5

 次の朝。ベルマーク行きの始発に乗るため、彼らは街が賑わい始める少し前に、裏戸口からそっと外に出た。

 制服では目立つため、テイルの服を――身長差に大差なかったのが幸いしたのかそれほどぶかぶかしてはいない――着せているが、なるべく人目につかないよう、裏道を使って駅へと走っていく。

「家の周りは特に誰もいなかったみたいだけど、もう諦めたんじゃないか?」

「主犯が捕まるまでそんなのはわからないわ。警戒するに越したことはないわよ」

 先導しながらテイルは聞くが、レイラは辺りを警戒しながらにべもなく否定する。

「それよりも駅への道案内は頼んだわよ。道に迷ったりしないで頂戴ね」

「ガッテンしょーち。って言ってももう着くけど」

 家からジグザクと入り組んだ路地を通ってきたが、今いる道を抜ければ駅前ロータリーに続く大通りに出る。その交差点を左に曲がればステーションはすぐだ。

 大小の自動車や荷馬車が行き交う大通りの隅に、商店が開店準備を進めている。中にはもう開いている店もあるようだ。ぼちぼちと人が増え始めてきている人通りを二人は通り抜けてステーションの入り口へと辿り着いた。

「ほら着いた」

「駅の中は?」

「オレ駅なんて利用したことないけど」

 テイルの返答にレイラは頭が痛くなりそうだ。これは一番大事な所を確認し忘れたかもしれない。

「私もこの駅を利用するのは昨日今日のことだから、内装には詳しくないのだけど――とにかく移動しましょう」

 入り口で立ち止まっていると注目される。レイラは彼を促してとりあえず進むことにする。

「あなたは仕事とかで駅に来ることはないの?」

「うーん、なかったな。近所に届けに行くことはあったけど」

「そう……。それじゃあ本当に知らないのね。確認しなかった私が悪かったわ」

 話しながら歩いていると、壁に設置された大きなパネルが視界を掠めた。駅構内マップだ。レイラはそれの前に移動する。

 現在地に黒く星印がついている。入ってきた入り口と切符売り場、改札を手早く確認する。平面マップと立体空間を交互に見やって方向を確認すると、今度はレイラがテイルを先導して歩き始めた。

 一分もマップの前にいなかったことに、テイルが驚愕の表情を浮かべる。

「今の短時間で地図読めたのか?」

「比較的新しい、わかりやすい地図だったじゃない」

 そういうものだろうかとテイルは思うが、彼が地図を見慣れていないのもあるかも知れない。テイルは大人しく口をつぐんで彼女の後ろについていく。

 土産屋や食べ物屋を通り抜けて二回ほど角を曲がると、切符売り場と改札がある少し手広い空間に出た。人はまばらだ。

 レイラは切符売り場には向かわず、そのまま改札の方へと歩いて行く。改札に入る少し手前でレイラは足を止めて一度振り返った。

「今後駅を利用しないなんてことが全くないわけではないでしょう? 場所くらい覚えておきなさい」

 溜息混じりにそうとだけ告げると、レイラは改札近くの駅員に話しかける。何度か言葉を交わすと、駅員が頷いて彼女を改札の向こうへ進むよう促した。

「ところであなたはどうするの? ここまで着いて来て貰ったけれど」

「え? あ、そっか。オレは別にベルマークに行く必要ないもんな」

「汽車代が払えるのなら別に着いて来ても構わないけれど?」

「いや、せっかくの縁だし、見送りくらいはさせて欲しいな。あ、でも入るのにも料金って取られたりするの?」

 テイルが尋ねると、レイラは再び駅員といくつか言葉を交わす。お互い何かに合意したのか、頷き合うと、レイラは「いいそうよ」とテイルに返した。

「いいって、何が?」

「入場料。そのくらいなら代わりに払うわ。お礼としてね」

 それを聞いたテイルの頬が紅潮する。すぐにレイラの近くに駆け寄った。

「いいの!? ありがとう!」

「ホームまでなのにそこまで喜ばれるとは思っていなかったわ。あまりはしゃがれるのは恥ずかしいから静かにしていてよね」

 呆れ混じりに改札を通り抜けるレイラの後ろにテイルも続く。

「だって、近くで汽車とか見れるんだろう? オレちゃんと見たことなくって。あ、えっとこのままここ通っていいのか?」

 改札を通り抜けてから、テイルは自分の後ろを振り返った。

「今日はいいのよ。私の家が後でちゃんとお金を支払うから。別で乗る機会があったら、その時はちゃんと切符を購入するのよ?」

「了解ですっ」

 元気の良い返事に、レイラは溜息をつく。足を再び前に出し、ホームの方へと歩き始めた。天井から下がる案内板に従い、通路を進んで階段を上る。上り切ると、前後に長く続く広いホームが現れた。左右を見ると地面が途中で途切れており、その向こうに汽車が通れるだけの空間が広がっている。両側ともに空間が空いていることから、汽車はまだホームには着いていないらしい。その向こうはホームの床よりも高い壁があり、更にその壁向こうにはカーナの町並みを見ることができる。左側には特に、街のシンボルである大きな滝を小さくも望むことができた。

