第14話
寝台の側に跪き、イサクの手をとり顔を伏せる。その時シモンはふと、足元に何かが転がっていることに気がついた。
切り絵に使う、イサクのナイフだ。見ればその先端に、紙の刻みカスが付いてしまっている。
(糊、……?)
何かしらの粘着剤で、紙がナイフに貼り付いているのだ。どうということでもなかったが、何故だかそれが、シモンにはやけに引っかかった。そうしてイサクの枕元に置かれた簡素な燭台を手にし、イサクの作業机の上を照らし出して、――シモンは小さく、息を呑む。
机の上に何枚もの、切り絵が散乱したまま取り残されている。だがシモンの目を奪ったものは、図案通りに刻まれた、それらの商品ではなかった。その傍らにもう一枚、作りかけの、大きな絵が置かれていることに気づいたのだ。
それは異様な絵であった。切り絵で出た刻みカスを使って描かれた、モザイク画であった。モノトーンのその絵はしかし、作り込まれた舞台のように、ある場面を生き生きと描き出している。
中央に立つ二人の少年は幼く見えたが、それがシモンとイサクであることはすぐにわかった。少年たちは楽しげに語らっており、その二人を見守るように、周囲には不可思議な、異形の者が集っている。
(――淵の、神様……?)
思わずふらりと立ち上がり、シモンは燭台を手にしたまま、食い入るようにその絵を見た。
――イサク、……イサク、死なないで。いやだよ、おれ、もっとイサクと遊びたい。
不意に聞こえた幼い声に、シモンの腕が総毛立つ。ああ、今のは、幼いシモン自身の声だ。幼い頃、――まだ両親が健在であった頃、懐かしい屋敷の一室で、シモンは同じように、苦しげに息をするイサクの側に跪き、ぽろぽろと涙を零しながら、懇願したことがあるのを思い出した。
――シモンは泣き虫だなあ、……。大丈夫、おれは死なないよ。だってシモンが、沢山お祈りしてくれたもの。なんだっけ、ほら、……おれのまわりにも、沢山、神様達がいるんでしょう?
いつまでも泣きやまないシモンに、イサクは優しくそう言った。それを聞き、シモンは大きく頷くと、――当時読んだばかりだった、子供向けの本を取り出して、――堂々たる態度で、床に臥したイサクにこう言ったのだ。
――そう、おれね、『ふちのかみさま』に沢山お祈りしたんだ! イサクのびょうきを治してくださいって、すごくたくさんお祈りしたんだよ! そしたらみんな、だいじょうぶ、まかせておけって言ったんだ。イサクのことはぜったい助けるからって、みんな、約束してくれたんだ!
やわい眉間にしわを寄せ、厳しい口調で演技までして、架空の言葉をイサクに伝えた。「まるで、本当に話してきたみたいだ」とイサクが笑えば、シモンは地団駄を踏んで、「本当に話してきたんだ!」と主張した。
――イサクには見えないの? ここにね、そこにもね、あっちにも、いーっぱい、かみさまがいるんだ。みんなイサクを助けるために、ここまで来てくれたんだ。だから、ぜったい、……ぜったい、イサクの病気は治るんだ!
脳裏に蘇ったそのやりとりに、シモンの身体がよろめいた。
(俺だったのか)
愕然とした思いのまま、心のなかで、呟いた。
(イサク、お前に、……その存在を信じろと言いだしたのは、俺だったのか)
燭台を床に置き、がたがたと震える己の肩を掻き抱いた。ぽろぽろと、堪えきれずに落涙する。そうしてふと居住まいを正すと、シモンは古びた作業机に、そこに置かれたモザイク画に、深々と、頭を垂れた。
「どうかもう一度、もう一度イサクを助けてください。伝えなきゃならないことがあるんです。このまま見送ることなんて、できないんです。助けてください。どうか、どうかもう一度、イサクのことを助けてください、――お願いします」
なんて厚かましい願いなのだろう。彼らのことを否定したのは、他でもない、シモンであったのに。
それでもシモンは祈り続けた。シモンには、そうすることしかできなかった。
そうして朝を迎える頃には、苦しげだったイサクの呼吸は、徐々に小さくなっていた。
***
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