ベルマークシティってどういうところ?」

 レイラはぽかんとした顔で彼を見つめる。話を変えようとあまりに必死な彼の姿に、ついに彼女はお腹を抱えて笑い始めた。これに今度はテイルが肩を落とす。

「レイラさん……そんな、笑わなくても」

「ご、ごめんなさい」

 目尻の涙を拭いながら、レイラは一度大きく深呼吸をする。まだ少し笑いそうだが、とりあえずは大丈夫だ。

「テイルがあまりに必死な姿がおかしかったんだもの。でも、別にそう思うことはおかしくないと思うし、逆に今でも素直にそんな風に思えることは素晴らしいと思うわ」

「今でもって」

「この歳になると、結構勉強や学校が嫌って言う人多いのよ。毎日ずっと同じような生活じゃ嫌気もさすのかもね」

「勿体ないなー。一人じゃ調べるのにも限度ってのがあったりするのに、そういうの知る土台が学校って所は全部揃ってるんだろ? 贅沢だよ」

 レイラの話す生徒の現実に、テイルは実に不満そうだ。自分の望む環境を否定されてむくれているといったところだろう。

「そうね。与えられなくて気づかないこともあるかもしれないけれど、与えられすぎて逆に気づかないこともあるということよ。その逆で、与えられなくて気づくこと、与えられすぎて気づくことも、当然あると私は思っているけれどね。結局、そういうことに関して気づくかどうかはその人とその人の環境次第だと思うの。現に、こうしてテイルと話をしていて、初めて気づいた事とかもいくつかあるのよ」

 今までの彼との会話を思い出すと、なんだか楽しくなってくる。

「やっぱり、一人でいるよりもずっと楽しいわ。こんな機会きっと滅多にない。良かったらベルマークシティまで一緒に同乗してくれない?」

「え、あ、まあ」

「お金はお父様か学園に払わせるわ」

 さっきは確実に払ってもらえるかわからないと言っていたはずだが、今は何が何でも払わせるになっている上に、選択肢に学園が増えている。それを聞いてテイルは一瞬目が点になる。が、すぐに吹き出して「それじゃあご希望に沿おうかな」と笑いながら返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る