「すっげーっ! 駅からこんな景色見れたのかぁ!」

 それを見て目を輝かせているのはテイルである。惹かれる様にホームの端ギリギリまで駆けて行き、遠くの滝を興奮しながら眺めている。

「滝があんなに小さく見える! レイラさんも見てみなよ!」

 彼女とこの景色を共有したいと振り返ると、レイラは他人を演じるように離れた所で掲示板のようなものを眺めていた。振り向きそうもないので彼は渋々レイラの傍に移動する。

「レイラさん?」

「あら、もういいの? 私には構わず見学を楽しんできてよろしいのよ?」

 口調が微妙に違う。テイルの口がへの字になる。

「レイラさん、そんなにオレと他人に見られたい?」

「連れに子供みたいにはしゃがれたら、恥ずかしいもの」

 悪気もなくしれっと彼女は彼を突き放す。しかし、すぐに取り繕うように言葉を続けた。

「まあ実際、汽車が来るのにも、もう少し時間がありますし。迷わない程度に他の所を見てきてもいいのよ?」

「いや、レイラさんの傍で大人しくしてますよ。下手にどこかに行ってお見送りできなくなるのも困るし。オレは乗らないから汽車が出た後に見ることもできるしね」

 レイラの親切にテイルは首を横に振り、肩をすくめた。その動作を見てレイラも口元を軽く緩めた。

 数分後、ホームにアナウンスが入り、汽笛が鳴り響いた。他愛ない会話をして待っていた二人は線路の方に少し近寄って汽車が入ってくる方を安全な範囲で覗きこむ。

「ほら、来た」

 レイラが煙をもうもうと吐きながらホームに入ってくる汽車の先頭車両を指さして少し後ろに下がった。代わりにテイルが指し示された汽車を覗きこむようにして顔を輝かせている。

「すごい、煙が黒い、どうやって動いてるんだ!」

 汽車を凝視して動こうとしない彼の襟首を、さすがにレイラが引っ張る。

「首から上が無くなったり、顔が煤だらけになっても知らないですよ」

「えっ――」

 レイラに注意されて絶句しているテイルの前を汽車が速度を落としながら通り過ぎていく。車輪が軋む音とブレーキ音を響かせながら、汽車はホームに停止した。外側から各車両の出入り口が開けられ、下車する人達が降りてくる。その波が過ぎ去ると、今度はホームで汽車を待っていた人々が出入り口に群がり一人、一人と中に乗り込んでいく。が、見たところそこまで多い人数が乗り込んでいるようには見受けられなかった。

 人が捌けた辺りで、レイラも汽車に乗り込む。そのまま中には進まず、その場で振り返って目線が下になったテイルを見下ろす。

「ミスター・テイル。ありがとうございました。一晩と短い間でしたが、とても助かりました。改めて感謝致します」

「そんな改まらなくていいよ。なんか、背中がムズムズする」

 本当に落ち着かないのか、苦虫を噛み潰したような顔で両腕をさすったりしている。その姿がおかしかったのか、レイラは吹き出した。ひとしきり軽く笑うと改めてレイラはいつも通りの態度をとる。

「ふふ。では、テイル。本当にありがとう。借りた服は後日、洗濯をしてあなたの家に届けさせるわ」

「いや、そのまま捨ててくれても構わないけど」

「いえ、まだこの服は着れるでしょう? そんな簡単に捨ててはダメよ」

「それではお言葉に甘えて……」

 テイルが突然右の方を向いた。それから慌てたようにレイラを中に押し込んで自分もその勢いで中に乗り込む。

「て、テイル?」

「ごめん、今黒服が見えたから、つい」

 彼の言葉にレイラは息を呑む。

「いなくなったらすぐおり――」

「降りる」と言いかけたのをよそに、彼の背後で無情にも汽車の出入り口が外から閉められる。

「あ」と呟く声が二つ重なった。先頭車両の方で甲高く汽笛が鳴り響く。ゴトン、という音とともに世界がわずかに揺れて窓の外の景色がゆっくりと移動し始める。

「え、ちょ……」

 テイルが扉の取っ手に手をかけるも、外からしっかりと施錠されているためいくら押しても引いても全く開く気配がない。その間にも、窓の外の景色が流れる速度は早くなっている。

 ホームを抜け、壁が低くなり、遠くの景色がよく見えるようになる。テイルは呆然とその景色を眺めている。速度を上げた汽車はすぐにトンネルに入り、視界が真っ暗になる。再び光が差し込むようになった時、汽車はカーナシティを完全に抜けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る