第13話

「――シモン、お前、シモンだろう! なんだってこんなところにいるんだ、ほうぼう探し回ったんだぞ!」

 叫ぶような声を聞き、慌ててその場を振り返る。運河沿いに走る馬車道から、誰かが手を振る姿が見えた。それが誰かはすぐに分かる。ガリラヤ劇団で先輩俳優だった、グールドだ。

「グールド! ど、どうしてあんたが都に?」

 困惑したままそう問えば、相手は有無を言わさぬ様子でシモンを手招きし、がならずとも声が届く距離になるやいなや、シモンに向かってこう言った。

「これを告げるのが本当に、お前のためかはわからねえ。オーディションが終わるまで、言わないでくれって本人にも頼まれてんだ。団長にも口止めされた。けど、……お前にとって大切なのは、お前が大切にしてたのは、大きな舞台で演ることとか、大勢に認められることじゃあないんじゃないかって」

 グールドの真っ青な顔を見て、シモンはあらかたの事情を察知した。「容態は」と問う声が、情けないほど震えている。

「イサクの、容態は……? イサクになにか、あったんだろう?」

 躊躇なく頷かれたのを見て、シモンの胸が萎縮した。起こりうる事態であるとはわかっていたはずなのに、いざその時になると、臆病心に竦み上がる思いがした。

「一週間も前から、ちっとも熱が下がらねえ。俺が町を発った頃には意識も朦朧として、看病してるリブカの顔すらわかってない様子だった。でもあいつ、シモンのことは呼ぶなって、オーディションが終わるまで、余計なことは耳に入れるなって言って、……」

 故郷の町から都まで、馬車で二日はかかる距離だ。「あの、馬鹿兄貴」思わずそう吐き捨てれば、グールドが幾らか居住まいを正す。勘違いをさせてしまっただろうか。しかしシモンは感謝の辞を述べる余裕もなく、続けざまに、「馬車は」と呟いた。

「ああ、ダメだ、馬車じゃ時間がかかって仕方ない。馬を借りてくる。医者は? 医者はもう呼んであるのか」

「とっくに呼んで、イサクの枕元にはりついてるさ。でも、その、……シモン、本当にいいんだな?」

 シモンが手にした台本を見て、グールドが一度そう問うた。

「当たり前だ」

 シモンの言葉は、迷わなかった。

 

「イサク、イサク。ほら、わかるかい。シモンが帰ってきたよ。あんたの為に帰ってきたんだよ。なのにこのまま目を開けなかったりしたら、承知しないよ、――」

 隣人のリブカがそう言って、ぽろぽろと大粒の涙を流す。彼女の顔も真っ青だ。その手をそっと取り、温めるように握ると、シモンは静かにこう言った。

「俺がいない間、イサクのそばに居てくれて、……ありがとうございました」

 鞍を載せた馬にまたがり、昼夜を駆けてシモンが故郷にたどり着いたのは、報せを受けた翌日の深夜であった。都でのことをグールドに任せ、一人帰り着いたシモンを迎えたのは、ぜえぜえと荒い息をして寝台に横たわるイサクと、それに付きそうリブカの二人きり。この善良な隣人はシモンがいない間、誠心誠意イサクの面倒を見てくれていたのだろう。彼女の表情にも隠しきれない疲労の色が浮かんでいるのを見て、後は任せてくれと、シモンは宛もないままそう言った。

「帰ってきてくれてよかった、シモン――。お医者様が言うには、もうできる手は尽くしたって、今晩が峠だって、……。でも今回は発作が長引いたせいで、イサクも体力を消耗しているし、どうなるかは、わからないって、……」

 しゃくり上げて泣くリブカを見送ると、室内には苦しそうなイサクの吐息だけが取り残された。薄布を水に浸し、汗の浮くイサクの肌を拭いてやる。熱を発するイサクの身体は、今まで以上に痩せ衰え、今にもかしゃりと崩れてしまいそうにさえ思われた。

――これ以上、悪い兄にはなりたくないんだって、あいつ、そう言ったんだ。

 グールドの言葉を思い出し、腹立たしい思いに息を吐く。そう、シモンは苛立っていた。この兄は、一体何を思い違いしているのだろう。そう思えばむかむかと、胸の内がざわつくのだ。

「お前が悪い兄だったことなんか、……一度だって、あったかよ」

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