4
紙袋の中にはコッペパンが六個入っていた。三つずつに取り分け、キッチンにあったチーズとハムを切り分けて軽く火で焙ってからコッペパンに挟む。レイラが紅茶を用意し、薄暗いランプの下、夕食となった。
「質素な食事ね」
「そうか? でもパンは美味しいぞ。アテルネのパンだからな」
テイルはそう言いつつも既にコッペパンにかぶり付いている。レイラもそれを見て一口パンを齧る。普段、家で食べるパンよりは固いが、とろりとしたチーズと焙られたハムの味も相まってとても美味しかった。
「美味しい」
「だろ?」
もう一口齧って紅茶で口の中をすっきりさせてから、今も会話に出てきたアテルネについて聞いてみた。
「先程も口にしていたけれど、アテルネって?」
「オレが働かせて貰ってるパン屋だよ。ここの隣。さっき電話貸してくれたのもアテルネ店主の奥さんだよ」
「じゃあ、このパンを分けてくれたのも」
「そう。オレがお世話になってる人達さ」
そういうテイルは既に二個目のコッペパンに入っている。レイラも一旦会話を切り上げて食べることに専念することにした。
結局レイラがコッペパンを一個残したので、それはテイルが美味しく頂いた。
お互い紅茶を飲みながらのんびりしていると、「少し聞いてもいい?」とレイラがテイルに話しかけてきた。
「なに?」
「あなたはここで、一人で暮らしているの?」
「そうだけど?」
「ご両親とかは?」
ベッドが一つであることや、家が手狭なことからもここは明らかに独り暮らし用のものなのだが、十六というと彼女の周りでは学校に通っている人の方が多い。だが、親元から離れて学校に通っているという風でもない。正直に疑問であった。
「親は知らない。オレ、物心ついた時から孤児院育ちだから」
特に気分を害した風もなく明るく放たれた言葉は、しかしレイラを驚かすには十分だった。
「――え? それじゃあもしかして、学校は」
「うん、行ってない。でも必要なことは全部孤児院で教えてもらったよ。孤児院にあった本を読むのも楽しかったなぁ。十四でここに出て働き始めたけど、今でも暇があったら遊びに行ってるんだ」
テイルの反応とは裏腹に、レイラは気まずげに視線を下に落とした。孤児院育ちならこのような家に住んでいても、物が少なくても当たり前だ。働いても得られるお金などきっとたかが知れている。
「……なんか、ごめんなさい」
「別に気にすることでもないだろ」
レイラは首を横に振る。
「質素だとか、物がないだとか、失礼なことをたくさん言ったわ」
「――謝られると余計失礼に聞こえるけどな。そんな物の少ない小さな家だけど、綺麗には使っているつもりだからベッドはどうぞ」
レイラは目を瞬かせる。話が九十度くらい切り替わった気がする。
「ここはあなたの家でしょう? あなたの寝具なのだから、あなたが使うべきだわ」
「お客様に譲るよ。りょーけのお嬢様に床で寝てもらうわけにはいかないからな」
そこでレイラは理解した。この家でベッド以外に寝れるような場所は床しかないのだと。確かに床で寝た事など今までの人生の中で一度もないので、いざ寝ろと言われたら抵抗感しか生まれない。レイラは彼の言葉を受けてベッドを使わせて貰うことにした。
「わかったわ。大事に使わせて頂きます」
テイルは笑顔で頷いた。と、思ったら、今度は突然小さく「あっ」と声を上げる。
「そうだ、レイラさん。木から落ちたんだったよね」
「え、ええ」
少し顔を赤くして、上目遣いに答える。恥ずかしい失態を掘り返してどういうつもりだろう。
「手とか足とか、怪我しなかった? 痛い所あったら治すから、見せてみて」
“治す”とは手当をしてくれるということだろうか。少々疑問に思いながらも、彼女は左腕と右膝、左脛とを擦ったことを告げた。
「でも、そんな大した怪我ではないわ」
「消毒も何もしてないだろ? ほら、見せて。スカートの中覗いたりしないから」
レイラは席を立って近づいてきたテイルの手の甲を取ると、無言で思い切りつねった。彼女の制裁に、彼は小さく悲鳴を上げる。
「ちょっとした
「下品です」
「それで、擦ったってとこは?」
見せるまで引き下がりそうになりので、レイラは諦めて左腕を出した。軽く擦った後があるだけで、そこまで生々しい傷跡があるわけではない。
「このくらいならすぐ治せる。さっきも普通に歩いてたし、足もそんなひどくないのかな?」
「ええ、痛いわけではないですから」
「じゃあ、順番に治してくから動かないでよ」
レイラは彼が救急箱か何かを取りに行くのだろうと思っていたのだが、予想に反して、テイルは左手で彼女の腕を支え、右手を怪我に添えた。そして、ふっと目を細める。
訳が分からず傍観していると、彼の額に光が生まれた。それは浮き出るように、滲み出るように、何かの模様を描き出す。それと同時に、怪我の部分がわずかに暖かくなってくる。
「え、えっ?」
彼の額に六芒星が完全に浮かび上がると、擦り傷はみるみる消えてなくなっていく。
目の前で起きている現象に理解が追いつかず、レイラは彼の顔と怪我とを交互に見やった。
唐突にふっ、と光が消える。
「はい、次は足」
「え、あの……」
テイルは構わず先ほど腕にしたのと同様の所作で足の怪我も治してしまった。
「はい、終わり。痛くないだろ」
「え、ええ。綺麗に、治ってるのね……」
レイラはまじまじと自身の腕を眺め回す。足も見てみるが、擦り傷の後など綺麗に残っていない。一体どういうことだろうか。
「もしかしたら失礼かもしれないけれど、今のは、なにか聞いても?」
踏み込まない方がいい所だったかもしれない。それでも好奇心が上を行った。問われたテイルは「別にいいよ」と苦笑しながら自身の席に着いた。
「て言っても、オレもよく知ってるわけじゃない。ただ、昔から使えた不思議な力ってだけだよ。怪我が治せるなんて便利だろ」
ニヤニヤとしながら彼は左手をひらひらと振る。正直レイラは――反応に困った。今の彼に、違和感を感じたからだ。
「それを、私に見せることに抵抗はなかったの?」
「なんで?」
「もしも私がその力を気味悪がったら、あなたはどうしていたのか。それを聞いているの」
「どうも何も――何もしないし、どうもならないさ」
彼の声のトーンが明らかに下がった。違和感の正体はこれだと、レイラは直感する。さっきの笑いや振る舞いはただの強がりだ。平気そうな振りをするのに彼は慣れている。
「過去のあなたに何があったかなんて聞く気はないけれど……別に、使う必要がないなら、使わなくていいんじゃないかしら? 多少の怪我なら放っておけば治るものよ」
「でも、すぐに痛みを消してあげれるなら、その方がいいと思ってるからさ。どんな怪我が元で病気を患うか、わかんないし。それに今は非常事態だろ?」
「それであなたが傷ついてたら意味が無いじゃない」
レイラは呆れた。力のせいで他人に避けられることがあったのなら、力なんて極力使わなければいい。そうすれば別に平気な振りなど覚えなくても良かったはずだ。
「んーオレがいつ何に傷ついたなんて言ってない気がするけど。でも、レイラさんみたいに平気な顔してくれる人だっているし」
テイルは先程とは違う笑みを浮かべた。その顔は、さっきとは全く別で、彼らしい顔だった。レイラはつられて苦笑する。
「私は知的好奇心の方が勝っただけよ。それに、さっきのはまるで、お伽話の中の魔法みたいだったわ。傷を治してくれて、ありがとう」
“ありがとう”という言葉が心を擽る。テイルは少しだけ照れくさそうに笑った。
「そう言ってもらえると、すごく嬉しいよ」
彼女の言葉を受けて喜ぶ彼の姿に、レイラも自然と頬が緩む。
「明日は早いの? テイル」
「いや、ベルマークまではそんな早い汽車は出てなかったはずだ。九時とか十時だったはずだよ」
「そう。でも、少し早いけれど休ませてもらうわ」
「そうして貰えるとありがたいかも。ランプ燃料勿体ないし」
申し訳なさそうに後ろ頭を掻く彼の姿に、やはり貧乏人だと呆れ顔をする。「おやすみなさい」と言葉を交わすと、レイラがベッドに入ったのを確認した後、テイルは昼間干した布を手にしてからランプの火を消した。
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